157 伯爵の回想と自白
バクスター伯爵が咳ばらいをしてしゃべりはじめた。
「わかった……。我々はあの時、人族の間から生まれた獣人の赤子の存在を隠さなければいけなかった。もし明るみにでれば、野蛮な獣人相手に不貞を働いた妻とその間抜けな夫は笑いものだ。不貞を否定すれば、今度は先祖に卑しい獣人の血が混じっていた証拠だと、貴族の血に獣人の血を混ぜたのかと騒がれる……。よいですかな、ウカギンカイイナリ殿! それがこの国の現実なのだ!」
伯爵が、声を荒げて銀狐の名を呼ぶ。
銀狐は表情一つ変えない。まあ、狐姿なので表情は元々わかりにくいけど。
そのまま何も言わずに黙ってしゃくるように鼻先をあげた。
続けろということだろう。
伯爵は気を落ち着けるようにゆっくり息を吐いてから続きをしゃべり始めた。
秘密裏に孤児院に送り、関係者の口止めだけでいいだろうと判断したこと、あとで適当に子爵家の使用人にでも引き取らせて近くにおかせてやればよいだろうと決めたこと。
ところが、最初はそう思っていたバクスター伯爵に、嫁いで第一夫人となっていた娘が心配だ心配だと騒いで不安をあおるようなことを言ったこと。
あの家の使用人は代々仕えている者ばかりで、当主との信頼関係は厚いと聞いていたが、娘のラボワはそうでもないと言う。
そしてもし明るみにでれば、自分と夫も笑いものになると涙ながらに訴えられた。
そもそも子爵本人と第二夫人は間違いなく自分たちの子供だというが、それを確かめる方法もない。なんで獣人の子供を身籠ったのかもわからない。
第二夫人の家にはごく稀にそういうことがあるらしいとしか情報がなかったのだ。
その赤子は禍根となるのではないか。
しかし、生まれたばかりの赤子だ。この場さえ隠し通せばあとはうまくやれると子爵も言っていた。
どうする……?
伯爵家当主としての自分が、余裕のある態度でいつものように部下や家の者を安心させろと言う。それがいつものバクスター伯爵家の当主の姿だ、と。
しかし、娘の父親である自分が、ラボワのためにも禍根を断ってしまった方がよいのではないかと冷酷にささやいた。
バクスター伯爵は、いつもならはっきりとした命令を出す。
部下が勝手な解釈をして間違いをしでかしては困るからだ。
だが、この時ばかりは違った。
どうするのか決め切れないままで、しかしすぐに命令を決めて早晩に実行しなければいけなかった。
鷹揚な貴族当主と、娘の親という立場で揺れて宙ぶらりんのまま、なんとか部下に命令を出した。
「赤子は、孤児院……孤児院でよかろう」
いつもならそれで終わりだ。
腹心の部下が立ち去る直前、普段ならすることのない独り言をつぶやいてしまった。
「いや、やはり王都には居らぬ方がよい……か? むしろ……禍根になるなら完全に断つべきなのか……」
親元には二度と返さない方がよいのではないか、という思いが不要な呟きになって口からこぼれた。
部下の前では迷いを見せないよう徹底しているつもりの自分には、珍しいことだっただろう。
「準備を整え次第、もう一度参上いたしましょうか?」
「む……」
決めかねていると見た部下が助け舟を出してきた。
それに肯定とも否定ともとれぬ返事をする。
そして、結局準備を整えた部下は顔を見せることなく出発し、そしてその後受け取った報告は、王都の外に捨てられたというものであった。
「勝手な判断をしました……」
「いや……そうか」
それだけしか言えなかった。
何がどうしてそうなったのか。
今から向かったところで、雪の積もるこの寒さの中では、もうその命が助からないのは自明だ。
居らぬ方がよいなどと口に出した自分の責任なのか。
なぜ、そのまま出発したのか。
歯を食いしばっていた部下は、自分の言葉のせいで迷いに迷って、それが主人が望まれた成果なのだと解釈したに違いない。
それほど日を空けずに長年仕えていたその部下は暇をもらいたいと言って自分のもとを去った。
「口に出すべきではなかった……。だが、今でも疑問に思っているのだ。何故そのような判断をしたのかと……。いつものあやつなら、そのような勝手な判断は下さぬ。だからこそ、私は信頼していたのだ」
深いため息をついた伯爵が、自嘲気味に笑う。
「ずっと棘のように残っていた……。この場の者さえ誰も知らぬ話だ。フッ、ハハハハハ……。これはこれですっきりするものだな」
話は合う。
ウソはついていないように見えた。
天狐と銀狐も同じ判断を下したらしい。
「なるほどね。それじゃ、今のあんたの疑問については、そこの二人に答えてもらうとしようかね」
「なに……?」
銀狐の目線を追って、伯爵の眼が娘のラボワとそのそばにいる使用人に向かった。
「ラボワ……?」
「そのまま知らねえ顔をしていれば逃げ切れるとでも思ったか? 脈拍と呼吸でもうバレてんだよ。話したくないならかまわねえが、それならそのまま二人仲良く首と胴体におさらばしてもらうことになるぜ」
天狐の脅しに、うつぶせのままで使用人の方がすぐに口を開いた。
「わ、私は関係ありません! 私は偶然、そう偶然見ていただけなんです。お嬢様が伯爵様のところに行こうとする騎士を止めて、言ったんです。伯爵様に酷な命令を出させないで欲しい、バクスター家のためにどうするべきかわかってくれって!」
蒼白な顔で使用人がべらべらとしゃべり始める。
脅しが相当効いてるな。
「それから、不安で押しつぶされそうだとか、眠れてないとか、自分も好きになった相手と結ばれることができたのにこれで離縁になったらどうしようとか、いろいろ……それで絶対大丈夫なようにして欲しいって」
「なっ……! ふざけるんじゃないわよ。お前がそうしろって言ったから、私はただ言われたとおりにしただけよ。だから、悪いのは全部あんたじゃない! 第二夫人が先に子供を産むなんてありえないから、身の程をわきまえさせろって!」
「ラボワ、お前……!」
わかりやすい二人の自白となすり付け合いに、ロロナリエになっている黒狐がぱんぱんと手を叩いた。
「大体わかりましたのでもう結構です。皆様を脅すような真似をしたことをお詫びします。天柱稲荷様、もういいですよ。そこのお二人を除いて、皆さんを動けるようにしてあげてください」
今まで素知らぬ顔で成り行きを見守っていた黒狐が演技を再開して仕切り始めた。今までのあれは天狐たちとの打ち合わせ通りだったってことか。
どう見ても素でやってたような気がするけど。
むしろ今のセリフの方が聞いていて、ものすごく演技っぽいし。
ちなみにラボワと専属使用人の二人は、まだ責任の擦り付け合いをしている。
「てめえら、ちょっと黙ってろ!」
「ヒッ」
天狐が一喝して二人が黙らせてから、軽く指を振る。
それを合図にラボワと専属使用人の女を除いて、全員が自由を取り戻したらしい。
周りを見回しながら立ち上がり始めた。




