148 ソフィアトルテの魔法
全身から煙をあげているベヒモスは、人間が首を鳴らすような動きで頭を振ると、肉のえぐれた足に目をやった。
最初の一撃が当たったところだな。
無警戒で食らったからか。
攻撃を再開したおりんに、ベヒモスが結界を張った。
「なら、これで!」
おりんが炎を一点に集中させて結界を貫通させた。
さっきから使っている炎は、黒炎ではない普通の炎だ。
髪の色が変わった時にそうじゃないかと思っていたけど、黒炎以外も使えるようになったらしい。
ねっとりとした異常に消えづらい黒炎自体は元々おりんの精霊核を作った火山の炎だった。
結界を破られ、おりんの集中した炎がそのままベヒモスの肩辺りを焼き斬った。
傷をつけてはいるが、でかすぎて効いているのかわかりずらい。
吠えたベヒモスがこちらに向かって動き出す。
速い!
チアがわたしの首根っこをつかんでそのまま逃げ出そうとしたところで、静観していたケリュネイアが動いた。
甲高い声で一声鳴くと、地面から巨大な杭がベヒモスに向かう。
その攻撃はそのままベヒモスに当たり勢いを止めたが、ダメージはなさそうだ。
ケリュネイアの角が輝き、ベヒモスに向かって駆けだした。
ベヒモスは巨体ゆえの速さだったけど、こちらは桁ちがいだった。
「え? どこ?」
巨大なベヒモスにとってはたいした距離じゃないだろうけど、こちらとはかなりまだ距離がある。
その距離を一瞬で消し飛ばすと、その角をベヒモスに突き刺し、そのまま肉を裂いた。
叩き潰そうとふるったベヒモスの腕をかいくぐって更に角を突き立てる。
「いっ!? はやっ!!」
「わー、はやーい」
地脈のマナのおかげで普通の人間並みに落ちていた身体強化は元に戻っている。
それでなんとか目で追えるというところだ。
まあまあ距離があってこれだから、近くにいたら見えないだろうな。
「なるほど……ああいう戦い方なんですね」
速度重視の回避型アタッカーって感じだな。
巨大な鹿だが、ベヒモスからしたらそれでも手の平サイズだ。
一撃当たればぺちゃんこだろう。
というか、避けきれずに一撃もらった結果ケガをしてたんだろうし。
「おりん、今のうちに大技の準備!」
「はい!」
ケリュネイアが時間を稼いでくれている間に、おりんが魔法の準備に入る。
術式を描き始めた。
何もしていないように見えるわたしだけど、一応地脈からマナを集めている。
ベヒモスの攻撃をすべてかわしながら、ケリュネイアがベヒモスに次々と傷を付けていく。
とはいえ、サイズがちがうので一つ一つの傷は浅い。
「このままケリュネイアが倒してくれればいいんだけど……厳しいかな」
言い終わらないうちにベヒモスが吼えた。
周囲に激しく放電し、そのまま雷をまとう。
同時にベヒモスの周りに巨大な竜巻が巻き起こった。
放電範囲から逃げ切れなかったケリュネイアの動きが一瞬止まり、そこを竜巻がおそった。
竜巻にからめとられれば、そのまま雷にやられて終わりだ。
「ほいさ」
ケリュネイアの周囲に地属性魔術で土壁を張り巡らせた。
竜巻を防いでやると、動きを取り戻したケリュネイアがすぐに離脱した。
一瞬遅れて、土壁に竜巻の中を走り回る雷が当たって消し飛んだ。
かなり頑丈に作ったつもりだったんだけど、一撃もたなかった。
当たったときのことは想像したくない。
「おりん!」
「いけます!!」
ベヒモスの足元に巨大な魔法陣が展開される。
竜巻も放電も塗りつぶして、真っ黒な炎がベヒモスを越えてはるか上空まで吹き上がった。
魔法陣が消えて炎がおさまると、全身を焼かれたベヒモスが横たわっていた。
その体の上で黒い炎はいまだに消えずに燃え続けている。
「つよっ」
「……自分でも驚いていますにゃ。このままトドメをさします!」
戻ってきたケリュネイアがおりんの前に立ちはだかった。
「ん? 殺すなってこと?」
ケリュネイアが肯定するように鳴いた。
「もしかして、仲間だった?」
ケリュネイアが更に肯定した。
「おりん、火を消して」
おりんが腕を振ると、ベヒモスを燃やし続けていた黒い炎が消えた。
それなら、瘴気を払って……治療もいるか。
昔のわたしには存在しなかった選択肢だ。
ケリュネイアの願いにそれは無理だ、とベヒモスを殺して終わりだ。
「さて、真打ち登場ってね」
神様らしいところを見せてやろうじゃないか。
「どうするの?」
「まずは瘴気をなんとかしないとだね。わたしがマナを流しこんでもできると思うけど、ちょっと大きすぎるかな」
専門家に頼むとしよう。
ここで喚ぶのは二度目だな。
描いた術式に魔力を流し込んでいく。
「ソフィアトルテ・シフォンマドレーヌ!」
召喚と同時に視界が切り替わった。
「あら、またですか」
半ば予想していた。
前回と同じように庭のような場所で、テーブルに腰掛けたソフィアトルテが笑いを堪えた顔でプルプルしながら座っていた。
「いや、おめでとうおめでとう。まさかこんな早くマナを扱えるようになるとはね」
「どうもありがとうございます。なんか豊穣神になってしまいましたけど」
なんかこう魔神とか魔法神とかもっとカッコいい感じがよかったなあとか思わないでもない。
稲荷たちの手前、口には出さないけど。
「いや、それにしても……あっははははは! いや、もう……いひひひひひ。あははははは!!」
机をバンバン叩きながらソフィアトルテが爆笑している。
ええっ……なに、この人。
若干引いていると、まだ笑いながらソフィアトルテがなんとかしゃべり始めた。
「あー、笑いすぎてお腹いたい……」
「なにがですか」
「いや、だってキミ……豊穣神みたいなことやろうとして、しかもめっちゃめちゃ下手くそでマナをもうバカみたいに無駄遣いして自爆してるんだもん」
「いや、だってそりゃ初心者ですし」
「それで稲荷神たちに借りを作って……ぷぷっ。さっきもケリュネイアを癒して、うまくなかった?とか、いやいや、うまくないから。ド下手だから! あははははは!」
「うるさいなー、バカって方がバカなんです」
いくらなんでも言いすぎだろ。
「稲荷神たちもまあ優しいよね。キミじゃなければ半分もマナはいらなかったとか……。半分どころじゃないよ、キミ以外があのチランジアって子を治してたら、たいした借りにもならなかっただろうさ。神聖魔法使えるのに、治療にマナをあんなに使うのおかしいと思わなかったわけ?」
「いや、そう言われても必死だったんで」
「魔力に変換して神聖魔法を使った方がまだよほど無駄がなかったろうにね」
「魔力に変換なんてできるんですか?」
「頭を使いたまえよ。そもそもマナの豊富な地脈が魔力的にも豊富なのは、魔力を欲しがる者たちがいるからだよ」
「あ、魔物たちの願いがマナを……」
「自分がなんなのか考えてみな。どうやってキミは火精霊の器を作った?」
「そりゃ、術式で……あ」
「そういうこと。我々は魔法使いじゃないか。なんで幻想術式を使わずに、昨日今日に覚えたばかりの豊穣神のマネなんてやってるのかと……いやあ、思い出すとまた……あはははははは」
思い出し笑いをしたソフィアトルテがまた机を叩いている。
くっそー。大体ソフィアトルテの言うとおりなので言い返せない。
「あー苦しい。空気が足りない。空気いらないけど」
「……幻想術式ってマナの術式のことですか」
「そうだよ。魔法を召喚する魔術のことを一般的に魔法って言うからね。ややこしいだろ? ボクは幻想を召喚する魔法で幻想魔法って呼んでたよ。使えたの私だけだったから伝わってないだろうけど」
「なるほど」
幻想魔法ね。ソフィアトルテのかわいいもの好き感がうっすら見える感じはあるけれど、響きは悪くないかな。
「いやー、笑った笑った。まあ喚ばれたからには、かわいい後輩ちゃんにちょっとお手本を見せてあげようか。瘴気払いなら、ボクの十八番だからね」
瘴気を撒き散らす死霊の王と戦っていた人だ。何百回と使った魔法だろう。
わたしももう神様なんだから、彼女に追いついてきたと言っていい。マナの幻想術式だって作れるし。
自分でも瘴気払いはできるはずだけど、ソフィアトルテの方が効率よく行えるのは間違いないだろう。
視界が戻った。
「だあれ?」
チアとおりんからしたら、いきなり人が現れたようにしか見えない。
答えるまでの時間はないのか、即座にソフィアトルテがベヒモスに手を向けた。
「マカロン・ゴーフル・ミルフィーユ」
「は?」
なぜかソフィアトルテがお菓子の名前を連呼する。
なにかのトリガーなのか、ただそれだけで、すでに幻想魔法は完成されていた。
瘴気が魔力に還元されて消え失せ、同時にベヒモスの傷が治っていく。
呪文で魔術を発動させるように幻想魔法を?
異常に早い上に、理屈に合わない。
……何をしたんだ?
「まだキミに追いつかれた覚えはないよ」
笑みを含んだ声にハッとすると、ソフィアトルテの姿はもう消えていた。
また、しれっと心を読んできたな。
参ったな。
未だにソフィアトルテの底は知れないようだ。