144 ロロナ、十五才になってみる
刺身の昆布締めと、ブリとねぎの醤油焼きを届けたところで、天狐に引き留められた。
「おい。田植え終わったら、お前を神社でお披露目するからな」
「お披露目?」
「お前には農業指導的なこともしてもらうわけだから、紹介しておいた方がいいだろ」
まあそりゃ突然獣人の子供が来て、ああしろこうしろと言い出しても聞いてくれないよね。
なんだこいつってなるのがオチだ。
「それなら、一度王都へ帰ってきていいですか? ラウに頼んだ魔石なんかが来ないと、このままここにいても何もできませんし」
「そりゃ、別にいいけどよ」
「村を作れって言われてから考えていたことがあって……。それで相談なんですけど、ここらのお米とは違うお米ってあります?」
「陸稲のことか?」
陸稲はその名の通り陸上、つまり畑で育てる稲で、もち米なんかはこちらが主だ。
「そちらでなくて、穂の長さが高いようなやつです」
「ああ、それなら一応倉にあったと思うが……」
「古いんですか? 発芽しますかね」
「いや、その辺は大丈夫だ。私が持ってたやつだからな。ただ、植えるのはいいが、普通に食べてもパサパサしてあんまり美味くないぞ」
「まあ、味については食べ方次第だと思いますから」
なかったら自分で探すか作らないといけないところだった。
前世でいういわゆるタイ米の類。パサパサしているインディカ米系のようなものがないかと思ったのだ。
「お前、もしかして今年……今からやる気か?」
「うまくいけばですけど。とりあえず心当たりのある湿地があるので、そこで試すだけでもと思って」
この手のことは理屈も大事だが、実際に試してみないとわからないことも多い。遅めではあるが、まだぎりぎり間に合う……と思う。
話していると、金狐が興味津々でやってきた。
「穂が高いってどんなの? 自生してたりするようなやつ? 私聞いたことないんだけど」
「種類が違う系かな。背が高いから雑草にも負けないし、手がかからないから」
金狐はそもそも知らなかったようだ。
地球だと、世界的にはそちらの方が主流なんだけどね。
「この国だと南の方で多少まだ作ってるくらいだ。その代わり倒れやすかったりするからな」
まあその辺は仕方ない。
田んぼがちゃんと整備できるまでのつなぎにならないかと考えただけだし。
「水があるままで、直播きするつもりか?」
「そうなりますね」
苗まで育てたり、いわゆる田植えをしたり時間はないし、湿地でやろうと思っているので水を抜けない。直接種を撒くしかないだろう。
「それだとますます倒れそうね。それに雑草に強いって言っても日国にまた来るから、半分放置するつもりなんでしょ? 水深次第だけど、代掻きくらいはやっておいたら?」
「うーん、それくらいは地属性魔術でやればいけるかな」
代掻きは田植え前に土をかき混ぜてならす作業だ。
雑草の種なんかを泥の奥に埋めてしまうので雑草も減るし、稲の根付きもよくなる。
金狐もこの辺は子供のような外見をしていても豊穣神だ。
「わかった。じゃあついでに普通の種もみと、両方あとで用意しといてやる。もう十分あるから、料理も今日は終いでいいぞ。風呂でも入ってこい。奥に温泉があるからよ」
「聞いてませんけど」
「ああ、言うの忘れてたからな」
天狐があっさりと言う。
空狐は空狐ですでに知っていると思っていたんだろうな。
ストレージから出した家の方で済ませていたから、興味ないとのだろうと判断されていたんだろう。
まあ、最初に来た時はすぐに出発したし、知っててもそのあとは修行やらおりんのことやらであんまり入る機会はなかった気がするけど。
おりんとチアと一緒に温泉に向かった。
「へー、広いね」
露天風呂になっていた温泉には猫おりんにちょうどいい深さのところはなさそうだ。
仕方ないので、洗ったねこおりんを抱っこしたまま温泉に入ろうとした。
「わっ」
温泉のふちの床が予想外につるつるしていて、思い切り滑ってしまった。
つかんだまま床に叩きつけそうになって、とっさにおりんを温泉の中に投げ込んでから腕をつく。
「あぶなかったー」
「ロロちゃん、大丈夫?」
ざぼっと、水中から人型になったおりんが顔を出して、首をぶるぶる振った。
お湯につかると変身する漫画の人みたいだな。
「びっくりしたにゃ!」
「ごめんごめん」
「……またやられると怖いんで、もうこのまま入りますね」
おりんはヒト姿のまま入ることにしたようだ。
ちょっと濁ってるし、大丈夫……かな。
「えっと、じゃあもうちょっと奥に行っててね」
「おりんちゃん、恥ずかしがり屋さん?」
「いや、まあなんというか……」
チアへの説明に困っている間に、おりんはざぶざぶと奥の方へ移動していった。
泉質のせいか、お湯はちょっとぬるっとしている。
滑るのはこのせいかな。
星が見える。
露天風呂とか贅沢だな。
おりんが先に出て服を着たのを見計らって温泉からあがった。
体を拭いていると、お酒を手にした天狐が入ってきた。
「お風呂でもお酒ですか……気を付けてくださいね」
「いつもやってるから大丈夫だ。そういや、全然飲んでないじゃねえか。お前も飲むか!?」
天狐、さっきはまだ平気そうだったのに……。
酔いが進んだ?
「いや、子供ですから」
「じゃあ、大人になりゃいい。できるだろ!」
「え?」
「そこの猫娘と同じようなもんだ。しっかりイメージして姿を変えてみろ。お前もできるはずだぞ。尻尾や耳だってお前が自力で生やしてるんだしな」
「できるかな……」
前世では二十数年生きていたし、母親とも会っているので自分のもう少し年上の姿自体は簡単にイメージできる。
ちょうど今は裸なので、大きくなっても服が伸びたり破れたりする心配なんかはない。
「えいっ!」
一度目を閉じてから開いた。
視点が高くなっていた。
鏡を見る。
イメージ通り、十五、六才くらいにまで成長した姿で映っていた。
「お、できるじゃねえか」
「わー、ロロちゃんすごーい。かわいいー。いいなー」
チアがうらやましそうに指をくわえる。
「へへー。どう? プラス五才って感じかな」
大体予想通りというか、まあ普通に成長したって感じかな。
ただ、気になるところが……。
「天狐様、豊穣神のわりにはこう、胸の豊かさが足りないと思うんですけど……」
もっと大きく育つはずなんだけど、豊穣神のわりにはちょっと貧相じゃない?
ボンキュッボンはどうした。
天狐が半眼になった。
「豊穣神と胸の大きさは関係ねーだろ」
「だってこう、イメージ的に……」
「別にそれ、そのまま成長後の姿ってわけでもないからな。お前のイメージにある程度左右されんだよ。胸が小さいならそういうイメージがお前の中にあったってことだ」
「あー……」
つまり、ほとんど前世の自分のせいか。
貧相とか思ったの、完全に自爆じゃん。
胸が大きいイメージをすればいいわけか。
えっと、今この場で一番胸が大きいのは……。
「あんま人の胸じろじろ見んじゃねえよ」
「集中できないんで、ちょっと黙っててください」
「お前な……どんだけこだわってんだよ。牛でもイメージしてろ」
ん-、よし。
「えい!」
おおー。
おっきくなった。
「わー、すごーい」
チアが両手でわたしの胸を持って持ち上げる。
「なんかバランスがとりにくい……。うわ、本当に自分のつま先が見えない!」
天狐のわたしたちを見る目は、完全に馬鹿を見る目になっていた。
「もういいだろ。ほれ、さっさと行け。やれば狐にも変われるはずだぞ」
「あ、そうなんですね。ありがとうございます。……でも、これ少しマナ使いますね」
天狐の方から言い出したのに、追い払われてしまった。
このままじゃ服が着れないな。
仕方ないので、元に戻って服を着ていく。
「あ、戻った」
「うーん、やりすぎも考えものかなー」
慣れの問題が大きそうだけど、ほどほどがよさそうな気がする。
急いで服を着ながら、忘れていたおりんの存在を思い出す。
「……おりん?」
おりんはさっきからずっと静かだ。
もしかしたら、めちゃめちゃ冷たい目で見られているかもしれない。
視線を向けると、目を見開いて、口を両手で押さえたまま固まっていた。
あれ? もしかして、ドン引きしていらっしゃる?
「えっと、どうかした?」
「あ、いえ……なんでもないです。のど渇いたので先に戻りますね」
おりんが口元を押さえたまま、少しふらふらしながら先に出ていった。
「五年……五年したら……あんなにか、かわい……。あんなの反則だにゃ」
なんかぶつぶつ言ってたけど、何言ってんだ、あの子?
もしかして胸のことかな。
反則級に大きい胸だったけど、あれは天狐のイメージを借りたので、本当に五年後にあそこまで大きくはならないと思うよ。
一足先に戻っていったおりんは、わたしたちが部屋に戻ったときには普段通りの様子で飲み物を用意してくれていた。
明日は朝から黒狐たちのお土産を作らないといけない。
一日料理していて疲れたのもあって、チアとおりんと一緒にさっさとベッドに入った。
あれ、おりんがネコの姿じゃない……?
「おりん、もしかしてネコとヒトで姿変えるのに支障でもある?」
「いえ、全然ないですよ。前は猫になってる方が楽でしたけど、そういうのもないですし」
「ああ。それで、久々にそのまま寝ようってこと?」
でも、前に試しにヒトの姿で寝たときは、胸が重いだの、邪魔で寝にくいだの言ってたことがあったはずなんだけどな……。
「ん-、まあそれもありますけど」
にまっと笑ったおりんが引っ付いてきた。
顔が近い。
おりんの柔らかい体が密着する。
一緒にお風呂に入っていたはずなのに、おりんからは不思議といい匂いがする。
「なななななに?」
「もし同じようなことがあったら、今度はヒトの姿でお願いしますね」
わたしが作った体がネコだったこと、やっぱり根にもってる!
ネコの体の方がよく知ってるなんて正直に言ったせいだな……。
マナの節約のためだとか言っとけばよかった。
「もー、やっぱり怒ってるでしょ」
チアの方を向いておりんに背中を向ける。
チアはもう健康的な寝息を立てていた。
逃がしませんと言うように、おりんに後ろから抱きしめられた。
言うまでもなく、背中に柔らかいものがあたっている。
「そう思うならちゃんと覚えてください。私は獣人になれる猫じゃなくて、猫の獣人ですにゃ」
「知ってるってば」
怒ってるというか、スネてるのかな。
それとも、珍しく甘えたいのか。
そう思っていたら、耳の後ろからいたずらめいた声が聞こえた。
「ロロ様が私のヒトの体を作れるようになるまで、毎日こうやって一緒に寝ましょうか」
「やめて」
そんなことされたら、寝不足になりそうだ。
さっきまで妙に楽しそうだったおりんが、静かにささやいた。
「これでまた、今までどおり一緒にいられますね」
「……そだね」
ああ、そっか。なんだかんだ言いながら、不安で心細かったのか。
なんとかしようと夢中で、そんな当たり前のことを忘れていた。
ずっと気を張っていたんだな。
一緒にベッドに入って、無事に終わったという実感がわいてきたんだろう。
妙にテンションが高かったのはそのせいか。
後ろから回されたおりんの手に、わたしの手を重ねる。
「大丈夫、ずっと一緒だよ」




