142 赤毛のおりん
光がまぶしくて目が覚めた。
起きると、天狐の屋敷の中だった。
「チア! チアはどこ!?」
「落ち着け。チランジアも無事だ」
飛び起きたわたしを、空狐が肉球で制した。
わたしの声を聞いて、おりんも部屋に入ってきた。
「ロロ様、大丈夫ですか? チアちゃんはまだ隣の部屋で眠っていますよ」
「ありがと、わたしは大丈夫……。おりんは記憶飛んでない? それに、おりんのその髪は?」
「記憶は変わりないです。髪と、あと眼もですね。色が変わっちゃいました。多分火精霊の影響だと思うんですけど」
黒だった髪とライトブラウンだった眼の色が、両方火のような赤色になっていた。
「まあ魔術で戻せるだろうし、別に問題はないか」
「いえ、せっかくだしこのままにしようかと思ってます。リンカは黒髪でしたけど、おりんは赤色ってことで」
「ああ、それもいいかもね」
本人だと特定される可能性は間違いなく下がるだろう。
悪いことばかりでもないけれど、最後は呪いかけられちゃってたからな。気分も変わるかもしれない。
おりんに水を差し出されて受け取る。
「あとは昔の姿にも戻れるようになりましたよ。チアちゃんが混乱しそうなので変えていませんけど」
「そうだね。ギルドとか、他の知り合いのこともあるし、さすがに年齢は変えない方がいいね」
わたしが水に口をつけるのを見ながら、おりんがたいした事でもないんですけど、と前置きをして口を開いた。
「ロロ様がつくってくれた私の体、なんで猫だったんですか?」
「問題あった? おりんはヒトの姿と行き来できるからどっちでもいいかと思って」
「問題はないですよ。うまく体に入れましたから。ただ、なんであえて猫にしたのかな、と気になったので」
水を飲み干す。
思っていたより喉が渇いていたみたいだ。
「猫のおりんの方がよく撫でたりしてるから、細部までイメージしやすかっただけだよ」
おりんが、複雑そうな顔をした。
「だって夜一緒に寝るときはいつも猫だし、出かけるときも時々猫になって頭に乗ってるし、猫の時はよく抱っこもするよね」
「まあ、言われてみるとそうですね。猫扱いされてるんじゃないかって、ちょっと心配しちゃいましたよ」
「さて、チアの顔を見にいこー。おりん、あとで飲むからお茶淹れといて」
「……ロロ様?」
別に猫扱いまではしてないけど、あの子、家にいる時とか猫でいる時間の方が長いからな……。
わりと猫のイメージが強いんだよね。
隣の部屋に寝かされていたチアは、穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「よかった、チア……」
顔をのぞきこむ。
チアの無事な顔をみたらほっとして涙腺がゆるんだ。
「ばかチア」
こぼれた涙がチランジアのほおに落ちて、チアがゆっくり眼を開けた。
「……ロロちゃん?」
「チア、どこも痛くない?」
「うん、だいじょぶ。ロロちゃんとおりんちゃんは?」
「私もおりんも平気だけど、一番ひどかったのチアなんだよ! ほんとに死ぬところだったんだから!」
「そっか、よかった」
「よくない! チア、危なくなったら逃げてって言ったじゃない!!」
チアはわたしの後ろにいたのに、わたしより圧倒的にひどい火傷を全身に負っていた。
わたしの熱への耐性を高めるために、自分のことはおざなりにしていたのは確実なのだ。
「チアのばか! わたしとおりんが助かっても、それでチアに何かあったら嬉しいわけないでしょ!」
怒って叱ってやろうと思ってたのに、ぼろぼろと涙がこぼれた。
「ごめん……なさい。チア、いつもロロちゃんにしてもらってばっかりで……。だから、ロロちゃんのためにがんばりたかったの」
「わたしたち、貸しとか借りとかそんなんじゃないでしょ、ばか! そんな、ことの、ために……!」
こぼれ始めた涙はもう止まらなかった。
ベッドの上にいるチアの肩にすがって、小さな子供みたいに泣いてしまった。
「チアがいないなんて。わたし、いやだから」
「うん、ごめんね」
チアの声も涙混じりで、わたしたちは抱き合ったまま、二人で一緒にたくさん泣いた。
「あれ、また寝ちゃってたのか……」
さっきまで夕方だったはずなのに、起きると早朝だった。
あのあと、泣きながら眠ってしまったようだ。一度起きた部屋で寝かされていた。
部屋を出て食事に使っていた部屋に行く。
「チアちゃんもありがとうございました」
おりんがチアを優しく撫でていた。
「おはよ」
「おはようございます。ロロ様も起きたんですね。お風呂も沸いてますよ」
机の上には食事が用意されていた。
「ありがと。あれから半日寝ちゃってたんだね」
軽い食事を終えると、おりんがにっこりと笑みを浮かべた。
「じゃあ、とりあえず二人とも正座してください」
その笑顔には、猛獣を思わせる迫力があった。
チアと、これは逆らうとヤバいやつだとこっそり目で会話する。
素直に正座すると、おりんが腕を組んだ。
「まず、ロロ様。チアちゃんへのフォローがまったく足りていません。まだ十才なんですよ。ロロ様が全体状況を把握していないといけませんよね。何やってんですか? 駆け出しの初心者でもあるまいに」
「うっ……すみません」
本気で怒られた。
正論なので何も言い返せない。
「チアちゃんは危なくなったら逃げるように言われましたよね。約束事を破って勝手な判断をして……それで自分の身を危険にさらして死にかけるって、半人前にもなっていないひよっこが何様のつもりです? ロロ様は、本当に危険だと判断したら、私ごと火精霊を散らすくらいの決断はできますよ」
「でも、それだとおりんちゃんが……」
「そういうリスクも含めてどう動くかを決めているんです。普段は甘えてもいいですけど、ああいう場で甘えた判断をしないように。周りに迷惑がかかるでしょう」
「でも、おりんちゃん……」
「口ごたえをしない!」
おずおずと口に出したチアが、ビクリと、身をすくませる。
「散らばったなら、集めればいいんです。忘れたら、なくしたら、また積みあげればいい。生きていれば取り返しはつくんです!」
おりんは拳を固く握っている。嫌な役を引き受けて貰っているようだ。
あとで猫になった時に撫でてあげよう。
「今度勝手なまねをしたら、アルドメトスさんからの指導が終わるまでは家でお留守番ですからね。次の鐘がなるまでしばらくありますから、それまでそこで反省していてください」
おりんが、いいですね、と念を押す。
次の鐘までなら、感覚的に一時間くらいだろうか。
「ああ、ロロ様はもういいですから、先に身支度を整えてください」
「え、ロロちゃんずるい!」
おりんが、チアににっこり笑う。
「チアちゃんも天狐様たちに四人がかりでお説教されたいのなら、一緒に行ってもいいですよ。空狐さんから聞いた話だと、天狐様たちの力を強引に借りたとか?」
「四人とも!?」
まずい。
神様から力の源であるマナを無理矢理吸い上げるような真似をしたのだ。この国から追放されてもおかしくないし、下手すると殺されかねない。
「命で償えとか言われるかも……」
声をひそめると二人の顔色が変わった。
「そこまでのことをやったんですか!?」
「このまま逃げちゃった方が……」
「殺すのなら、寝てる間にやっている。身支度は済んだか?」
ドアを開けた空狐が呆れ気味の声で言った。
「あ、あーびっくりした。ノックくらいしてよ」
「失礼な。したぞ」
空狐がたしっと肉球でドアのふちを叩く。
「聞こえないよ、それ」
「そこまでは知らん。色々と言われるだろうが、命まで取られはしないから安心しろ」
「そ、そう……?」
「殺すよりこき使った方が効率的だからな」
「……嫌な予感しかしないんだけど」
「笑ってすませられる問題ではないとだけ言っておく。それと、礼を言っておけ。お前の火傷を治したのは天狐様だ」
「え? ああ、そういえば……」
わたしもけっこう火傷を負っていたけど、それも治っている。
「あ……えっと、チアはここで反省してるね。ロロちゃん、頑張って……」
チアは正座したまま、あっちの方を向いた。
裏切り者め。
「おりん、次の鐘まで正座はちょっとどうかと思う」
「ロロちゃん……」
チアの目が期待に輝く。
「お説教付きで、その倍はやらせといて」
「わかりました」
「うぇぇ!?」
おりんに洗浄をかけてもらう。
わたしは寝癖をなおすと、重い足取りで空狐について奥へ歩いていった。