141 チランジアの決意
魔石も、自分のマナも何一つ残っていない。きれいにすっからかんだ。でも、うまくいった。
後ろから体に回された、チアの腕を掴むと完全に炭化したチアの両腕が、ぼろりともげてそのまま地面に落ちた。
「え?」
わたしが振り向いた動きで、ぼろぼろになったチランジアの足が姿勢を維持できずに、そのまま仰向けに倒れる。
「えっ!?」
全身でまともな状態のところがなかった。
術を切らさないための最低限の防御しかしないで、あとの力をすべてわたしの熱さへの耐性に注いでいたとしか考えられない。
なんで生きていられるのかもわからないような状態で、チアはまだ術を発動させようとしている。
「チア、チア、なんで!? もういいよ! もういいから!!」
治さなきゃ。
もうほとんど魔力の空っぽになった魔石を必死にかき集める。だめだ。足りるわけがない。
おりんはまだ高温を放ったまま地面に倒れている。
ストラミネアはおりんをおさえるので精いっぱいだ。
チアの魔力は生命維持にも使われているはずだ。使った瞬間、死んでしまうかもしれない。
今のわたしには何もできない。
何をどうしたらいいのかもわからない。
「チア、どうして!? チア!!」
周りを見回しても、ここには他に誰もいない。
ただ焼け焦げた地面が続いているだけだ。
チアが何かをしゃべろうとしたようだったけど、それはもう聞き取れる言葉にはならなかった。
かろうじて続いていたチアの呼吸が途切れて、チアの心臓の音が――。
「うそ! だめ! だれか、おねが……い!?」
呼ばれて出てきたとでもいうように、チアの胸の上には小さなたぬきちが生えていた。
◇ ◇ ◇
私は物心がついたときから孤児院で暮らしていた。
チランジアって名前は、院長先生が付けた。
家族はいなかったけど、ロロちゃんがいたから寂しくなかった。
他の孤児院の仲間たちもいたけど、ロロちゃんは私にとって特別だった。
いつも一緒にいて、小さい頃はわたしの後ろをついて歩いてた。
ロロちゃんは自分だけ尻尾があるのも、耳が違うのも嫌みたいだった。
ふわふわしてチアは大好きで、そう言ったらとてもうれしそうにしていた。
ずっと一緒にいるって理由もなく思いこんでいた。
でも、ロロちゃんはどんどん一人で何でもできるようになっていった。
九才の時、知らない獣人の人と、知らないところにある獣人たちの村を見にいくって出かけていった。
獣人さんたちが暮らす村があるなんて、そんなことも知らなかった。
置いて行かれちゃうんじゃないかって急に怖くなった。
孤児院を出ていくって言われて、小さい子みたいに泣いて泣いて、ロロちゃんが困った顔をして私を連れてってくれた。
ロロちゃんとおりんちゃんと一緒に暮らし始めてから、おいしいものをたくさん食べさせてもらった。お友達が増えたり、師匠ができたりした。
ロロちゃんのお母さんに会って、ロロちゃんが家族だって言ってくれた。
ロロちゃんのお母さんは、じゃあ私の娘ねって言ってくれた。
うれしくてずっと覚えていようって思った。
ロロちゃんのお父さんとお母さんには、あとで本当にうちの子にならないかってこっそり言われた。
ロロちゃんと一緒にいられなくなったらいやだから、これは秘密。
日国に来て、おりんちゃんが大変なことになって、そしたら、ロロちゃんが私に「助けて」って言った。
今までも頼まれごとをしたことはあるけど、もし私がいなくてもロロちゃんはきっとなんとかしたと思う。
だから、初めてだった。
初めてロロちゃんから本気で助けて欲しいって言われたと思った。
危なくなったら逃げてって言われたけど、ロロちゃんとおりんちゃんを絶対に助けようって、そう決めた。
ロロちゃんと自分の二人を、火の精霊になったおりんちゃんの熱から守る。
完全に守ることは、私じゃできないかもしれないけど。
やってみたら、やっぱりできなかった。
なんとかなるんじゃないかって、どこかで思っていたけどダメだった。
熱が凄すぎた。
でも、逃げないって決めたから。
決めたんだ。二人を助けるって。絶対に守るって。
私の体はどうなったっていい。
ロロちゃんを守れば、きっとなんとかしてくれる。
そのために必要な部分が残っていれば、それでいい。
ずっと一緒にいるって約束を守れなかったらごめんね。
こわくなんかないよ。
最後までやりきってみせるから。
ロロちゃん、おりんちゃんを助けてあげて。
◇ ◇ ◇
胸の上の小さなたぬきちが、光を放ちながらチアの体の中で腕を動かしている。
……心臓マッサージ!?
光を放つたぬきちは少しずつ小さくなっていき、光に触れているところの火傷が、ほんの少しだけ治っていく。
耳が、心臓の動き出す音を拾った。
更にたぬきちが小さくなりながら、体の中で何かを押している。
チアが小さく咳き込んだ。
呼吸が戻った!
いよいよ小さくなったたぬきちが、あとは頼んだと言うように最後にわたしを指してそのまま消えていった。
その手は、わたしの頭上の狐耳を指差していた。
かろうじてチアの命はつながったけれど、このままでは時間の問題だ。まだ助かったわけじゃない。
涙を乱暴にぬぐった。
わたしが今やるのは泣くことじゃない。
チアを助けることだ。
「チア、もう少しだけ頑張って。絶対に助けるから」
こんなに火傷だらけになって。
無茶をして。
それでもわたしならなんとかしてくれるだろうって思ったの?
ばかチア。わたしのこと信じすぎだろ。
いいよ。自称だけど、わたし、お姉ちゃんだから。
妹が……チアが信じるなら、どんなことだってやってやるよ。
魔力はない。
魔石はない。
マナもない。
わたしに残っているのは、小さな縁だけだ。
わたしの過去を見るくらいに、一番太い道でつながっている黒狐へ。
見えないけど、マナを感じられる今ならわかる。つながっている。
だから、できる!
「黒狐姉様、力を貸して!」
黒狐からの加護の道。黒狐へのつながりから、無理矢理にマナをたぐり寄せる。
ほとんど力を失っていた黒狐のわずかなマナを吸い上げた。
その少しのマナを使って、天狐、金狐、銀狐の道を太くする。
「天狐様、金狐ちゃん、銀狐おばあ様、今だけ許して!」
再び、マナをたぐり寄せ強引に吸い上げた。
拒否され、抵抗されるかと思ったが、拍子抜けするほどあっさりとマナが流れ込んできた。
マナで体がパンクしそう。
心臓が馬鹿みたいになって、内臓が口からすべて出てしまいそうだ。
強引に抑え込んでいると、膨れ上がっていくマナが行き場をなくして、尻尾を形作る。二本目、それから三本目の尻尾が生えた。
もうこれ以上マナを維持できない。
チアの体に手を当てる。
大丈夫。まだ生きて、呼吸をしている。
マナの流し方はもう覚えている。
基本の基本、小麦を実らせた時と同じだ。
チアの体にただ治れとだけ思いながら、全ての力を送りこむ。
体が凄まじい速度で、肉が、皮ができ、腕と足が再生していく。元の姿をイメージしたせいか、髪や眉まですべてが元通りに治っていく。
体が急速に重くなってくる。
慣れないマナの操作の連続で、わたしも限界だ。
まだ、もう少しだけ……。
すべてのマナを流しきったところで、もう動く力もなくなり、倒れ込んで目を閉じた。




