14 スタンピードと風の探索者(2)
(引き続きヴィヴィ視点です)
「あれはワイバーンだな」
「数が多いのう……」
空に浮かぶ影は、グリフォンではなくワイバーンだった。
危険度は、グリフォンよりも劣るが、空を飛ぶ厄介な魔物である点は同じだ。
昔、何度か倒したことのある相手ではある。こんな群れになっているのを見るのはもちろん初めてだが。
次々と空へ浮かび上がっているが、こちらへ向かってくる個体はいない。
むしろ、その動きは……。
「遠くてよくわからんが……モンスター同士で争ってるようだな」
「そのままやり合っといて欲しいね」
もう人は残っていないのだから、戦っているとしたらそれは魔物同士でしかない。
しかし残念ながら、しばらくするとワイバーンの不規則な急降下は見られなくなった。
そして、それからすぐに二体のワイバーンがこちらへと向かってきた。
「二体か……ぎりぎりなんとかなるかね」
二体のワイバーンはこちらに飛んできてはいるが、時折チラチラと後ろに視線を向けて、炭焼小屋の洞窟の方を気にしている。
他のワイバーンは、そのまま炭焼小屋の洞窟の上を飛びまわっているままだ。
「……なんだあれ。続いて来ないのか? 魔物の暴走ってのも色々あるんだな」
「ダンジョンから離れたくないのか、離れられないのか……という風に見えるのう」
キセロとタイラーが困惑した声を上げる。
「それとも、まだ身内でやり合ってる最中なのかねぇ。あの二体もこっちに来るか迷ってるようだね」
三人が疑問符を浮かべていると、モンスターが丘を越えて突然その姿を現した。
「ゴブリンライダー! あれを追ってきたのか」
それぞれオオカミに乗った小鬼が三体。
走りやすいからだろう、道を真っ直ぐにこちらに向かって疾走している。
こちらに襲いかかってこようとしているわけはなく、単純にワイバーンから逃げているようだ。
動きに精彩を欠くものの、さすがに飛竜だ。
みるみるうちにこちらとの、正確にはゴブリンライダーとの距離を詰めていく。
ここにきて、ようやくこちらの存在に気がついたゴブリンライダーは、振り返って後ろのワイバーンを確認すると、道をそれて林の方へ向かっていく。
逃げるのを優先したのだろう。
しかし、二体のゴブリンは林にたどりつくことなくワイバーンにやられた。
一体は爪で切り裂かれ、もう一体は乗っているオオカミごと空から足で踏み潰された。
残った一体は、向きを変えて今度はこちらの方へと逃げてくる。
最後のゴブリンライダーへ向かって急降下するワイバーン。
ゴブリンが足の爪で引き裂かれた。
その瞬間、ワイバーンの腕と一体になった左の翼を、風の刃が大きく切り裂いた。
バランスを崩したワイバーンが叫びながら不時着すると、しばらく地面を転がってようやく止まった。
あのワイバーンはもう放っておいていいだろう。
「よし、これであいつは飛べん」
「この距離で当てるとは、鈍ってないのう、ヴィヴィ」
御者台と荷台から降りた三人は、もう一体のワイバーンに対して構える。
ワイバーンも、こちらに狙いを定めたようだ。
「ワイバーン相手に、盾持ちがおらんのは辛いのう」
「仕方ない、せいぜい美味そうな顔で逃げ回るか。頼むぞ、ヴィヴィ」
もう魔力を練り始めている。返事はせずに、キセロに無言でうなずく。
二人が牽制している間に魔力を練る。
風の刃がワイバーンを切り裂くこと二度、最後はキセロとタイラーが飛び掛かって、とどめを刺した。
「ふう、なんとかなったのう」
「次はごめんだね」
「全くだ」
時間的にはほんの少し。しかし、張り詰めた緊張感は、想像以上に体力と精神力を削る。
慣れ親しんだはずの感覚だったが、現役を引退して長い身にはこたえた。年には勝てないようだ。
怯えていた馬を、タイラーが引っ張るようにして歩く。しばらくすると馬はまともに歩き出した。
荷台で進行方向と逆、ダンジョンの方を向いて座ると、キセロと共にワイバーンの群れを眺める。
「来ないね」
「来ても困るんだが」
キセロが苦笑した。
相変わらず叫び声をあげながら、洞窟の上空を飛びまわっている。
その群れが突然割れて、ワイバーンとは違うシルエットが見えた。
存在だけで、肌が粟立つ。
「よく見えないが、多分グリフォンだろうな」
「来ないのを祈るしかないのう」
「あれはさすがにまずいね」
グリフォンは飛竜よりもよほど強力な魔獣だ。獅子のような体に鷲のような頭と翼を備えている。
パーティーメンバーが揃った上でもう三十年若ければ勝ちを拾える可能性もあるが、今の自分たちでは、エサになるばかりだろう。
しかし、神は無慈悲なものらしい。
炭焼き小屋の洞窟の周りを飛んでいたグリフォンが、こちらへ体を向けた。
少しシルエットがおかしい気がするが、近づいてくるのが分かる。
「餌を見た犬じゃあるまいし、一直線……でもないな。迷うくらいなら来るなってんだ。……ああ、ちくしょう。やっぱり来やがったぞ、くそったれ」
「ワイバーンを仕留めたせいかね」
敵と認識されてしまったのだろうか。
しかし、やはり炭焼き小屋の洞窟が気になるようだ。
飛び方に迷いが見える。
「おい、キセロ。お前さんは逃げてもええぞ。わしらはここで死んでも、葬式代が浮くくらいのもんじゃ」
タイラーと自分は家族のいない独り者だ。
キセロは妻を亡くしているが、ジェノベゼにリーナという名の娘が、夫と共に暮らしている。
「もう遅いな。なに、勝てばグリフォンの素材で一攫千金、死ねばヴィヴィの店のツケがチャラになる。どのみち丸儲けだ」
「その時は娘のところまで取りに行くよ。あの世で蹴っとばされたくなきゃ、せいぜい自分で返すことだね」
「お厳しいことで……馬を囮にするぞ、馬車の陰に隠れろ!」
飛び降りると、馬車の荷車の陰に隠れて様子を伺う。
普段は魔力で生きている、ダンジョンの魔物だ。腹をすかせているかもしれない。
狙い通り馬を襲ってくれれば、そこで何とか手傷を負わせたいところだ。
「嘘だろ……」
しっかりと視認できる距離に近づいたグリフォン。
その独特なシルエット。
グリフォンは、双頭だった。
「……ツーヘッドグリフォン」
Sランクモンスター。
ツーヘッドグリフォンは、昔見たことのあるグリフォンと比べると一回り大きかった。
その分の耐久力やタフネスさは備えているだろうが、身体能力的にはそれほど変わらないと聞いたことがある。
こちらが隠れているのを見て、距離を置いて着地したツーヘッドグリフォンが、二つの口で金属を擦り合わせるような独特な声色でギュリギュリと鳴いた。
見る間に、ツーヘッドグリフォンの前に風が渦巻き、竜巻を作り出す。
――早速か!
これが、この魔獣がSランク指定される理由である風の魔術だ。
あんなものを繰り出されれば、人どころか、馬も馬車ごと空に巻き上げられてしまうだろう。
もう隠れている場合ではない。
「風刃ッ」
準備していた魔術を撃ち込む。
風の刃は竜巻に吸い込まれていった。
ツーヘッドグリフォンのこちらを見る目が、あざけるように細く歪む。
「あんまり舐めるんじゃないよ」
放った風の刃が、竜巻を切り裂いてツーヘッドグリフォンに迫る。
予想外の事態にとっさに反応できなかった魔獣の、体正面に真一文字に傷をつけた。
とはいえ、さすがに与えた傷は浅い。
一瞬の竜巻の弱まりを見逃さずに、キセロとタイラーが飛び出した。
驚愕と怒りに震えるツーヘッドグリフォンが、先程と似たような声をあげた。
竜巻がすさまじいスピードで巨大化していく。
「風よ」
飛び出した二人のために風を起こして勢いを弱めようと試みるが、ツーヘッドグリフォンの魔力を吸って竜巻は逆に力を増していくばかりだ。
「ぬううううん!」
激しさを増す竜巻に、これ以上近づくのは無理だと判断したのだろう。
唸り声とともに、タイラーが戦斧を投擲した。
竜巻の影響をかろうじてねじ伏せた斧が魔獣へ向かう。
キセロは全身全霊で絞り出した最大限の身体強化を引っさげて、タイラーの戦斧を追うように走りだしている。
ツーヘッドグリフォンが斧を前足で跳ね飛ばすと同時に、一つの頭が鳴くのをやめ、キセロを睨みつけて吼えた。
次の瞬間、広範囲に風が炸裂してキセロがタイラーのそばまで吹き飛ばされた。
たいしたダメージはないらしく、すぐに起き上がって剣を構えたキセロの、その体が浮いた。
「ぬおっ!?」
間一髪、キセロの足をつかんだタイラーがなんとか地面に引きとめるのに成功した。
なるほど。今のキセロを吹き飛ばした一撃は、竜巻を巨大化させるための時間稼ぎだったらしい。
更に力を増した竜巻に、接近を諦めたキセロとタイラーは、ほとんど腹ばいのような体勢で戻って来るとなんとか馬車に体を寄せた。
キセロの舌打ちが風の音に紛れてかすかに聞こえる。
こちらも限界だ。維持していた風の魔術を止めて馬車に身を寄せた。
あの竜巻は、もう馬を持ち上げるどころか、家でもあっという間にバラバラにしてしまう威力だろう。
吹き飛ばされないよう必死に耐えているが、完成した竜巻をこちらに放たれたら、それでこちらはお終いだ。
もう目を開けているのも難しく、魔獣の姿もろくに見えない。
「いよいよ年貢の納め時かね」
「たかだか、俺たち三人相手に豪勢なことだ」
キセロが観念したように笑う。
次の瞬間、竜巻の向こうにあるツーヘッドグリフォンの影が飛び上がった――ように見えた。
地面から唐突に生えた数本の黒い刃が、肉を裂いて突き立ち、貫き、その体を持ち上げたのだ。
二つの口からそれぞれ憤怒と悲鳴の叫びをあげて、ツーヘッドグリフォンがもがく。
ワンピーススカートをひるがえして、その眼前に少女が飛び込み杖を振るった。
目が眩んだ。
雷光と轟音、魔獣の断末魔の悲鳴、そして、肉の焼け焦げる匂い。
ようやく目が見えるようになれば、そこには黒焦げになって絶命したツーヘッドグリフォンの姿があった。
その横には、黄金の杖と漆黒の剣を持った銀色の髪の獣人の少女が立っている。
少女の持つ杖の先の魔石が、乾いた音を立てて割れた。