137 ちょっとだけ修行中
これで三回目になる、毎回変なところを通らされる鳥居の結界群を通り抜けて天狐のところへ向かう。
「今回は前よりはマシだったね」
「前回は暑かったですからね。ぬかるんでいましたけど、地面が悪いのは靴の力で無視できますしね」
天狐の空間にいき、前に会ったところに行く。
人の姿をした天狐とともに、一匹の狐と山奥で釣りでもしているのが似合いそうなひげをたくわえたお爺さんが座っていた。
「おう、来たな。銀狐の方は終わったらしいな。大蛇退治とは、なかなかやるじゃねえか。約束通り修行をつけてやる。っても、やるのは私じゃなくて、こいつらだけどな」
青みがかった白い毛の狐とお爺さんが名乗った。
「弟子の空狐だ。お前の修行は私がやる」
「わしは仙術師と呼ばれておるキササゲという者じゃ。そちらの娘がチランジアか。お前の修行を三日だけ酒代としてやることになった」
「ってわけだ。これから田植えが始まる時期だからな。悪いが私は暇じゃなくなるんだ。しばらく戻ってこないからそのつもりでいろ」
ああ、そろそろ豊穣神の仕事が始まる時期なのか。
本業だもんね。
天狐は通り過ぎざまにわたしの頭をポンと一つ叩くとそのまま出ていった。
修行用的なものなのか、弱い加護をくれたようだ。
空狐が立ち上がる。
「では早速始めるとしよう。ついて来い」
「ああ、その前にちょっといいですか」
屋敷外の空いているスペースにストレージ内にある家を出させてもらう。
「おりんはここで休んでいなね。ストラミネアもついていてあげて」
「じゃあ、そうさせてもらいます」
「了解しました」
おりんには家で寝てもらっておこう。
キササゲが腕を組んだ。
「……なかなか非常識なものを持っておるのう。どれだけの空間を圧縮しているのだ……」
仙人だか仙術師だか、聞いたこともない存在に言われてまった。
じいさんの存在の方が非常識そうな気がするけど。
あとわたしのは別空間系を使ってるので空間圧縮系じゃないよ。
「そうですか? ところで、チアの修行って何をするんです?」
「その娘は適応力が非常に高いのじゃろう? わしも同じでな。その力をのばすための方法を少しの」
「キササゲさんもチアと同じ……」
適応力をのばす……燃やされても平気になったりするとか? それとも今以上にチアの成長力があがったりするんだろうか……?
「うむ。まあ、詳しくはまた酒でも飲みながらの」
「じゃあ、いってきまーす」
出かけていったチアと別れて、わたしは空狐とともに庭のような場所に移動した。
空狐が一粒の麦を肉球の上にのせた。
それが、いきなり発芽する。
「豊穣神である我らは、マナを使ってこのようなことをできる」
「おおー」
思わず拍手すると、空狐がわたしに麦の粒を渡してきた。
「お前にはこれをやってもらう」
「……どうやるんです?」
「先ほど天狐様がお前に加護を授けた。お前も我らと同じようなことができるようになっている。マナを流し込みさえすれば同じことができるはずだ」
流し込む。魔力操作みたいなものか。
マナを操作して流しこめばいいわけだ。
「加護と共に天狐様からマナも得ている。私がお前の内にあるマナを操作して実際にやってみるので、感覚をつかめ」
うん、その辺もほぼ魔力操作と同じだな。
空狐がわたしに肉球で触れると、手のひらの上で麦から芽がでた。
「まったくわかりません」
「……まあ、そうであろうな。何か月か、何年かかかるだろう」
「へ? そういう感じなんですか?」
「別にたいした時間でもなかろう」
「普通の人間にはたいした時間ですよ! ちょっと考えるんで待ってて下さい」
「ほう?」
空狐が面白げな顔をする。
チアの修行が終わる三日以内になんとかしてやるからな。
「今、マナってわたしのどこにあるんですか?」
「主に尻尾だな。耳にもあるが」
魔力に慣れ過ぎているせいか、つい魔力的なものをイメージしてしまうな。
それがいいことなのか、悪いことなのかはわからない。
「もう一度お願いします」
「もちろん、よいぞ」
尻尾に意識を集中してみる。
麦からにょきにょき芽が出てきたけど、何も感じない。
うん。だめだ。わからない。
マナを感じ取ったり、探知することは、魔法を使って神の眼の力を借りたとしてもできない。
感じとるには……。
「空狐様はどうやって……」
「空狐でいい」
「空狐はどうやって感じとってる? 五感じゃないんだよね」
「五感ではない。ただ、暑さを肌でどのように感じるか説明しろと言われても難しいだろう? 感覚的なものだ。説明はできんよ」
「うーん……」
ラウの用意してくれた魔石の中で大きめなものを取り出す。
今、目の前にはマナを感じとれる存在の空狐がいる。
なんだかこっちに来てから慣れてしまっているが、直接神と邂逅するという転生前には一度たりともなかったような、とてつもなく貴重な機会なのだ。
空狐の腕を持って、犬にお手させているような体勢になった。
「何をするつもりだ?」
「五感ではない……。空狐、もう一度やって」
「ふむ?」
魔石に術式を描きだし、目の前の空狐という存在を喚ぶ。
感覚というよりは認識だろうか。
空狐の知覚と認識……のようなものをわたしの中に召喚する。
「お前、正気か!?」
どこまでも落ちていくような、どこまでも昇っていくような奇妙な浮遊感に包まれた。全身を絞られるような、内臓が体の中で引きずり回されるような気持ち悪い感覚が走る。
情報が押し寄せてくるのに、実際には体は何も感じていないのもどこかで理解していた。
そして、それとは別に、温かな力の流れを見つける。熱を感じるわけではないけど、でも暖かく眩しさを感じるような、そんな感覚があった。
――これが……!
すぐに魔石が砕け散った。
全身から冷や汗が噴き出して、中身を鉛に入れ替えられたみたいに頭が重くなり、視界が揺れる。
体のバランスが取れなくて、地面に転がった。
その地面も揺れていてあっちやこっちへ斜めになっている感じがするが体が滑っていかないので、きっと地面は平らなままだ。
気持ち悪い。
胃がひっくり返りそう。
耳鳴りの向こうで、空狐がしゃべっているけど、声が三重くらいに聞こえていて、聞き取り辛い。
「馬鹿かね、お前は。実体を持たない私の知覚を生身で感じようなどと、自分で自分を拷問する趣味でもあるのか。私だからその程度で済んだものの……もっと上の存在相手なら廃人になってもおかしくないところだぞ」
言い返したいけど、しゃべる余裕はない。
結構な時間休んでからようやく口を開いた。
「いやあ、いけるかなと思ったんだけど……。でも、一瞬だけどマナを感じたよ」
あの気持ち悪い感覚の中で、たしかにそれを感じ取れた。
「無茶をする。せめて実体のある黒狐か金狐にすればよかったものを」
「でも、目の前にいる空狐じゃないと、マナを動かしてる感覚とかわからないし……」
「ふむ。それなら黒狐のところで修行した方がよかったのかもしれんな」
「とりあえず感覚残っているうちに、もう一回さっきのやって」
「……ああ、わかった」
手の中で麦が芽吹く。
やった!
今度はマナの動きを感じとれる。
「これを動かす……」
魔力とは違うけど……こんな感じ?
違うか。
うーん……。
強引な方法でマナの感覚はわかったけど、どうかな。
体にある目に見えない力を操る。
似て非なるものだけど、それを三百年やってきた。
星眺の魔女ソフィアトルテにもできたことだ。
魔法を極めたとは思ってないけれど、それでもそうそう負けていられないぞ。
こういうのはまず自信を持つのが大事だ。
わたしにはできる。
できるはずだ。
うーん……これならどうだ?
こっちなら?
あっ、反応した。
それなら、こうかな。
手の中で空狐がやったように麦が芽吹いた。
「なっ!?」
「こんな感じ?」
「……天狐様が人の子にわざわざ修行をつけるなどと言い出したのには驚いたが、これほどの……。たった一日でとはな」
「にっへっへっへ」
「気持ち悪い笑い方をするな」
うるさいなあ。余計なお世話だよ。
神々の領域へ、まずは一つ目の門をくぐってやったぞ。
「これからどうする? 反復練習とか?」
「いや、感覚を召喚するなどという無茶をしたのだ。今日は終わりにしておこう。キササゲは三日間と言っていた。そちらに合わせてあと二日間、明日からはもう少し応用的なことを教えておいてやる」
「ん、わかった」
家に様子を見にいくと、おりんはネコ姿で眠っていた。
「どう?」
「まだ体温管理が難しい感じで、ちょっと体がフワフワしてます。このまま寝てますね」
「うん、わかった」
成果を自慢したいが、だるそうなのでまた今度だ。
あっさり話を打ち切った。
チアが戻ってきたところで、屋敷の方で空狐とキササゲさんに食事とお酒をふるまった。
チアの方も順調だったらしい。
お腹へったー、とパクパクご飯を食べている。
「なるほど、こりゃうまい。役得じゃのう」
「ほう、これはいけるな」
空狐は案の定というのか、いなり寿司や揚げ出し豆腐が気に入ったようだ。
キササゲは食事はそこそこに杯を傾けている。
チアの方はどんな修行をしていたのかな。
いい感じにキササゲにお酒がまわってきて、ご機嫌になっているところで聞いてみた。
「自然と同化するというか、自然そのものになるというべきか……。常人でもできるが、我らのような者は魔力で自然に同調できるのでコツをつかむのが早いわけじゃな」
自然と一体化……。
「いずれはあらゆる環境に順応できるようになり、できることも増えよう……それをわしらは仙術などと呼んでおるわけじゃが。そして、最後には精神さえも自然と一体化し仙人となるわけじゃの」
「はあ……なんか精霊みたいですね」
あれも自然の意思の顕現したような存在だし。
「そうじゃ、よく気付いたのう。空狐殿に修行をつけてもらっておるだけのことはある」
「……は?」
キササゲが上機嫌に笑う。
精霊になる……?
ハイエルフやエルダードワーフでもない、ただの人族が?
「あくまで修行の末に行き着いた最終地点じゃよ。そこまで至る者は稀も稀じゃ」
「あ、ああ。そうですよね」
チアに目線をやると、食べすぎでひっくり返っていた。
精霊に食べすぎという概念はあるのかな、と関係ないことが頭に浮かぶ。
「チア、そのまま寝ないでよ」
「は〜い」