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105  成り代わらなかった少年

 アルドメトスも屋敷にいつまでも呪われた絵を置いておきたくないようだし、絵描きの主人であるアルドメトスの伯父も早く解決してしまいたいらしい。

 

 アルドメトスと共に、絵描きと直接話をするために彼の伯父の屋敷を訪ねた。

 知らない貴族の屋敷に行くのもあって、おりんとチアはお留守番で今回はわたし一人だ。


 屋敷にはなんともなかった三人の絵のモデルの一人、ヒゲのおじさんことアルドメトスの伯父がいた。

 自分は絵を描かれても平気だったわけで、今回の件を最初は言いがかりだと思ったそうだ。


「疑いを晴らすいい手はあったか?」 

「伯父貴、それなんだが試してみたいことがあるので、この娘の絵を描いてもらいたい」

「この獣人の娘を?」

「子供だが、魔術師長の知己でこの手のことについては右に出る者のいない専門家だ。今回は解決のために私から依頼している」


 アルドメトスが有無を言わさない口調でわたしを紹介する。

 紹介内容がオーバーな気がするけど、断られてアルドメトスもずっと家に絵があっても困るもんね。


「この子供が、か? 獣人だぞ」

「それが? これ以上の者となると、私の知る限りでは魔術師長殿本人しか心当たりがない」

「むう……。わかった。そこまで言うならいいだろう。チタノタを呼んでくれ」


 噂の絵描きが連れてこられ、紹介された。


 若いな……まだ少年と言っていい年齢だ。わたしよりかは年上だけど。

 気の弱そうな子だ。

 おどおどしている様子の少年の右手には、似合わない手袋がはめられていた。


 絵を描くのにいつも使っているという部屋に案内してもらう。


「ロロナだよ。今日はよろしくね」

「あ、はい。よろしく……。その、希望があれば、天気もいいので庭とかテラスとか、あとは他の部屋なんかでも大丈夫だけど……」

「ううん、ここでいいよ」


 アルドメトスは手前の部屋で雇い主のヒゲのおじさん貴族の相手をしてくれている。


「描くのに、希望はある……ありますか?」

「お任せでいいよ」


 しばらく紙に線を走らせていた絵描きの少年に声をかけた。


「絵の具は使わないのに、線は引くんだね。君の能力を使って描いて欲しいんだけど、いつもは見えないところで使ってるのかな?」


 チタノタの手が止まる。

 ギョッとした顔でこちらを見た。


「わたしは、君が絵を描いたせいで起こった事件を解決するために呼ばれてるの。もう絵は調べさせてもらっていて、あの絵がどういったものかも、あの絵が原因だってことももうわかっているんだよ」


 ハッタリだ。それほどの情報はこちらにない。

 さあ、どんな反応をしてくるか。


 手の中に握った魔石に力がこもる。


 絵かきの少年の手が震え、はっきりと青ざめた。

 演技ではなさそうだ。


「……その、君みたいな子供が?」

「チタノタだって似たようなものでしょ? 実力があれば年齢は関係ない仕事もあるんだよ」


 相手も若いからこの辺はごまかしやすいな。

 さて、ここは問い詰めるよりも懐柔してみるか。


「わたしの仕事はできるだけ丸く収めることだから、信用して全部話してくれないかな。そのために、わざわざ二人きりで話をしているんだからね」

「その、こんなことになるなんて思わなかったんだ……。伯爵様のために役に立てると思ったのに……」


 ウソをついているわけではなさそうだ。

 本当に予想外だったんだろう。


「君が描いた十一枚の絵は、調べるためにすべてわたしの手元にある。今ならまだうまく誤魔化して何もなかったことにもできるかもしれないよ」

「……ホントに!?」


 秘密裏に処理してしまえるという提案に、チタノタが反応した。

 チタノタがほんの少しだけ考えてから答えた。


「……わかった。全部教えるし、できることはやるよ。なんとかして欲しい。お願いだ」


 懇願するようなチタノタの言葉に、わたしは緊張を解いた。


「チタノタの力は生まれつきなの?」

「いや、もらい物なんだ。多分、その、良くないものからの……」

「良くないもの……」


 チタノタが自分のことを話始めた。



 ◇ ◇ ◇



 チタノタは荷車の事故で右手をなくした。

 それから、半人前以下の働きしかできないチタノタは、有り体に言えば村を追い出された。

 貧しい村には彼を養うまでの余裕はなかったのだ。


 町に行けばなんとかなるだろうとたどりついたものの、村の物知らずな少年は、施療院や孤児院なんてものも知らなかった。

 路地で死にかけているところを今の雇い主の伯爵……正確には、その奥さん偶然拾われたらしい。


 おかげで飢えることはなくなり、屋敷で人目につかない下働きの仕事をさせてもらった。

 しかし、その生活も決して楽しいものではなかった。同僚には邪険にされるし、仕事ができないやつだと罵られる日々。

 仕事を教えてくれた年の近い同僚には、ことあるごとに言われた。


「お前、こういう仕事向いてないよな」


 片手のないチタノタに、向いているような仕事なんてあるわけもない。

 道端で乞食でもやっていろということだろうか。


 チタノタの心は病んでいった。


 好きでこんな体になったわけじゃない。

 もし自分があいつだったら、僕みたいなやつにだって優しくしてやるのに……。


 周りからはいつもヒソヒソと声が聞こえる。また自分を馬鹿にしているのだろう。


 あのメイドのおばちゃんには三人の子供がいる。いつも子供自慢している子供たちには、僕みたいな出来損ないなんていないんだろう。そんな子に生まれたかった。


 ああ、あの立派な鎧を身につけた伯爵に仕えている騎士、カッコいいなあ……。自分もあんな風になれたら……。


「その日は森に行ったんだ」

「森に?」

「ああ、その……泣きたくなった時に、よく行ってたんだ。それで、木の上から声をかけられたんだ。お前、いい気配を出しているな……って」

「陰鬱になってるチタノタに、いい気配……ね」

「ああ。それで、そいつが代わりの右手をくれたんだ。いきなり腕を斬り落とされて、気付いたら新しい右手がついてたんだ。これを使ってお前の好きなものに成り代われって。気に入らない連中や、うらやんでた連中が持っていたものを、すべてお前のものにしてやれって」


 でも、チタノタがそれを実行に移すことはなかった。


 何者からか腕をもらったというチタノタを、屋敷の者たちは、神様のお慈悲だと言って祝福した。それは普通の手とは違ったけど、それでもチタノタは腕を取り戻したのだ。


 チタノタの真似をして森で何かをもらおうとし、空振りに終わった者から難癖をつけられたが、同僚がお前は五体満足だろ、阿呆と言われて追い払ってくれた。


 そして、右手を得たチタノタは気がついた。

 ずっと感じていた自分を非難する声の半ば以上は、卑屈になっていたゆえの思い込みによるものだった。 


 冷静になって周囲を見せば、イヤなやつも確かにいた。

 でも、そうでない人の方が彼の周りには多かった。

 難癖を付けてきたヤツも、追い払ってくれた同僚のおかげもあってか、前から嫌なヤツではあったけどすべてを奪ってやりたいと思うほどの恨みはわかなかった。


 それでも復讐の火を心に灯して、こっそりと自分を追い出した村の様子を見にいったこともあったそうだ。

 だが、村からいなくなっていたのは自分だけではなかった。


 貧しさから、二束三文のお金でよそに売られた子供たちがいたのを知ってしまった。村の知っていた子の中には、今の自分よりもっと過酷な環境におかれている者たちがいた。

 自分は売り物にならなかったおかげで、伯爵に拾われた。結果的に運がよかったのだ。

 復讐の心はすぐにしぼんでしまった。


 結局チタノタにはすべてを奪い去ってしまいたいような者は見つからなかった。


 一人前の仕事をなんとかこなしながら、チタノタは手に入れた右手について調べていった。

 自分を他の者に塗り替えれば、そのものに変化できることや、変化すると相手の力を少しずつ奪うことなど……体の一部だけ変化させ実験した。

 ある日、自分以外のものを塗り替えれることに気がついた。


 試しに床に描いた人物画は、いつまでもそのまま残っていた。

 油断してうっかり同僚に見られてしまったが、彼はそれを見て言った。


「めちゃくちゃ上手いじゃないか。やっぱ、お前には使用人の仕事は向いてないよ。お前が向いてるのは職人とか、そういう、なにかを作るような仕事だと思ったんだ」


 それからすぐに伯爵に認められて、チタノタは絵描きとしての修行を始めた。


 能力を使って描けば楽だが、絵を描く楽しさの虜になったチタノタは能力無しでも描けるように必死に修行した。

 もしあいつが腕を取り返しに来たら、と怖かったのも大きかった。


 それでも、写し取る力を持った右手の能力で描くほどにはなかなか至らない。

 そうこうするうちに、王都で仕事をしてみないかと伯爵に連れて来られたのだった。


 その頃は能力で絵を描いても、消して同じキャンパスに描いていたせいで同じ絵がずっとそのままになっていることはなかったそうだ。

 そのため、描いた絵まで相手の力を吸い取るとは思わなかったらしい。

 唯一そのままだった伯爵の絵が、生気を吸い取るなんてことを起こさなかったのもあったようだ。


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