102 ロロナ、母に会う その2
「すぐにお茶をご用意いたしますので、ゆっくりお座りになってください」
「あ、ああ……そうね、ごめんなさい。うれしくてつい……」
マリッサがお茶を淹れてくれた。
「ロロナ……その、クレアって呼ばせてもらってもいいのかしら」
「どうぞ。わたしは孤児院のロロナですけど、お母様の娘のクレアでもありますから」
セレナが、ホッとしたように息をつく。
「そう……ありがとう。孤児院と言ったけど、クレアは今までどこにいたの?」
「はい。王都でなくて、ナポリタの孤児院です」
「どうしてナポリタに……? それに、そちらも一度はあたってみたことがあったはずなのだけど……」
正直に言うのはここでは避けておくことにする。
セレナと事情を知らない第一夫人との間にあつれきを生んでも仕方ないし、不幸な偶然で押し通しておこう。
「王都の孤児院がいっぱいで、ナポリタに運ばれたらしくて……。そちらでは、獣人だからトラブルにならないようにと、あまり表に出さないようにされていたみたいです」
その頃ひどい凶作があって、王都の孤児院の状況が悪かったのは一応本当のことで、わたしの兄弟の何人かもその時に捨てられた子たちである。
そして、森に捨てられていたという発見経緯から、院長がわたしを表に出ないようにしていたのも事実のはずだ。
「……そうだったの……。あの、あなたを孤児院に送ったのは捨てようとしたわけじゃないのよ。それだけは信じてちょうだい」
「大丈夫です。わたしが孤児院に送られた経緯は調べましたから。ストラミネア、姿を見せて」
わたしが事情を知っていたことに、セレナとマリッサが驚いた。
当時でも本当に限られたものしか知らない情報だからね。
空気がゆらいで、ふわりと風が吹いた。
法衣をまとったような姿でストラミネアが現れる。
「風の精霊のストラミネア。彼女も、わたしの家族です。彼女に調べてもらいました。……ん、もういいよ」
一礼してストラミネアが姿を消す。
「加護の……おかげなのかしら。それよりもクレア、あなた……」
「はい?」
「他にも家族がいるなんて大事なことは、先に言ってくれないと……それに、なんで帰らせちゃったの? まだあいさつもしていないでしょ?」
「え、あの……ごめんなさい」
ストラミネアが慌てた様子で再び姿を現した。
「初めまして、ストラミネア様。いつも娘がお世話になっております。すみません、娘が失礼を……」
「あ、はい。初めまして、ストラミネアです。あの……私はロロ様にお仕えしている身ですので、様付けはやめていただけると……」
それから、孤児院の生活や、兄弟たちの話、それからすでに自活している話なんかも伝えていく。
一応、安心させるためにきたわけだからね。
「あの、そろそろおいとましなければ、ずっと明かりがついたままなのも不審に思われるのでは」
話が途切れたタイミングで、おりんが少し申し訳なさそうに言った。
耳と尻尾についてはまだ聞けていないのだけど、それはまた今度でいいだろう。
無事に接触できたので、今日はこれくらいでよしとしよう。
最後まで落ち着いた態度で通せたかな。
「そう……そうね」
「お母様、今度来るときは新しいカーテンを持ってきてあげる。光を全然通さないのがあるから」
「あら、寝坊しちゃいそうね」
わたしたちが帰るので悲しそうにしていたセレナが、少しだけ笑った。
部屋を出て、廊下に移動した。
チアがセレナにあいさつして、頭を撫でてもらっている。
部屋の入り口で見送るセレナに、なにか忘れものをしているような気持ちになる。
なんだろう。
まただ。
言葉にならない感情があふれそうになるのを抑えこむ。
チアが珍しく心配そうな顔でわたしをのぞきこんできた。
「ねえ、チアにエンリョしなくていいんだよ。チア、ロロちゃんにエンリョしたことないよ」
えんりょ……? どうして……?
おりんもわたしにだけ聞こえるような声で、言い聞かせるようにささやいてきた。
「ロロ様の心は、この前十才になったばかりの子供のロロナちゃんでしょう。無理に感情を抑えすぎですよ。そんな……泣きそうな顔をしないでください」
泣きそうな顔? ……だれが?
思わず自分の顔に手をやる。
涙があふれてきて、頬を伝った。
……え? なんで?
「チアちゃん、先に外に出ても大丈夫かちょっと見てきましょうか。ストラミネア、あなたも手伝いなさい」
「セレナ様、またねー」
「そういえば、ティーカップがそのままでした。ちょっと片づけておきませんと」
みんなが急にいなくなって、セレナと二人きりにされた。
「クレア?」
セレナが……お母さんがわたしの頭を撫でた。
ああ、そっか。
今のわたしは、クレアでいいんだ。
目の前にいるのは、ずっと会いたかったお母さんなんだ。
母が塞ぎこんでいると聞いた時、それだけ自分が想われているんだと本当はうれしさも感じていた。
でも、そんな気持ちはおりんやストラミネアや孤児院の兄弟がわたしの家族なんだからと、蓋をして無かったことにした。
わたしが喜ぶのを見たら、きっとチアたちは寂しがって、傷つくと思ったから。
本当は母に想われていると知ったその時から、わたしはずっと泣きたかったんだ。
ボロボロと涙がこぼれた。
抑えこんでいたものがあとからあとから湧いてきて、でも涙で言葉にならなくて、お母さんにすがりついた。
言いたいことはたくさんあるのに、涙が邪魔をしてうまく言葉にならない。
「わたし、も……本当はすごくお母さんに会いたくて、今日会えてうれしかったの。でも……チアは親がいなくって、おりんももう家族はいなくって、二人がわたしの家族で……だから、わたし……」
「そう。それでも、あなたのことを思いやってくれたのね。優しい子たちね」
「うん、チアはね……わたしが、小さい時に耳とか尻尾とか、みんなとちがうのがイヤだった、時も……ふわふわしてて好きだって言ってくれたの。寒い日にいつも一緒に寝てくれるの。昔、わたしが寒くて寂しいって言った、から」
話しながら思い出す。そう、チアはいつだってそんな子だった。
お母さんはずっとわたしの頭を撫でている。
「おりんは、いつも見てないところで頑張ってくれるの。それで、抱きしめたら、柔らかくてふわふわしてていつもいい匂いがするの」
「そう……」
「お母さん……わたし、みんながいたけど……一人じゃなかったけど、本当は寂しかった……」
でもそれは、孤児院の誰もが同じで……きっと口に出したらいけないことで……。
だから、わたしたちは身を寄せ合って『兄弟』をしていたのだ。
優しく包み込むように抱きしめられた。
「……ごめんね、そばにいてあげられなくて。わたし、お母さんなのにね」
母の声が涙で滲んだ。
「本を読んであげたり、一緒に寝てあげたり、お母さんも本当はしてあげたいことがたくさんあったの……」
「ううん。いいの……わたし、ずっとこうして欲しかっただけだから……。今、してもらったから。お母さんが、わたしの思ってたお母さんだったから」
ああ、そろそろ行かないと。
でも最後にもう一つだけ……。
「ただいま……ママ」
「おかえり、クレア」
息ができなくて苦しいともがき始めるまで、わたしは母に思い切り抱きしめられた。
「ねえ、クレア。二人きりの時だけでいいから、またママって呼んで欲しいな」
「わたしもう十才だから、ダメ。恥ずかしいから」
◇ ◇ ◇
家に帰って、ベッドの上で転がっている黒猫を抱き上げた。
「今日はありがとう。なんだか知らないうちに我慢しすぎちゃってたみたい」
「いえいえ。だてに子守りメイドを長いことやってたわけじゃないですからね」
うっ、おりんに子供扱いされている。
わたしは三人分の記憶で出来ている『わたし』で、人生経験的には結構な年数がある。
その割に精神年齢は十才しかないので、おそらくその辺がアンバランスなのだ。
今回は母親に会えることのうれしさに期待や不安が入り混じって、感情がたかぶって気持ちが乱高下した。
更にそれをチアやおりんに隠そうと必死に蓋をして、あとは母にしっかりしている様子を見せようとしたりと、とにかく感情を抑えた。
記憶にある大人の『わたし』だったら飲み込めた感情は、まだ十才の『わたし』が飲み込むには大きすぎた。
そのせいで、わたしの中、特に元々ロロナだった部分が爆発してしまったようだ。
精神年齢が記憶に追いついていけば解決する問題だとは思うけど……あんまり溜め込まないように気をつけよう。
「チアもありがと。ごめんね、チアも両親がいないのに……わたしのワガママに付き合ってもらって」
理由をつけて会いたがっていたのが、今ならわかる。
わたし――ロロナは、お母さんに会いたかったんだ。
「いいよ~。ロロちゃんのおかげで、チアにも『ママ』ができたんだから」
「……聞いてたの?」
自分でも赤くなっているのがわかるくらいに、顔が熱くなった。
「チアもセレナママって呼んでいい?」
「もー、この子は〜……」
チアの両頬をぐにぐにして引っ張る。
「チア、ありがとね」
今日だけじゃなくて、今までのたくさんのことに。
チアのおでこにキスをする。
「まあ、自分のこととなると、案外と無理しているのに気付かないものですからね」
「チアがロロちゃんよりもロロちゃんのことわかってるから大丈夫! ロロちゃんも、チアのことチアよりわかってるもんね!」
そういえば、そうかもしれないな。
「そっか。じゃあ、ずっと一緒にいないとだね」
「うん、ずっと一緒だよ。姉妹だもん」
チアが飛びついてくる。
「私が見た範囲ですと、姉妹はお互いが結婚すると、あまり顔を合わせなくなることが多いですが」
「……ストラミネア、ちょっと空気読んで」
さっきまで静かだった精霊が、横からいらないことを言ってきた。
少し考えて、チアが答える。
「じゃあ、チア、ロロちゃんと結婚する」
「やめて」




