101 ロロナ、母に会う その1
父親と第一夫人は領地にいるが、母親は王都屋敷の離れで引きこもりのように暮らしているらしい。
「おりん、おかえり」
屋敷の近くの通りで、戻ってきたネコ姿のおりんがじっとわたしの顔を見つめる。
肉球が冷たそうだ。寒いし抱っこ希望かな?
白靴下の黒猫を拾い上げた。
「ロロ様はお母様似だったみたいですね」
「ん? ……ああ、そうなんだ」
わたしの顔を見ていたのはそういう理由か。
「うまくいった?」
「窓をひっかいて呼んだら部屋に入れてもらえたので、手紙のつけたスカーフごと外して置いてきました。部屋には一人だけだったので大丈夫です」
「そっか」
屋敷の他の者に知られないように、母親に会うときはこっそり訪れる予定だ。
獣人のわたしが子供であることはおおっぴらにできない。
騒がれても困るので、先におりんに手紙を渡してもらいにいってもらった。
「信じてもらえますかね」
「まあ、猫が手引きする賊なんていないでしょ。第一夫人の差し金にしちゃ今更すぎるし」
もしいるなら、家中の魚とか盗んでいきそうだな。
離れにいるんだし、賊ならそんな手間をかけずに押し入ればいい。
「それもそうですね」
「夜遅くなりそうだし、今日は昼寝しとかないとだねー」
◇ ◇ ◇
「今は警備詰め所の者たちは休憩していますね」
「了解。じゃあ、さっさと行っちゃおう」
少し前、すぐ近くに警備隊の詰め所ができたのだ。
貴族街と平民街の境目だからといった感じの理由にされていたけれど、多分宰相がわたしを気にかけて作ったものだと思う。
わたしが紐付きの使用人を屋敷に入れるのを嫌がって誰にも派遣を頼まなかったから、トラブル除け、兼見張りだろう。
わたしのせいで変なところに配属されて少しかわいそうなので、ちょくちょく差し入れをしてあげている。
防犯装置としては、いてくれると助かるのも事実だし。
いつもならそろそろ寝ているだろう時間に、人のいない通りを移動して目的のお屋敷の近くにいく。
一息ついていると、チアがあくびをした。
息が白い。
「専属使用人の中年女性も一緒にいるかもしれません。もしもそれ以外の者がいたら、警戒されているということで中止ですね」
ストラミネアはわたしたちの周りを見張ってくれている。
すぐにネコに姿を変えて先に様子を見にいっていたおりんが戻ってきた。
「専属の使用人だけでした。行きましょう」
ちょっと緊張するな。
あれ? なんで緊張しているんだろ?
「なんだか、ドキドキするねー」
「なんでチアまでドキドキするの」
「ロロちゃんのお母さんに会うんだもん。絶対に美人だよね」
もしかして、わたしも自分の母親に会うことに緊張しているんだろうか。
別に今更何かを期待しているわけでもないはずなんだけど……。
わたしの家族はおりんとチアを含めた孤児院の兄弟たちだ。
親の元に戻る気もない。
ただ、まだわたしを捜していたり、死んでいると思っていたりするのなら、少しかわいそうだと思っただけだし……。
あとはわたしの耳と尻尾が突然変異的なものだということで、単純にその原因が聞きたいだけだ。
「会ったことないんだから、知らないってば」
「きれいな方でしたよ。……その、あまり健康的ではありませんでしたけど」
「ああ……まあ、だろうね」
塞ぎこんで引きこもっているって話だしな。
それほど高くない塀と生け垣を、風精霊の靴の力でまとめて飛び越える。
離れの玄関に向かい、小さくノックした。
ドアがチェーンを掛けられたまま一度開かれて、体格のいい使用人のおばちゃんがこちらを見た。
「あの……母に会いにきました」
「ようこそ、おいで下さいました」
鎖を外す使用人のその手が、寒さか緊張かわずかに震えているのがドアの隙間から見てとれた。
招かれて中に入る。
「わたしはセレナ様……お母様が子供の頃よりお仕えしている女中のマリッサと申します。お母様が部屋でお待ちになっておりますので、どうぞこちらへ」
商家時代からの使用人か。
マリッサは子爵家に仕えるものではなく、わたしの母親に仕えているのだと強調してきた。
わたしに警戒感を与えないためだろう。
フードを外して、外套を脱ぐ。
廊下の薄明かりの中で、マリッサが柔らかく微笑んだ。
「子供の頃のセレナ様に、そっくりでございますね」
犬耳はなかっただろうけどね。
奥の部屋に入ると、銀髪の女の人が立ち上がった。
似ている……のかな。
線が細くて、おりんの言うようにやつれ気味だ。
少し不安そうな顔をしている母親の前に立って礼をした。
「お母様、お久しぶりです。いただいた名前はわからなくなってしまいましたので、今はロロナと名乗っています」
返事はなかった。
代わりに、思い切り抱きしめられた。
「クレア……」
わたしの名前……かな?
聞き取れたのはその一言だけだった。
残りの言葉は、全部涙に変わってしまったみたいで、その人はただ泣きながらわたしを抱きしめていて、わたしはずっとその背中を撫でていた。
しばらくそうしたあとに、両手がわたしの顔に添えられる。
「クレア……いえ、ロロナ。ずっと一人にしてごめんね。ありがとう、生きていてくれて」
そう言って、もう一度抱きしめられた。
別に、一人じゃなかったけどね。
わたしは孤児院の兄弟と一緒に育ったし、いつのことを思い返しても、わたしのそばにチアがいないことなんてなかった。
だから、別に寂しいなんて思ったことはない……。
何かが心の中でひっかかったような気がしたけれど、それは形にならずに消えていった。
おりんとチアに目をやると、おりんは少し困ったような顔をして、チアの方は盛大にもらい泣きしていた。
マリッサもそっと目頭を押さえているが、なぜかこの場で一番泣いているのはチアだ。
しばらくしてセレナが落ち着いたところで、おりんとチアについて尋ねてきた。
「そちらのお二人はお友達かしら?」
おりんがセレナの方へ一歩進み出て、お手本のような礼を披露した。
「りんと申します。私はロロナ様に助けてもらったことがあって、それ以来、一緒にいさせてもらっています」
チアもたどたどしく礼をする。
「チランジアです。えっと、ロロちゃんとは、生まれてからずっと孤児院で一緒にいます」
「おりんとチア。二人とも……わたしの大事な家族なの」
心が不安で不自然なほど揺れていて、その揺れはそのまま声にのった。
貴族の家に入っている母親には、わたしの家族が子供のつまらないごっこ遊びにしか見えなかったら……。
母親である自分に会えたのだからもう不要なものだと切り捨てられたら、どうしよう。
大丈夫、落ち着こう。
そんな価値観の人なら、わたしがいなくなって塞ぎこんだりしないはずだから。
大体、この人に認められなかったらなんだっていうんだ。
セレナが、目元を拭いながら二人の側に近づいた。
「クレア……ロロナの母の、セレナです。二人ともありがとう、この子のそばにいてくれて。娘に会えただけじゃなくて、こんなかわいい娘が二人も増えるなんて、こんな嬉しい日はないわ」
「え?」
「娘の家族なのよ。私にとっても家族でしょ?」
わたしのちっぽけな警戒心ごと、セレナの言葉が優しく包みこんだ。
受け止めてもらえたことに安心して、緊張して止めていた息を吐きだす。
よかった。
少しだけ緊張がほぐれた。
「セレナ……さま?」
「はい、なにかしら? チランジアちゃん」
名前を呼んだチアに、セレナが微笑みかけた。
チアがいつものなつっこい笑顔になっている横で、おりんは少し困ったような顔をしている。
「私はこんな見た目ですけれど、マリッサさんよりも長く生きていますから、娘はちょっと……」
セレナがまじまじとおりん様の顔を見つめる。
「若く見えるのねえ」
「あの、お母様……そういうのとは違いますから」
若作りしているわけじゃないから。
そっけない上に情緒不安定気味なロロナです。
続きます。