3 全部聞かれていた
矢代先輩はさも面白そうな目でこちらを見ていて、
一方の美鈴は、まるで腐ったビーフシチューを見るような視線を俺にぶつけている。
「ふ、二人とも、いつからそこに⁉」
完全に声が裏返った俺の間抜けな問いかけに、
美鈴はシベリアの大地を吹き抜ける、冷たい北風のような声で言った。
「そりゃあそれだけ大声で騒いでいれば、誰だって目が覚めるわよ」
確かにこの沢凪荘は古い木造建築の為、部屋同士の壁がきわめて薄く、
隣どころか少し離れた部屋の音でも容易に聞こえてしまう。
夜這いをするのしないのという会話を、そのターゲットである美鈴さん本人に聞かれてしまったのは、ある意味当然の事と言えた。
気まずさと恐怖が雪崩のように俺の心を埋め尽くす。
そんな中矢代先輩は、無邪気で愛くるしい笑みを浮かべながら言った。
「聞いたで聖吾お兄ちゃん。
お兄ちゃんは今から、みっちゃん(美鈴の事)にエッチな事をしに行こうとしてたんやね?」
「ち、違いますよ!」
あわてて否定する俺。
ちなみに矢代先輩は見た目は中学生(もしくは小学生の高学年?)のように小柄で、
俺の事を『お兄ちゃん』と呼ぶが、学年も年齢も一つ上の先輩だ。
そんな矢代先輩の隣に立つ、矢代先輩より頭ひとつほど背が高い、薄い茶色の髪のボブヘアーの美鈴は、俺の言葉など全く耳に響かなかった様子でこう続けた。
「ホント最低ね。女の子の寝込みを襲ってエッチな事をしようとするなんて、人としてどうかしてるわ」
やっぱり美鈴は俺の言葉などゴマの一粒ほども聞いちゃいないようだ。
しかし俺は気をしっかり持って美鈴に訴える。
「ち、違うんだって!沙穂さんがいきなり俺の部屋にやって来て、
夜這いをするとかしないとか言い出しただけなんだって!」
「そしてお兄ちゃんは夜這いにノリノリなんやね?」
完全にこの状況を楽しんでいる様子で矢代先輩は言ったが、俺はその言葉をなぎ払うようにこう返す。
「だから違いますって!
これは沙穂さんが勝手に言い出した事で、俺は全くそんな事夢にも思ってないんですから!」
「あぁらぁ、そんな事言ってぇ、いつかは美鈴ちゃんの部屋に忍び込もうと、毎夜毎夜妄想していたんでしょう?」
「そりゃ沙穂さんでしょ!」
「否定はしないわ!」
「少しはしろ!」
そんな俺と沙穂さんのやりとりに氷水をぶっかけるように、美鈴は言った。
「ホントにエッチな事しか考えてないんだから。
稲橋君(俺の苗字)はどうしていつもそうなの?」
そして美鈴はプイっとそっぽを向き、スタスタとこの場を去って行った。
「あ、待ってくれ、それは、誤解だ・・・・・・」
その場に取り残されたようになった俺は、情けない声で美鈴に訴えた。
が、自分の部屋に戻ってしまったであろう美鈴の耳に、その言葉が届くことはなかった。
ああ、どうしていつもこんな事に。
美鈴とこの沢凪荘で生活するようになって約一ヶ月半経つけど、あいつとの距離が日を追うごとに離れていっている気がする。
いや、だからって距離を縮めたい訳じゃないけどね!
勘違いしないでよね!
と、誰だか分らない相手に言い訳をしている中、
すっかりテンション全開の沙穂さんと矢代先輩は、まくしたてるように言った。
「さあ行くのよ聖吾君!夜這いの時がきたわ!」
「頑張ってな聖吾お兄ちゃん!ウチらがちゃんとその様子を見届けてあげるから!」
「さあ行きなさい今行きなさい!美鈴ちゃんの布団に忍び込んで、ウフ♡ウフフフフ♡」
「もうホントに、カンベンしてくださいよ!」
はぁ・・・・・・ここでの生活は、本当に毎日がこんな感じだ。
それはこれからも、まだまだ続きそうな予感。
この暮らしが、永遠に終わらなければいいのに・・・・・・。
なんて、思える訳ないでしょうが!