1 手紙の主は彼女だった
「で、何で姉ちゃんがここに居るんだよ?」
沢凪荘の食堂に招き入れられた俺の姉、美咲を前に、俺は改めて尋ねた。
それに対して姉ちゃんは、事もなげにこう返す。
「ちょっと可愛い弟の顔が見たくなってねぇ。ふらっと帰って来ちゃった」
まるで隣町からひょいと帰って来たかのような口ぶりだけど、
姉ちゃんは二年前に飛び級で高校を卒業し、それから現在に至るまで、
イギリスの大学に通っている(退学とかになってなければだけど)。
俺がここに住むようになってからはとんと連絡がなかったのに、どうして突然ここに現れたのか?
しかもこの前俺の元に届いた手紙の内容からすると、
今目の前に居るべきなのは姉ちゃんではなく、あいつ(・・・)のはずだ。
するとそんな俺の心の中を悟ったのか(姉ちゃんは昔から、俺の心を悟る能力にかけては世界一だ)、姉ちゃんはにんまりした顔で言った。
「あんな手紙が届いたのに、やって来たのがどうして姫華ちゃんじゃなくて私なのか、知りたいんでしょう?」
その言葉に俺は慎重に頷く。
沢凪荘の他の面々も、姉ちゃんの次の言葉に耳をすませていた。
そんな中姉ちゃんは、やけに堂々と胸を反りかえらせてこう答えた。
「それはね、私が姫華ちゃんのフリをしてあの手紙を書いたからよ!」
それを聞いた俺は、ヘナヘナとちゃぶ台の上に突っ伏した。
ここ一週間近く、俺はあの手紙にずいぶん悩まされた。
沙穂さんと矢代先輩には好奇心と冷やかしの目で見られるし、
美鈴は何か妙によそよそしくするし、
俺は俺で本当に姫華がここにやって来たら一体どうなっちまうんだろうとハラハラしっぱなしだったし。
とにかくその心配が完全に空振りだと分かった俺は、
ホッとしたやら気が抜けたやらで、体の力が一気に抜けてしまった。
そして気の抜けたままの声で、したり顔の姉ちゃんに尋ねた。
「何であんな紛らわしい内容の手紙を寄こしたりしたんだよ?本当にあいつかと思ったじゃねぇか」
それに対して姉ちゃんは、昔から変わらない、イタズラに成功した時の満面の笑みを浮かべながら言った。
「あははぁ、びっくりしたでしょう?
いやぁ、聖吾も姫華ちゃんと離れ離れになって、きっと淋しい思いをしてるだろうなぁと思ってねぇ。
で、あの子の事をまざまざと思い出せるように、昔あの子が聖吾に送ったラブレターの山を参考に、
あの子の字体と文章を完璧にコピーして、あの手紙を書いたという訳よ。
どう?てっきりあの子がやって来ると思ってドキドキしたでしょう?」
「ドキドキってのは、恐怖に近い方の意味でだけどな」
俺が絞り出すように答えると、その事をもっと詳しく知りたそうな沙穂さんと矢代先輩が、ちゃぶ台に乗り出すように口を開きかけた。
が、この件はできれば俺のブラックボックスに永遠にしまいこんでおきたかったので、それを制するようにこう続けた。
「手紙の事はもういいや。で、何でいきなりこんな所まで来たんだよ?大学はどうしたんだよ?」
「だからぁ、可愛い弟の顔を見たかったって言ったでしょう?
試験が終わって半月くらいゆっくりできるから、久し振りに聖吾に会いに来たのよ。
来週にはお父さん達にも会いに行くつもりよ」
ちなみに俺達の両親は、完全な父親の思いつきで、ふらっとハワイに移り住んでいる。
来週ふらっとその両親に会いに行くというのだから、うちの両親も姉も、国際レベルで行動力が凄い。
俺はその遺伝子を受け継いではいないので、とても真似する事はできないけど。
そんな中沙穂さんが、遠慮勝ちな口調で姉ちゃんに尋ねる。
「じゃあこの一週間くらいはこちらで過ごされるんですね?泊まる場所はお決まりなんですか?」
「いやぁ、実はまだちゃんと決まってなくて。
実家はもう取り壊されちゃったらしいし、
聖吾の部屋に一緒に泊めていただけるとありがたいんですけど」
「えぇ?俺の部屋は四畳半しかないよ?絶対狭いって」
思わず俺はそう言ったが、姉ちゃんは口を尖がらせてこう返す。
「二人寝るのにそれだけあれば十分でしょう?昔は一緒の布団で寝てたでしょうが」
そして寝相の悪い姉ちゃんに、俺はいつも布団の外に蹴りだされていたけどな。
という悪態は、喉元の所で何とか飲み込んだ。
すると沙穂さんは両手を合わせてこう言った。
「それなら他にも空き部屋がありますから、そこを使ってくださいな。
こんな美人のお姉さんなら、私も大歓迎ですよ♡
聖吾君も居るし、自分の家だと思ってくつろいでくださいね♡」
「それは助かります。これから一週間、弟共々お世話になります」
そう言って丁寧にお辞儀をする姉ちゃん。
これはしばらくの間、ここでの生活が一段と騒がしくなりそうだなぁと、俺は心底思った。
沢凪荘の人達も大概賑やかな面々だが、姉ちゃんは一人でそれに匹敵するほど賑やかな人なのだ。
これから一体、どうなるんだよ?
と、その時俺は、ふと疑問に思った事を姉ちゃんに訊いた。
「でも姉ちゃん、一週間ここに居るのはいいけどさ、
この辺は見ての通り田舎だし、特に行く所もねぇよ?
俺は学校とバイトで朝から晩まで居ないし、退屈じゃないか?」
すると姉ちゃんはフフンと鼻を鳴らしてこう言った。
「それなら大丈夫。ちゃんと手筈は整えてあるから」
「手筈って、何の手筈だよ?」
「それは明日になってからの、お・た・の・し・み♡」
そう言って姉ちゃんは、それ以上の事は説明しなかった。
が、俺は、姉ちゃんがこういう事を言う時は、決まってロクな事がない事を、
骨身に染みて知りつくしていた。




