表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイシリーズ

ただの愚痴(朝起きたら雨戸を開けろと言う母へのアンサー)

作者: 夢野亜樹

私は朝起きて、雨戸開ける時もあれば、そのままにしておく時があり、それはそれで良いと思っている。

朝起きた時に、歯は虫歯リスクの削減のために毎日磨くが、雨戸を毎日開けるメリットがそんなに明確ではないからだ。


雨戸を閉め切って生活をしている私に、昼過ぎに家に帰って来た母が「雨戸も開けられないの?」と言った。

試しに「なんで開ける必要があるの?」と聞いたら、防犯のためだそうだ。


確かに論理は理解できる。雨戸が開けていないということは留守ということで泥棒も安心して仕事が出来るだろう。

しかし、日本は海外と比べて治安も良いし、近所で空き巣の被害があったなんて聞かない。

それでも雨戸を開けると言うのは母の気の持ちようだと思う。おそらく、雨戸を開ければ泥棒は来ないと昔に教えられて、それを何となく繰り返すうちに、雨戸は毎日開けるものだと脳に刷り込まれているのだろう。


〝割れ窓理論〟と言うものを知っているだろうか。警察官を5千人と増やして、ニューヨーク州で行ったものであるが、空き家などの割れた窓や、壁の落書き、落ちているゴミを拾うことで、殺人が67%、強盗が54%、婦女暴行が27%も減少して治安が回復したというものだ。

うちでは雨戸を開ける以前に手入れをしていない庭などから、もうすでに泥棒がくる確率は高いし、近所の人のイメージも悪いのだと思う。そして、そんなことを注意するなら庭を手入れをしろと思う。


我が家の庭の手入れは主に私が行ってきた。

中学生の頃から大学生まで、芝が伸びたらいつも私が刈っていた。

しかし、私が社会に出て、芝を刈らなくなった途端にうちの庭は見るに耐えない状態になった。

私が芝刈りをしないと母が芝を刈るのだが、母は横着で、常に楽な道に進む傾向があり、母は芝を刈ったら刈りっぱなしで、刈った芝を集めて捨てるということはしなかった。さらには、庭の五分の一を刈っただけで、1年放置しているために、庭の状態は悪く、もう、綺麗な芝は死んでしまった。今では、雑草が多く生えていて、ブタナなどが咲いたりしている。




ちなみに私は庭の手入れがしたくなったら、するし、雨戸は開けたくなったら開ける。

世の中、やりたいことがあるならそれをやってやりたくないことはやらなければ良いと思う。雨戸を毎日開けるなんて、特に意味のないことを毎日やれと言われても私はやらないし、仮に、防犯のためだというのなら他にアプローチの仕方は十分にあると思う。防犯カメラの設置やさっき言った庭の手入れなどだ。

私は庭の手入れをした方が近所の人のイメージも上がるし、前の家の屋根まで伸びた木を切った方が、台風などで倒れる被害もなくなって良いと思う。そうやってリスクを減らすものだ。


つまり、母は庭の手入れがしたくないのなら、しなければいいし、雨戸を開けたいなら、朝起きた時に開ければいい。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ