真夜中の養鶏場
ケイラン村の養鶏場は村の奥に存在する。場所自体はハンから聞いていたし、移動しながらではあるが地図も描いてもらった。即席で描いた地図なので詳細なものとは言い難いが養鶏場の位置を知るだけならこれでも問題ない。
「村の外れにあるとは聞いていたけど、本当に外れねぇ」
村の入口は北に存在するが養鶏場は南東の端にあった。村の端から端まで歩いたようなものだ。村の中央を歩いてもそれなりの時間がかかる。ちなみに私は目立たないように村を迂回するように移動した。おかげで移動しただけで一仕事終えたような感覚だ。ケイラン村への移動を急ぐために睡眠時間を削っているので疲れが表に出やすいのも影響しているだろう。
養鶏場には二つの建物がある。手前にある小さな建物が自宅、そこから100メートル程離れた大きめの建物が鶏小屋である。明かりはこの時間なので両方とも消えている。人間も鶏も今は眠る時間だ。
養鶏場の前にたどり着いた。音はなく、静まり返っている。今回、養鶏場から頂くのは卵である。卵に寄生虫をぶち込んでワクチンを作るわけだ。しかしフォンの今の状況を見ればわかるように定期的にワクチンを作る必要がある。つまり定期的に卵を得る必要がある。つまり必要なのは卵だけではなく鶏だ。
「そういえば奪ったところでちゃんと卵を産んでくれるのかしら?」
鶏小屋の入口まで来て肝心なことに気がつく、扉をこっそり開けて中を見てみるとそこには電灯だったり餌台だったりとそれなりな設備が整っている。もしかすると卵を産ませるのは結構大変なんじゃないだろうか?
「よし、ハンは何も言っていなかったしね!」
そうだ、養鶏場の娘であるハンが特になにも言っていなかったのだから何も問題はないはずだ。何かあってもハンのせいということにしよう。
「さてと、卵は~」
鶏のいる場所には緩やかな傾斜が付けられており生んだ卵が一箇所に転がってくるようになっている。卵を産んだかどうかもわかるし、卵の回収も楽だ。人間の知恵には感謝である。
「ない、ないじゃない……」
見事なことに卵は一つたりともなかった。いくら人間が知恵を絞ったところで肝心の鶏が卵を産んでくれなければ意味がない。よくよく考えれば今は深夜、鶏たちは当然、眠っている。さすがの鶏も眠ったままでは卵を産めないようだ。
卵の回収は不可能、このミッションはスキップして次のミッションに移る。鶏の確保……一羽だけでは心もとないので何匹か確保したいところだ。だけど鶏は非常に喧しい、私が黙ったり、物音を立てないようにするように心がけても鶏は私の都合に合わせてくれないだろう。
「さて、どうしたものか……」
考えてみたが答えは出なかった。鶏に人間の都合が分かるはずはない、分かったとしても三歩で忘れるだろう。となれば残された手段は強行突破しかない。手に持っているのは大きめの麻袋、これくらい大きければ鶏の数匹くらいは入るだろう。
しかし現実はそううまくはいかないのだ。鶏を起こさずに袋に詰め込むことは不可能に近い、絶対に鶏は騒ぎ出すだろう。騒ぐ声が聞こえれば養鶏場の人……つまりハンの両親が様子を見に来るだろう。そうなれば終わりだ。
「簡単なこと……鶏が騒いだところで人が来る前に用事を済ませてしまえばいいのよ」
思い立ったらすぐに決行、眠っている鶏の首根っこを強く掴む……当然のことではあったが鶏は飛べない翼と足をばたつかせて暴れだした。鶏特有のやかましい鳴き声付きである。
「素直に私に掴まれ!」
寝込みを襲った私の勝利だ。首根っこを掴まれてはどんなに暴れても私の手から離れるのは不可能、そのまま麻袋の中に鶏を突っ込む。白い羽がいくつか宙を舞った。そして少し手首を突っつかれた。
「ひとまず一匹!」
あと一匹か二匹は欲しいところ、鶏が騒ぎ出す前に迅速に行動だ。
「……騒ぎ出す前に行動しようとしたけどもう騒いでるじゃない」
ちなみに真っ先に騒ぎ始めたのは麻袋の中にいる鶏だった。そして一匹が騒ぎ始めれば近くの鶏も騒ぎ始め、またその近くの鶏も騒ぎ始める。騒ぎの連鎖反応が瞬く間にすべての鶏が起きだした。
「やっば!」
急がないと誰か来る。鶏が喧しいことは知っていたが、ここまでとは思っていなかった。
ともかくさっさと鶏を回収だ。騒ぐ鶏の中から適当に目に付いたものを選び、先ほどと同じように首根っこを掴み取る。一匹目とは違って鶏は起きだしていたので掴み取るのは苦労した。ギャーギャ喚く鶏を押さえ込んで麻袋に突っ込む。
「これ以上は無理か……」
もうちょっと欲しいところだが二匹目に手間取った。それに時間もギリギリだが私の耳の耐久力もゼロに近づいている。本当なら耳を塞ぎたいところだが麻袋を持たなければいけないのでそれもかなわない。
「もうこんな騒がしいところはゴメンよ!」
奪った鶏二匹、少し心もとないがこれが限界だ。鶏の入った麻袋はモゴモゴ動いているし耳をつんざく奇声まで聞こえる。袋の口を強く持って中身が逃げ出さないようにする。握り続けるその手は手汗でビッショリになる。中身も暴れ続けるものだから何回も落としそうになった。
やっとの思いで養鶏場から外を出るとこちらに向かってくる一人の影が目に入った。もしかしなくても養鶏場の人間である。真夜中に鶏が騒ぎ立てたから様子を見に来たようだ。
「こんな真夜中に真面目に仕事ヅラしやがって」
せっかく苦労して外に出たというのにまた小屋の中に引き返す。扉のすぐ脇にある死角に身を隠した。最も相手は養鶏場の様子を見に来ている。いずれはこっちに来るだろう。
「やっぱり鶏が騒がしいな、一体何があったんだ?」
男性のものと思われる欠伸混じりの声がすぐそこから聞こえてきた。暗いので影しか見えないが丸い顔立ちはハンを彷彿とさせる。それだけでは寒いのではないだろうかと思うほどの薄手のコートを羽織っていた。そのコートから覗かせる左手には骨董品と見間違えるほどの古めかしいランタンを手にしていた。古いと言うのは本当らしく光は最近のものに比べると弱く感じる。
心の底から見つかりませんようにと願った。そして私は動くことも息をすることも我慢するのだ。だけど結局のところそれは無駄だった。いくら私が身を潜めて至って麻袋の中はそうもいかないのだ。大きな物音に加えて大きな鳴き声……やばい、これはやばい。
「誰だ?」
あぁ何てこったい、ハンの父親がこっちを見た。私はとっさに麻袋でかおを隠した。よくよく考えたらハンの父親とはこの村の診療所で顔を合わせてしまっている。不法入国者がこんな所で鶏泥棒なんてしたらこの東の国でも逃亡生活を送る羽目になってしまう。
「おい、まて!その袋の中はうちの鶏だろ!」
もちろん私は何も答えない、答えたら声で正体がバレてしまうかもしれないからだ。ただでさえ私は西の国の人間、顔立ちも声も余索の国に行っては目立ってしまう。私はモゴモゴ動いて喚く麻袋を覆面にして走る。出口にはハンの父親が道を塞いでいるわけだがお構いなしだ。構わずに体当たりをかます。昔から力だけは自信がある私だからいくら相手が男でも押し倒すくらいはできるはずだ。だけどいざ体重に任せて倒れ込んでみると人に当たったという感覚がなかった。代わりに感じたのはジャリっとした砂の感覚だ。簡単に言えば渾身の体当たりがあさっての方向に体を飛ばしたのだ。よくよく考えてみると私の視界は例の麻袋で全て塞がっている。いくら力に自信があるとはいえこんな視界ゼロの状態で体当たりなんて当たるはずもなかった。
「お、お前はあの時の!」
あ~あ……今、顔を見られましたね。これは実にヤバイ、ヤバイです。
「うわ、うっう……う、うわああああ!」
何故か驚いているのは私の方だった。何で私がこんな間抜けなリアクションをとったのか誰か説明して欲しい。
「お前は何でいつだって騒動を持ってくるんだ!あの時も……!」
ハンの父親が私に掴みかかってきた。今にも鶏が奪われようとしている訳だし、私は以前にもこのケイラン村で騒動を起こしてしまっている。しかもその直後にこの村にはあの二人が放った吸血鬼が村を襲い、版の姿は変わってしかも姿を消してしまった。ケイラン村の住民からすれば私は疫病神だろう。
それにしても掴まれた肩が痛い、この人は本気だ私に対して何かをする。相手が男だとは言え別に私に如何わしいことをしようとしているわけではない。きっと私をあの保安官のところに連れ込むとかそんなところだ。
だけど私はここでは捕まらない、ここで捕まる訳には行かないんだ。私は今までかなりの悪行を重ねてきた。悪行にはそれなりの見返りがいつかやってくる。だけど我が運命よ、今は勘弁してくれ……今、見返りが来ると色々とヤバイですよってね。
「ていっ!」
力だけは自信がある。いくら相手が男だろうと投げ飛ばすくらいは……
「うっそ!」
確かに彼は地面にいた。だけど地面に投げ飛ばされてなお私の肩を掴んだままでいるのだ。予想外の事態に私まで倒れ込んでしまった。そのまま二人掴み合ったままゴロゴロ転がっていき壁に激突する、背骨が悲鳴を上げた。そのせいか私は力が一瞬抜けてしまう。ダメだ……奴は手首を掴みにかかっている。手首を掴まれたらもうオシマイ、いくら私の力が強くても動き用が無い。
必死だった。私の妙な使命感が私に要らない覚悟を与えてしまった。本当にこんな覚悟は要らなかった……お守り替わりにこんな物騒なものを持ち歩いていた私がバカだった。
「あぁ……あ、あぁ!」
私の右手には何かが握られていた。リュックサックは置いていくときはあってもこのお守りを手放すときは特別なときだけだ。そのお守りを握る右手はなんだか熱い……だけどすぐに冷たく感じた。手が鉄製の手袋をはめたように固くなっていく、どこかパリパリした。
さっきまで私に掴みかかっていたこの男は糸が途切れたように崩れていき、拘束されかかった私は解放された。
「そうだよね、これはお守りだ。大切な大切なお守り……私には今、しなくちゃいけない事があるからね……」
この男が私のするべき事の障害だとするならば、私のお守りがその障害を切り払ってくれた。
「切り払う?」
あぁ、そうだよね。このお守りは確かに私にとっては大切なお守りだけど元々はナイフだったんだ。
私の筋肉は機能してくれなかった。今、私の横で水たまりを作って倒れている男、と同じように私も倒れた。最も、私は水たまりを作らなかった。
私は子供の頃から悪ガキだった。二年前もそうだけどそれ以前からかなり危ない橋を渡っていた。興味だけで人生を棒に振ることは何度もあったけど後悔なんてしたことがなかった。だけど今回ばかりは後悔しか出てこない、そして自分自身に対する疑問が出てくるんだ。
「なんで私、ナイフを握っていたんだろう?」
このナイフはあくまでもお守りだ。このナイフを使うときは吸血鬼や半人半鬼、そして自分自身にだけ使う特別なナイフ……だけど結局人に使った。さんざん悪いことした人生でも人を殺めることはこれが……最初だ。もしかすると人生で初めて人を殺した人の気持ちってこんな感じだったのではないだろうか?
「……行かないと」
柱にもたれながらズルズルと立ち上がる。私が見ても笑ってしまうくらいに足が震えていた。歩けるだろうかと不安になりつつ一歩目を踏みしめる。足がもたついて思わず柱にしがみついた。今度はもっとしっかり力を込めて一歩目……多分大丈夫だ。いつの間にか投げ出されていた麻袋は口を縛っていたこともあって中身が逃げ出すこともなかった。ここで殺人が起きたなんて理解できない中身は未だに元気にモゴモゴ動いている。私はふらつく足で元気な麻袋を背負った。
「行こう、もうここには用事は無い」
お守りを懐に大事にしまって私は歩き出した。




