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白と黒の来訪者

 国立劇場は北の国ホワイトベルが世界に誇る、数千人を擁する大劇場だ。

 記念すべき1000回目の『冬物語』公演は正装でなければ劇場に入れず、それを知らなかったミンクは受付で貸衣装を借りた。


「あの、この色しかないんですか…?」

「申し訳ございませんが、お客様のサイズですともうこれしか残っておりません。よくお似合いですのに、お気に召しませんか?」

「……いえ、わかりました。これ、貸してください」


 ミンクが借りたのは、漆黒のドレスだった。これでますます魔女っぽさが増してしまった。

 叔母によると、リリックはミンクが起きる前に劇場に向かったのだという。ということは、おそらくあの手紙にはもう1枚チケットが入っていて、姉は既に席についているのだろう。

 

(そうよ。お姉ちゃんはいつも通り―――全部いつも通りに決まってる。あの子の嘘なんて信じない。あたしが本当は魔女のオリヴィアで、エリーズを―――お姉ちゃんを不幸にする存在だなんて、絶対信じない)


 なのに気持ちとは裏腹に心臓の鼓動はどんどん大きくなって、胸が苦しくなるほどだ。ミンクは5年ぶりに訪れる国立劇場の拡さに辟易しながらも、ついに自分の席を見つけた。最も入手が困難とされる最前列の席だった。普段なら素直に喜べたハズだ。しかし、


(お姉ちゃん、いない……)


 両隣の席には『御来賓様』の札が置かれていて、まだ誰も座っていなかった。ミンクは札に書かれた名前を見たが、姉とは全然違う名前だった。きっと隣同士ではなく、離れた席に割り振られてしまったのだろう。


「…………はあ」


 ミンクは溜息交じりに着席した。

 開演までまだ時間がある。あんな夢を見たせい今朝からバタバタしてしまって、眠い。


(なんか、どっと疲れちゃった……。劇が始まるまでちょっとだけ寝ようっと……)


 


*****




 気が付けば物語は中盤、魔女の誕生シーンに移行していた。


(あう……いけない、すっかり寝込んじゃってた)


 魔女のオリヴィアは元々普ただの人間であったが、親友のエリーズと同じ相手を好きになってしまい、それを誰に相談することも出来ず苦悩の日々を送っていた。やがて想い人の彼がエリーズを選んだと知り、深い悲しみと嫉妬が彼女を魔女へと変貌させた。


「エリーズ、お願いだから答えて。あなたはあたしの気持ちを、本当は気付いていたの?」


 森の中にエリーズを呼び出したオリヴィアはそう問いかける。


(あれ、エリーズ役の人、黒髪だ……―――ッ!?)


 寝起きでぼーっとしていたミンクは思わず叫びそうになった。舞台に立つエリーズの担い手は―――リリックだったのだ。


「私は―――知らなかった」


 それはエリーズが親友オリヴィアについた初めての嘘だった。オリヴィアはうつむき、暗く笑う。


「そう………そうね。あなたはとても優しくて、いつも自分のことより、あたしのことを優先してくれたものね。あたしのワガママであなたを苦しめて、傷つけたこともたくさんあったでしょう」


 ミンクはずきりと胸が痛んだ。オリヴィアの台詞が、まるで自分の事の様に聞こえたからだ。

 親友だったエリーズの嘘が、オリヴィアをついに悪しき魔女へと変えてしまう。


「だけどね、エリーズ………あたしは一度だって―――あなたに嘘はつかなかった!」


 激昂したオリヴィアに『裏切り』と『代償』の魔法を掛けられ、エリーズの心と身体は冒されてしまう。

 その苦しみ様は尋常ではなくて、ミンクは青ざめ、口元を覆った。姉の苦しみの原因は全てお前だとで責められているみたいで、とても苦しい。


(もうやめて。もうお姉ちゃんが苦しむの、見たくない)


 けれどシナリオは止まらない。運命の様に結末へ向かっていく。

 あと少しで姉は彼の不思議な銃で殺される。そして、最後はきっと―――………。

 



*****




 5年ぶりだというのに、リリックはエリーズの台詞、所作、その全てを覚えていた。『思い出す』という行為が煩わしく感じる程に、自然と演じられるのだ。


(不思議な気持ち……)


 妹の存在には気付いていた。しかし、いつもの感覚はない。自分の演技を優先させるべきだと思った。

 どうして自分がこの舞台に立っているのかは分からない。気付いたら、ここにいたのだ。

 幕間に彼が話しかけてきた。夢で見たあの彼。そしてもうひとり―――妖精の少女、ホルンだ。


「疲れたかい? エリーズ」

「いいえ、平気よ」

「そうか、良かった。この舞台が終わったら、どこか遠くの街で暮らそう。俺たち3人でずっと一緒に」

「ええ、そうね―――でも、あの子が『否定』してしまうかも」


 リリックは彼から全てを聞いた。自身がエリーズの生まれ変わりだという事。妹のミンクが、オリヴィアの生まれ変わりだという事。彼とホルンはこの国に『冬物語』を根付かせ、『奇跡』をずっと待ち続けていたという事。


「オリヴィアがどうなろうと関係ないだろう?」

「そうよ。アイツのせいでエリーズお姉ちゃんはずっと苦しんできたんじゃない」


 ホルンは昔からエリーズを実の姉の様に慕っていた。だからオリヴィアがエリーズの妹として生まれ変わり、「お姉ちゃん」と呼ぶのが余計に腹立たしかった。


「それに………レインとアタシはこの機会を逃したら、もう『奇跡』を待てないんだよ」

「―――え?」

 

 リリックが目で訴えかけると、彼―――レインはホルンの頭を小突いた。


「ばか。エリーズに余計な心配かけさせるな」

「痛ったあ……だって、嘘ついたって仕方ないでしょ? エリーズお姉ちゃん、アタシ達はね、今は亡霊の様なものなの。オリヴィアを除いてこの劇場にいる全ての人たちには、いつもの『冬物語』にしか見えていないの。こんな事言うの卑怯みたいで本当はイヤだけど………エリーズお姉ちゃんがもし、オリヴィアを選んだら―――アタシ達は、消えてしまうの」


 不安そうなホルンの言葉に、


「―――心配はいらないわ」


 彼女を抱きしめ、リリックは実の姉の様に言った。


「だって、私はエリーズの生まれ変わりなんでしょう? エリーズの意思に従うわ」

「……そろそろフィナーレの時間だ。俺の銃で再び君とオリヴィアを撃ち、あの時凍らせた魂を溶かす。オリヴィアは『否定』の魔法しか使えないから、黙って俺たちを見ている事しか出来ないだろう。劇が終わったら俺たちは街の外で待っている。正午の鐘が鳴り終わるまでに君が来てくれたら、『奇跡』が起きるよ」


 レインはリリックの額にキスして、


「行こう。最高の舞台へ」と言った。




*****




 初めて観た『冬物語』の舞台で、エリーズが最期を迎えた時のことをミンクは思い出していた。


(ああ……あの時もあたし、泣いちゃってたな)


 舞台の上、レインに撃たれたエリーズはぴくりとも動かない。


(お姉ちゃん……あたし、本当にあの子が言ってた通り、オリヴィアの生まれ変わりなのかな。だから、こんなに悲しいのかな)


 ぽろぽろと涙が頬を伝って落ち、膝の上で閉じた手の甲を濡らす。

 そうだ、それなら納得がいく。たぶん、オリヴィアは魔女になってしまったけれど、本当は―――。

 下がっていた幕が上がり、いよいよ『冬物語』は結末を迎える。

 しかしレインに追い詰められ、必死に足掻こうとするオリヴィアの姿がどこにも見当たらない。


「さあ、おいで。オリヴィア」


 レインはミンクの方を向いて言った。

 そう、当然だ―――あたしはここに、いるのだから。

 彼の甘い微笑みに誘われるようにオリヴィアは立ち上がった。彼の傍らに控えるホルンが何事かを囁くと、ふわりと身体が浮き、舞台の上に降ろされた。二人と、対峙するような形で。


「いい恰好ね、黒のドレスなんてあの時とそっくり。覚悟は決まったかしら?」


 勝ち誇った笑いを浮かべながらホルンが言う。


「……覚悟は決めたつもりだけど、やっぱり怖いわね」


 レインのかざした銃口は、真っ直ぐにオリヴィアを捉えている。そんな状態で、優しく迫るのだ―――残酷な選択を。


「『否定』してもいいんだよ。でなければこの銃はかつて凍らせた君の魂を溶かし、君は完全に記憶を取り戻す。そして俺たちはエリーズを連れて行く―――君だけを残して」


 その辛さは、想像するに難くない。けれど、『否定』するつもりはなかった。


「いいの。もう決めたの。撃って、レイン。あなた達の幸せを祈りながら―――なんて言う資格はないけど、せめて自分の罪と向き合いながら、ひとりで生きていくわ」

「そうか………わかった」


 彼はためらわなかった。

 長い尾を引く銃声音を聴きながら、オリヴィアは倒れた。

 恋人エリーズの敵討ちを果たしたレインに、数千人の観客は拍手を惜しまなかった。




***ending***




 どれくらい気を失っていたのだろう。


「……う………」


 静寂を取り戻した劇場、冷たい舞台の床の上で、オリヴィアは目を覚ました。

 淡い痛みを残す胸におそるおそる―――直視するのは怖いので見ずに触れてみるが、なんともなっていなかった。だが、撃たれたのは確かだ。なぜなら記憶が―――全て戻っているから。

 照明は落とされ、薄暗い舞台に独りきり。迷い子の様な心細い気持ちになる。


「……これでいいの。これがあたしの選んだ生き方だもん」


 自分が国立劇場の舞台に立つなんて今後一生ないであろうし、オリヴィアはどうせなので思ったことをそのまま台詞にして言ってみた。


「エリーズ……レインやホルンと幸せにね」


 切ないを通り越して清々しいほどの喪失感だ。

 

「あたしは意地悪な叔母さんと、なんとかやっていくから」

「叔母さんは意地悪なんかじゃないわ。滅多なことを言ってはだめ」


 どこかで聞いた台詞が聞こえ、オリヴィアは驚いて声のした方―――舞台袖を見た。誰もいないと思っていた場所から、雪明かりの様な優しい表情を湛えたエリーズが現れたのだ。


「なっ…! どうしてここにいるのよ」


 その胸に飛び込みたくなる衝動を全身全霊で抑え、オリヴィアは低い声で唸った。期待してはだめだ。エリーズはきっと、自分に引導を渡しに来ただけに過ぎない。


「どうしてかしらね? ミンク」

「……ッ、その名前で呼ぶのはナシよ。これ以上あたしを惨めにしないで」


 拒んだつもりが、無遠慮にこちらに近付いてくるエリーズに思わずオリヴィアは後ずさる。


「きゃっ」


 ドレスの裾を踏んづけ、オリヴィアは転んでしまう。その上からエリーズが覆いかぶさってきた。


「つかまえた」

「や、やめ……エリーズ、一体どういうつもり……レイン達と一緒に行ったんじゃなかったの? それとも直接仕返しに来たの? いいわよ、殴りたければ気の済むまで殴りなさいよっ」


 あくまで憎まれ口を叩くオリヴィアに、エリーズは微笑むばかりだ。


「私の可愛い妹は、演技が下手ね」 

「―――ッ!」

「レインの銃で撃たれて記憶は戻っても、あなたはあなたのままだった……そうでしょう?」

「ち、ちが……そんなワケ―――」


 あ、だめだ………と思った。リリックに力強い抱擁で包まれたミンクは、ダムが決壊したみたいに大泣きした。


「……お姉ちゃん…? ほんとに………リリックお姉ちゃんなの…? エリーズじゃ無いの……?」

「ええ、私もあなたと同じよ。レインの銃で撃たれてエリーズの記憶は戻ったけど、リリックのままでいられたの」

「お姉ちゃん……おねえちゃああぁああんっ!」

「心配掛けてしまったわね……ごめんなさい、ミンク」


 ミンクは首が取れる勢いでぶんぶんと横に振った。


「全部あたしが悪いんだよ。あたしね、オリヴィアの本当の気持ち教えてもらったの。オリヴィアは確かに魔女になっちゃったけど、エリーズのことずっと好きだったんだよ。だから………だからっ」

「わかってる。エリーズだって、オリヴィアのことが大好きだったんだから」


 姉妹の涙が凍り付いていた二人の絆を溶かしていく。『奇跡』と呼ぶには少しだけ気恥ずかしかった。




「フラれちゃったね」

「ずばっと言ってくれるな。まあ、彼女が望むなら仕方ないさ」

「レインは昔から優し過ぎるんだよ。そんなんだから逃げられちゃうんじゃない」


 レインとホルンは長い時間を過ごしたホワイトベルを離れた。リリック達に気を使ってのことだ。既に身体は消えかけているが、けじめは付けたかった。


「100年も付き合わせて悪かった。ありがとう、礼を言う」

「べ、別に。あたしはヒマだったし。妖精の寿命は呆れるくらい長くて飽き飽きしてたから気にしなくていいわよ」

「―――そういえば」

「なに?」

「ずっとエリーズに夢中で気が付かなかったけど、お前も案外可愛いな」

「今更気付いたの? なんてねっ」


 照れる様に笑い、ホルンは初めてのキスをレインに捧げた。


「楽しかったわ。またいつか逢える?」

「ああ、きっと。俺達は『奇跡』を既に起こしてるじゃないか」


 いつの間にか雪は止み、雲間から光が差し込んでいた―――。 

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