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Reincarnation

作者: 楢田 類

一瞬の暗転。気付けば場面が変わっていた。

僕は柔らかい椅子に凭れて座っている。二人用の席の半分は空席。正面は前の座席の背面だ。規則的な振動が体を揺らして、ようやく列車に乗ってるのだと気付いた。

身を起こせば、体は正常に動く。どこも痛くないし怪我もしていない。左腕の傷だってきれいさっぱりなくなっている。

再び背中を座席に埋れさせた。ここは静かで心地好い。目を瞑っても、見えるのは平穏だ。もうつまらないことも考えなくていい。


「お客さん、お客さん」


目を開けると、車掌の姿をした男の人が立っていた。車掌さんは白い手袋をした手の平を僕に向ける。


「切符を拝見します。お出しください」


切符なんて持っているわけがない。スラックスのポケットとワイシャツの胸ポケットを探るが、やはり何も出てこなかった。僕は肩をすくめる。


「持ってません」

「おやおや、どうやら車両を間違えられたようですね。切符をお持ちでない方は、もうひとつ後ろの車両です」


車掌さんが僕に立ち上がるように促す。切符が無い時点で追い出し、或いは逮捕だろうと思うが、ここの常識は違うのか。なんにせよ、何も知らない僕は従うまでだ。

座席を立って車内を見渡すと、僕の他には乗客は3人だった。年齢も性別も見事にバラバラだ。

窓の外には、無数の星やおもちゃの積み木、それにクラゲが泳いでいる。


「宇宙ですか?海ですか?」

「もっともっと深いところ」


車掌さんは笑顔を見せて、車両の扉を開けた。僕は連結部分の妙に不安定な場所に立つ。目の前にはもうひとつ扉。背後に車掌さんの声が聴こえた。


「いってらっしゃいませ」


扉を開けると、さっきの車両とまったく変わらない造りだった。ただ、乗っている人数は違う。こっちの車両は座席がほとんど埋まっていて、乗っているのはら僕とそう変わらない、若い人間ばかりだった。女の人のほうが多いかもしれない。

みんな一様に、安心しきった顔で眠っている。僕は座る場所を探した。


「おうい、ここ、空いてるよ」


細長く白い手が黒い群れの中から挙がる。近付いてみれば、灰色のパーカーを着た、同い年ほどの男が座っていた。正直に、綺麗な顔をしていると思った。


「座りなよ。いつ止まるか分かんないんだし」

「格好いいね、君」

「男に言われても嬉しくないなあ。まあ、ありがとう」


彼が白い歯を見せて笑う。僕は隣に腰を下ろした。さっきの座席ほどの安らぎは得られそうに無かったが、妙に暖かい。


「銀河鉄道の夜……みたいだよね」


隣で彼が静かに呟いた。僕は彼の横顔越しに窓の外を見る。列車の速度に合わせて浮かぶクラゲは滑稽だ。


「君には何がみえているの?」

「夏の星空、りんご、プロメテウスの火」


横顔が淡々と答える。


「君は詩人かなにかか?」

「馬鹿言うなよ。見えてるものをそのまま言っただけだ」


彼がこっちを向いた。窓の外のクラゲが飛んで逃げる。


「君は眠らないのかい?他の乗客、みんな寝てるよ」

「そのつもりだったけれど、気分じゃなくなった。そういう君は?」

「俺はいいよ。眠るのは嫌いだ」


彼はまた横顔に戻る。僕も視線を目の前の座席に移動させた。無機質な灰色の素材が目に映る。僕は喉から声を絞った。


「銀河鉄道の夜と言えば、君に見えているプロメテウスの火とやらが、蠍の火だって言う可能性は無い?」

「無いね。あんなものじゃない。みんなの幸のために焼かれるなんて、本当に、ごめんだ」


しばらく窓の外に目をやってから、彼はこっちを振り返る。


「じゃあ、神様について議論してみる?」

「宮沢賢治って、仏教徒だったっけ。僕は無宗教だ」

「俺も。なんだ、議論終わっちゃった」


彼は正面に向き直り、頭の後ろに腕を組んで笑った。


「無宗教だと議論できないの?」

「議論はできる。けれど最後には、居ても居なくてもどっちでもいい、ってところに落ち着く」

「僕は、神様は居ると思ってるよ」

「でも、神様が居なくても、生きていくには何も困らないだろう?多くの宗教家は神様を信じてる。神様が居なけりゃ生きていけないし、神様の存在を疑うこともしない。仏教はいいね。神様が居ないのに、成り立ってる」

「八百万の神って言うじゃないか」

「ああ、勘違いしないで。俺は神様が居ないなんて思ってないから。俺も居ると思ってる。そのほうがおもしろいしね。それと、神様が存在するかどうかと、神様を信じるか信じないかは違うよ」


僕が眉を寄せるので、彼は苦笑する。


「考え方なんて千差万別。だから、うまくいかないんだよなあ」

「君、いったい何歳なの?」

「たしか、16」

「なんだ。僕のほうが歳上じゃない」

「君はいくつなのさ」

「17歳だ」

「一個違いの歳上面は認めないね」

「同感。僕みたいな馬鹿な歳上より、君みたいな利口な歳下を敬うべきだ」


僕の言葉に、彼は頭の後ろに置いていた両手を下ろして笑った。


「へんなの。俺は利口じゃないから、ここに居るのに」

「不思議な場所だね、ここは」


僕は周りを見渡す。ここは静かで、安らかな空気が漂っている。だからみんな安心しきった顔で眠るのだ。


「生は苦痛、死は平穏。人間って、なんのために生きてるんだろう」

「……死ぬために生きてるんじゃないかな。きっと、死はご褒美なんだ。辛い人生を生き抜いた人に対しての、神様から貰う最後のプレゼント」


彼は僕に目を向けた。


「プレゼントを自分から貰いにいくのって、マナーがなっていないよね」

「自殺は罪って考えてるタイプ?」

「もちろん。ねえ、人間が犯す最大の罪ってなんだと思う?」

「殺人かな。刑罰もいちばん重いし」

「なら、自殺者は最悪の犯罪者だよね」

「どうして?」

「分からない?貰ったものを無下にしたうえに、人を殺している……まあ、これも俺の考え方ね。鵜呑みにしないで」


彼の視線はまた移動する。僕は息を吐いた。


「自殺すると、天国には行けないって本当?」

「知らないよ。実際、行ってみないと。そもそも天国自体あるかどうか……」


彼は段々と語気を小さくする。すう、と息をする音が聴こえて隣を見ると、彼は目を閉じていた。


「眠いの?」

「うん、少し……でも、眠りたくないんだ。なんでもいいから喋ってよ」

「それなら、君の人生について教えて」

「嫌な題材……つまらないけどいい?」

「聞きたいな」


そう言うと、彼は目を瞑ったまま唇を動かし始めた。


「俺は普通の家に普通に産まれた。まずは障害を持たずってことに感謝すべきだったかな。ちなみにひとりっ子。父親の仕事の都合で、転勤ばっかりしてたんだ。励む暇も無かったのかも——ねえ、これって俺ばっかり喋ることにならない?」

「いいじゃん。続けて」

「本当につまんない話なんだけどな……。それで、俺は小さい時から転校ばっかり繰り返していたわけ。あんまり転校でいい思い出は無いけれど、都会と田舎の人間性の違いを知ったことは、いい経験だったかな。都会の子はどこか生き急いでいて、田舎の子は何にしろ呑気なんだ。俺が最後に住んだのは、都会と田舎の中間みたいな団地だった。まだ続ける?」

「もちろん」


彼は目を開けて僕をちらりと見る。すぐに目を逸らして、手の甲で目を覆った。そして小さく嘆息する。


「いい場所とは思えなかった。文化の中途半端な混合って最悪。住んでる人間も中途半端なやつが多いんだ。母親がさ、ちょっと疲れてきてたらしい。十数年も引越しを繰り返して、その度に変わるご近所付き合い。俺は学校に行ってたから知らなかったけれど、いつの間にか、変な宗教にはまっていた。人間が神を騙るなんておこがましいよ。そんなものに頼らないといけないくらい、あの人は弱っていた。俺が気付けばよかったんだ……気付けなかったから、俺はここに居る」


彼は目を覆っていた左手を下ろした。僕がその手を握ると、少し驚いたような表情をして苦笑する。


「俺がここに来る前に見たものを教えようか」

「うん」

「真っ赤な火さ。どれだけ逃げようとしても、生き物みたいにまとわりついてくる。熱くて苦しくて嫌になって、気付いたら、ここに座っていた」


彼が座席を柔らかく叩く。こちらを見たことで、彼は僕がずっと見ていたことにようやく気が付いた。彼は口角を上げて笑顔を見せる。


「君がさいごに見たものはなに?」

「青い空……かな」

「へえ、いいね。たいへんだったんじゃない?」

「ぶつかったんだ。偶然だよ」


僕は凭れた背をずり下げた。足の先が前の座席の下に入る。目一杯息を吸い込んで、すべて吐き出した。


「もっと早く、君に会えていたらなあ」


僕の呟きを聴いて、彼は喉を鳴らす。


「君って、宗教にはまりやすそう」

「そうかも。言われた言葉は正直に受け取っちゃうし」


今度は彼が長い息を吐く。


「ごめん……けっこう眠たくなってきた。あのさ、もしよかったら——」

「いいよ。僕も眠ろう。君といっしょなら、こわくないや」

「ありがとう」


そう言うと、彼は素直に目を瞑った。僕もしっかりと座り直して、正面に顔を戻す。ゆるく握っていた彼の手をしっかりと握り直して、僕は目を閉じた。


「おやすみ」

「うん、おやすみ」


体に伝わる規則的な振動。閉じた瞼の裏に映る平穏。繋いだ手から伝わる心地好い熱。

そして、僕の意識は光に飛び込む。

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