君は安易に引き受ける
「この間さー、潤と雑貨屋に行ったらあの、指のサイズ測るやつあるじゃん?試しに嵌めてみたら………指のサイズ、潤と同じだったんだよね」
何とも返答し難い不満を、佐々岡さんはぽつりと漏らした。
あの、スーパーで会った日以来、佐々岡さんの俺に対する態度が多少は軟化したように思う。相変わらず積極的に会話をしたりという事はないが、苦節二ヶ月、六月に差し掛かり、ようやく俺の存在を自然と受け入れてくれるようになっていた。
今のように俺がいても、気にせず司に愚痴を漏らしたり。もっとも、その内容は非常に反応しにくいものではあるが。
後日聞かされたのだが、さすがに態度が悪すぎたからちょっと改める、との事だった。居心地はかなりよくなったので、俺としては有難い。
「潤は細いからな」
うんうん、と司が訳知り顔で頷く。ちなみに昼休みの教室だが、潤はこの場にいない。日直だった為に午前の最後の授業を終えると、担任の指示でノートを集めて職員室に向かっていた。いつの間にか四人で昼食を摂る事が日課となり、今は潤の帰りを三人で待っている状態だ。
「何であの男は肉が薄いだけでなくて骨まで細いの。腹立つ」
「元々痩せ型なんだろう。そういえば以前、体重も澄香より……ぐぁっ!」
まるで狙い澄ましたかのように地雷を踏み抜こうとした司の指が、乱暴に掴まれる。恋人繋ぎのように指を絡め、佐々岡さんはそのまま力を込めて握り込んだ。司の指と手の甲がギリギリと締め付けられる。
「あんたは細くて良かっただろうけどねえ!」
「ったい、痛い痛い、澄香痛い!」
「お、落ち着いて……」
今のは司が悪いな、と思いつつもあまりに痛そうなので慌てて佐々岡さんを宥めようとする。すると、何故か突然彼女の矛先が俺へ向き、司の手を解放すると、今度は俺の手を掴まれた。
俺の手を両手で持ち上げ、まるで既存の生物の生態をより詳しく調べようとするような、慎重且つ遠慮のない手つきで触れられる。俺の手と佐々岡さんの眼球の距離が約5cm。近すぎて怖い。
「ここまでとは言わない………でももうちょっと……せめて私より………」
その上でぶつぶつと何事かを呟いている。正直かなり不気味だったが、せっかく改善されつつある佐々岡さんとの関係を台無しにはしたくなかったので、口を噤んだ。
全身を緊張させながら耐え忍んでいると、その状況を打ち破ったのは妙に陽気な声だった。
「やだなあ、澄香ちゃん!そんなに熱心に将人と手を繋いでいると妬けちゃうなあ」
佐々岡さんの肩に両手を置いて、職員室から戻って来たらしい潤が、見慣れた顔でにこにこと笑っていた。俺から手を離して潤を振り返った佐々岡さんは、ジト目で彼を見つめる。
「そんな可愛げ、潤にあったっけ?」
「酷いなあ、後にお付き合いをするS.Sさんに『可愛い系とかないから』と言われるくらい可愛い僕ですよ」
「何でそんな事未だに根に持ってんの!?」
あれは売り言葉に買い言葉と言うか……、と何やら佐々岡さんは潤に対して弁明らしきものを始める。潤は小さいとか細いと言われるのは、事実だから気にしないらしい。ただ、『可愛い』と言われる事に関しては、それって男に向ける形容詞じゃないよね、と以前珍しく嫌そうに口にしていた。
潤は女の子に見えるという事はないのだが、小柄で顔つきも優しい印象だ。性格も端から見れば大人しいらしい。小学生の頃の同級生女子は『ちょっと可愛い』と言っていた。
「そんな事より」
潤の視線が司へ向けられる。
「司、顔色悪くない?大丈夫?」
つられて司を振り返れば、言われてみれば少し青い顔をしているように見えた。よく考えれば、普段と比べて大人しいようにも思う。先程佐々岡さんが俺の手を取ったときも、普段の司なら、澄香だけずるい、と言って俺の反対の手を取りそうなものだが、それもなく大人しくしていた。司は時々妙に人の真似をするのが好きなのに。
「ん……んー…平気」
「即答しないって事は、やっぱりどこか悪いんだ?」
「潤の……そういう何でもお見通しなとこ、私は好きじゃない」
「はいはい。ごめんね」
うー、と不満げに唸りながら司は隠す事を諦めたのか、机にうつ伏せになって脱力する。どうやら本当に体調が悪いらしい。潤は昔からよく回りを見ているタイプだったので、司の変化にもすぐに気がついたのだろう。
「ちょっとお腹痛いだけ。それで貧血してる」
「あー…そっか。大丈夫?私、薬持ってるけどいる?」
「いらない。そんなにじゃない………」
そう言えば、五月にも司はお腹が痛いと言っていた。元々体力がなく、体調を崩しやすいタイプだったのだが、こうも毎月腹痛を訴えていれば心配になってくる。
「あんまり辛かったら保健室に行けよ。何か俺に出来る事はあるか?」
お腹が痛い場合はどうすれば良いんだ。温めるとか?いや、それは冷えてしまっているときだけだろうか。薬もいらないという程なので、今の痛みは大した事無いのだろうが、もし今後悪化したらと思うと心配だ。
「………何をしてくれるんだい?」
うつ伏せたまま、司の目だけが俺に向けられる。
「何でも、俺に出来る事なら」
「何でも!」
目を輝かせて、司は勢いよく身体を起こす。その様子は、体調不良など無かったかのよう溌剌としていた。
「あーあ、将人。何でも、なんて安易に言っちゃいけないよ」
「人にダメだしするくらいなら、潤はさっきの自分の軽はずみな発言を反省しろ。こんな所で言うな」
「そうは言っても、さすがに原因までは分かって無かったし」
潤にからかうように咎められたと思ったら、今度は佐々岡さんが潤に反省を促した。潤は司の体調不良に気付いただけで、何も軽はずみな発言はしていないと思うのだが。二人の会話は、割とよく分からない。二人だけにしか分からない会話をする、これがバカップルというものなのだろうか。
「ね、ねえ、将人くん!本当かい?何でもしてくれるのかい?」
「え?……ああ。何かそんなにして欲しい事があるのか?」
もう腹痛なんて忘れてしまったのではないかと思えるくらい、生き生きと身を乗り出してくる司に少々のけ反って引く。潤の言葉を真に受ける訳ではないが、何でも、と言ってしまったのは軽率だったのではないかと思った。
「そ、そうだな、えっと………あ、やっぱりちょっと待って!きちんと考えてまた今度言うから!」
そう言って、司は一度椅子に座り直したものの、落ち着かない様子でソワソワと身体を揺する。
「将人は今、司が辛そうだから気遣ってくれたんだよ。それじゃあ、意味が無いよ」
苦笑しながら潤が言う。だって勿体ないじゃないか、と司は小さく呟いた。何をお願いされるのか少し恐ろしいが、まあ司なら悪い事は言わないだろう。司はまるで、小さな子どもみたいに俺に懐いてくれているから。同級生だが、俺は一人っ子なので正直そんな司の態度が嬉しい。ついつい、可愛い弟………あ、妹か。そんな風に思えて来る。
いつもの癖で、思わず司の頭を撫でれば、司ははにかんだように笑う。
「へへ、今はこれで十分!」
何が十分なのかはよく分からなかったが、司が元気になったようで安堵した。
読んで頂き、ありがとうございます。
潤と澄香を、こういうのをバカップルって言うのかなー、と思っている将人ですが、自分も回りから、リア充爆発しろ、と思われている事を知らない。