君はいらない興味を示す
司の運動神経は致命的に切れている。
幼い頃からそうだった。走り出せば必ずといって良いほど転び、縄跳びをすれば縄に絡まって転び、バドミントンをすれば必ず空振りし、自転車にもロクに乗れなかった。割と熱血気味で苦手な事も努力で克服しよう、と常に前向きな体育の先生でさえ、手島は仕方ない、と諦めるほどだった。見ていてもう良いよ、と言いたくなるほど司には運動神経がなかった。更に言えば体力も無い。
聞けば、水泳も全く出来ないらしい。小学生の頃、俺が司と同じクラスのときは、プールが老朽化で改装中だったり、ちょうど司が骨折でギプスを嵌めていて授業に参加していなかったりで、俺自身はその様子を見た事が無いのだが、潤がそう言っていた。そこまで運動神経が切れている司なので、当然遊びでプールに参加するはずもなく、俺はそのカナヅチぶりを残念ながら目撃した事がない。
高校では二クラス合同で男女に別れて体育を行っている。うちのクラスは司のクラスと一緒で、その様子を何と無く眺めていたのだが、どうやら司の運動神経は相変わらずのようだ。バレーボールをしてもちょっと面白いくらいに空回っていた。その世話を焼く佐々岡さんはとても大変そうだった。
「良い学校だよなあ……」
「突然どうしたのさ」
体育を終え、思わず呟けば、潤が苦笑する。
司は女子生徒として体育に参加している。トイレも更衣室も女子用だ。本来男子生徒であれば制服もそれに準じた物を着用しなければいけないが、司は誰に見咎められる事無く、女子制服を着用している。先生方ももちろん、司を女子生徒として受け入れてくれていた。
きっと、入学前に話を通し、様々な事に便宜してくれる事になったのだろう。今時、日本でもそうした悩みを抱える人への理解が示されるようになった。そして、我が校でも理解を示し、司を女子生徒として迎え入れてくれたのだろう。なんて良い学校だ。
「将人くん!」
授業が終わって昼休みとなり、更衣室で制服に着替えて廊下に出れば、俺を見付けた司に名前を呼ばれた。そのそばには先程と同じように佐々岡さんがいる。
司はこちらに足早に駆け寄ってきた。………あ。
「あー、痛そうだね」
せっかく俺の目の前まで辿り着いたのに、そこで思いきり転んでしまった。
「大丈夫か?」
地面に伏せたまま一時停止してしまっているので、心配になって呼びかけながら手を差し伸べる。少しでもダメージを軽減出来るよう、転ぶときに手をつくなど出来ないものなのだろうか。あまりにも豪快な転び方で、顔から突っ込んだのではないかと心配になった。
「うぅ、僕と将人くんの戯れの邪魔をするなど、神様は嫉妬でもしているのか」
「司、一人称一人称」
「………失敬。うう、私と将人くんの戯れを邪魔するなど、神様は嫉妬でもしているのか」
「何でわざわざ全部言い直した?」
そして神様の悪戯だとか神様がもたらした不幸な運命ではなく、単純に司がドジで足元への注意が疎かになっていただけだ。
「ちょっと擦り向いてるね。痛い?」
俺の手を取って立ち上がった司の膝を潤が屈んで覗き込む。司はどんよりとした空気で落ち込んでいるので、それなりに痛いのだろう。
「ピリピリする」
案の定、そんな感想を漏らした。薄ら血も滲んでいるようだ。
「だからちょっとは落ち着きなさいって言ってるのに」
「澄香の言う通りだよ、司。きちんと澄香の言う事を聞かないと」
何だか、その言葉だけ意識すると司が末っ子で佐々岡さんがその姉、潤が母親のような会話だと思った。司はどうも性格に幼い所があるので、俺だけではなく潤や佐々岡さんも年下に対するように接してしまっているようだ。
「保健室行くか?」
「そうだね、絆創膏を貰いに行った方が良い。将人、連れて行ってあげなよ」
「分かった。潤達は?」
「僕らはたまには二人でイチャイチャするから、司の事は将人に任せた!」
そう言って無駄に良い笑顔で潤が佐々岡さんの手を握れば、彼女は反射的にそれを振り払う。
「いっ、イチャイチャとか言うな!」
まるで潤の行動や提案を拒絶しているようだが、一瞬で真っ赤になった佐々岡さんの顔を見れば、それがただの照れ隠しだと分かる。幼馴染が恋人と仲が良さそうで、羨望と嫉妬共に妙に微笑ましい気持ちになった。
「えっ、嫌……?」
すると潤は、今度は落ち込んだ様子を見せた。少々悲しそうに眉尻を下げる。潤は元々大人しそうな優しい顔立ちをしているので、見ているこちらまで切なくなる顔だった。
「嫌とかじゃ………って、分かってるんだからな!私で遊んでるだけだって!ああもう腹立つ!」
「遊んでいるとは失礼だなあ。僕はただ澄香ちゃんとイチャつ」
「うるさい!さっさと行く!」
怒った佐々岡さんが教室の方へ歩き出し、潤はじゃあ後で、とヒラヒラと手を振ってその後を追いかけていく。佐々岡さんも短気じゃないかな、とは思うが、それ以上にどうして潤はそれを煽るような発言ばかりするのだろうか、と疑問に思う。
「なあ、司。あの二人っていつから付き合ってるんだ?」
「さあ?おそらく去年の二学期くらいからだとは思うが、正確には分からないな」
「司も知らないのか?」
司も中学の頃から佐々岡さんと仲が良いようなので、てっきり知っているものとばかり思っていた。
「あるとき突然、潤と一緒に僕の所へ来てくれたんだ。その後も時々潤と顔を出してくれていたんだが、段々澄香一人でも声を掛けてくれるようになった。それで、僕と澄香も親しくなった頃に、実は付き合っているのだと聞いた」
「そうなのか」
少し、馴れ初めが気になっていたので、答えが得られず残念に思う。小学生の頃の潤は、誘えば快く様々な事に付き合ってくれたが、基本的にはどちらかと言うと物静かで、教室で本を読んでいるようなタイプだった。積極的に女子と関わる事も無かった。そんな潤が恋人を作っている事を考えると感概深く、好奇心を刺激される。
おまけに、相手は佐々岡さんのような華やかなタイプの女の子である。すくなくとも、小学生の頃の潤の回りにはいないタイプだった。
「それじゃあ、まあ、一緒に保健室に行くか」
今度潤に聞いてみよう、と決めて司にそう提案する。一階にある保健室を目指して司を促せば、司は何故だか嬉しそうに破顔して俺の横に並んだ。
「怪我したのに何でそんなに嬉しそうなんだよ」
「懐かしいじゃないか。小学生の頃もよく将人くんに手当をしてもらっていた」
「司はよく怪我をしてたからなぁ」
運動神経が致命的に切れている司には、その癖興味を惹かれれば危険な場所にも迷わず突っ込む悪癖があった。それはもう、厄介だった。あの頃の司には生傷が絶えず、酷いときは骨折までしていた。
「でも、私は正直、怪我をする事がそれほど嫌いではなかった。保健室で事足りる程度のものなら、だけど」
「え、何でだよ」
いつも声を上げて泣いていたくせに、そんな思いを込めて司を見下ろせば、司は俯きがちに口にした。
「だって将人くんが手当てをしてくれるから。それを思えば、多少の怪我も悪くない」
そして、少しばかり照れ臭そうにはにかんで笑う。痛いのは結局変わらないだろうに、そんな可愛げのある言葉を口にする司の頭を、色々と誤魔化すつもりで撫でておいた。
読んで頂きありがとうございます。
ところで『イチャイチャ』って死語ですか?