君は八つ当たりをされる
司は友達付き合い、というか人付き合いがあまり得意な方ではなかった。
元々自分の世界を持ち、自身の興味のある事だけに全力で突き進むタイプだ。人に合わせる事が苦手であり、合わそうと思うほど他人に興味を持つ事もなかった。
だからこそ、友人と呼べる存在は俺と潤くらいで、他の同級生と関わる姿を見た事がなかった。特に、何故だか女子との相性は最悪で、賑やかな女子集団には嫌われてすらいたようだ。男子の中には時折司の石を集めたりするような趣味に興味を持つ者もいたようだが、それもほんの数えるほどである。
今思えば、司も司で、心と身体の性別の違いに戸惑って、人との関わり方が分からなくなってしまっていたのかもしれない。
そんな司の印象が根強いからこそ、今の光景は新鮮だった。
「なんっで、またスカート長くしてんの!?」
「や、やめ、やめたまえ。だってスースーするじゃないか」
「そのくらい慣れなさい!あ、こら、司!逃げんな!」
昼休み、一緒にご飯を食べよう、という事で潤と揃って隣のクラスに顔を出せば、怖い顔をして襲い掛かっている佐々岡さんから必死で逃れようとする司がいた。話の内容から司のスカートを短くさせたい佐々岡さんと、それを拒否する司という構図のようだ。
「あ、潤!捕まえて!」
「ま、将人くん…!」
教室に入ってきた俺達に気付いた佐々岡さんが、潤を視界に捉える。それとほぼ同時に司もこちらに気付き、縋るような目を向ける。その情けない顔に幼い頃の思い出が蘇り、妙な庇護欲を覚えた。
「可哀想じゃんか、澄香。司が怯えてるよ」
「そうやって潤が甘やかすから司はいつまで経っても半端なんじゃん!」
潤が佐々岡さんに怒られている内に、司は素早く俺の背後に回る。俺より15cmは背が低いので、司にとって良い壁になれるだろうと思う。
「潤はいつもそう!」
「あはは。澄香ちゃん、そんなに怒ってたら可愛い顔がもったいないよ。可愛いのに。怒ってても可愛いけど」
「………っ!だーまーれー!」
潤のからかうような言葉で、佐々岡さんの顔が真っ赤になる。一見するとツンとした気の強そうな美人、という印象の佐々岡さんだが、意外と素直な性格をしているらしい。そういえば初対面時でも潤の事を感情のままにバーカバーカ!と罵っていたので何と言うか、飾らない性格なのだろう。
しかし、恋人と仲が良さそうで正直潤が少し羨ましい。彼女をからかって遊んでいるだけのようにも見えるが。
「まあ、仕方ないよ。司って私服でもスカートなんて履いた事がないし」
何せ、最近まで男として生きて来たのだ。スカートなんて持って無くて当たり前だ。きっとそれに憧れた事も何度となくあったのだろう。顔こそ見えないが、俺の背中にぎゅうとしがみ付く司の手の頼りなさに、俺が大人で金さえ持っていれば、スカートなんていくらでも買ってあげるのに、と少し悔しく思った。
「そうだ、司!今度一緒に服を買いに行こう!司に似合うスカートとかワンピースとか買いに行くの!」
「あ、それ良いね。そうしなよ。将人も司の可愛い格好を見たいよね?」
「将人くんが?」
おずおずと、自信なさそうに司が俺の名前を口にする。見下ろして司へ目を向ければ、司は不安そうに俺を見上げていた。いくら生まれたときから心は女性であったとはいえ、これまでずっと男として生きて来たのだ。色々と不安に思う事もあるだろう。もしかしたら、似合わないに違いない、と悲観しているのかもしれない。だからこそ俺は、司の背中を押してやりたい、と努めてはっきりと口にした。
「ああ、楽しみにしてる」
すると、司は更に眉尻を下げ、何故かほんの少し目元を潤ませると顔を真っ赤にして、俺の背中へ顔を埋めた。司の表情は窺えないが、どうやら照れているらしい。照れ隠しのように、ぐりぐりと背中に頭を押し付けられる。
「じゃあ、決まりだね。僕も付いて行こうかな」
「何で潤まで……」
「良いじゃん、せっかくだし。そうだ、将人も行こうよ。ゴールデンウィークとかさ。毎日部活って訳じゃないよね?」
潤が何気なく俺を誘う。それは極々自然な流れで、自然な言葉で。けれどその一瞬、当事者にしか分からない程度に空気が凍った気がした。
「え?」
露骨に不満そうな声が上がる。それは佐々岡さんのもので、直後に俺へ酷く冷めた視線を向けられたが、それもすぐに逸らされた。睨まれたとも言う。
「………別に良いけど」
その癖、彼女はつまらなさそうにではあるものの、潤の提案を受け入れた。佐々岡さんは度々、今のような冷たい視線にどこか苛立ちを絡ませたような目で俺を見る。
どうやら俺は、幼馴染の彼女に嫌われているらしい。残念な事に、原因は全く思い当たらなかった。
「俺は何かしたのか?」
「何が?」
昼休み終了の五分前には自分達の教室に戻り、飲み切れていなかったパックの牛乳を飲んでいる潤の元へ歩み寄る。自分から話を振ったものの、その前に今潤が飲んでいる牛乳が気に掛かった。
「おまえ、そんなに牛乳が好きだったか?」
思えば、高校に入学して以来、潤はいつも昼休みに牛乳を飲んでいる。潤は昔からあまり好き嫌いは無い方だった。しかし、特別に牛乳が好きだった記憶も無い。
「ああ、これ?身長が伸びるかと思って。でもたぶん、意味ないよね。うちの両親を見てたら希望が無い事くらい分かる」
潤の両親はどちらも小柄だった。うちの両親と比べれば、父同士母同士でそれぞれ10cmずつ小さいように思う。
「昔は、そんなに伸ばそうとしてなかっただろ」
「僕は昔から諦めてたからね。ただ、僕は気にしなくても澄香が気にするみたいで」
潤の言葉に、このままだと自分より小さいままだ、と嘆いていた佐々岡さんの言葉を思い出す。身体測定結果が返却されてすぐに隣のクラスまで潤の成長を確認しに来るくらいだ。余程気にしているのだろう。
「だからまあ、一応努力はしてみようと思って」
そうこの話を締めくくり、自席につく潤は目線だけでそばに立つ俺を見上げる。
「それで?どうして何かしたのか、なの?」
潤の言葉で、先程聞きたかった本題を思い出した。
「いや、おまえの彼女に……佐々岡さんに嫌われている気がして」
思えば潤や司と共にいる為によく顔を合わせるが、まともに会話をした事がない。佐々岡さんは時折俺に視線を向けるだけで、俺が見返せばふいと視線を逸らしてしまう。話しかけられるタイミングすらなかった。
「ああ、何だ、そんな事か。気にしなくていいよ」
「気にしなくていいって……」
「澄香のあれは、ただの八つ当たりだから」
飲み終わったらしい牛乳パックを潰しながら、潤が言う。
「ごめんね、ちょっと感じ悪いよね」
「潤が謝らなくても………でも、八つ当たりって何だよ」
生理的嫌悪というものがある。悲しいが、仮に一切の接点が無くとも嫌われる事はあるだろう。しかし八つ当たりという事は、本来怒りを感じる先が別にあるはずだ。
「澄香が本当に腹を立てているのは僕なんだよ。でも、それを僕にぶつけられないから、将人に八つ当たりしてる」
そう言われて、あまりピンと来なかった。潤が佐々岡さんをからかって、佐々岡さんはそれに対してよく怒っているが、端から見ていてそんな様子さえとても仲が良さそうに見えた。俺だけではなくクラスメートから見ても、茂木爆発すれば良いのに、と言われる程である。
佐々岡さんは、一体潤の何に腹を立てていると言うのだろうか。
「付き合ってるんだろ。不満があるならおまえに直接言えば良いじゃないか」
「それはそういう約束だから、澄香は言わないよ」
「約束って?」
俺の問い掛けに、潤は笑った。さして困った風でもなく、自然と笑みの形を作る。潤は昔から、時々こういう顔をする。柔らかく自然で、けれど有無を言わせないような、何を考えているか分からない微笑み。
「秘密」
さあ授業が始まるよ、と潤に促されて、俺は大人しく自分の席についた。
読んで頂きありがとうございます。
シリアスタグを足しておきます。今後徐々にそちらに偏る予定です。




