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君は程々に妬まれる



 剣道を始めたのは小学校三年生のときだった。

 隣の家のお爺さんが開いている道場へ見学に行ったのが切っ掛けだった。初めこそ声の大きさや竹刀の合わさる音、物々しい様子に少し怯えてしてしまったが、だんだんとその格好良さに憧れを抱くようになった。父が好んでよく観ていた時代劇の侍のようだと感じた。

 切っ掛けはそんな些細な子どもらしい憧れで、けれどかれこれ六年続けて来た事を思えば、性に合っているのだろう、と思う。


 始めてからは正直、暑いし臭いし痛いしで、今となっては格好良いのは見た目だけだと思っている。夏場の練習は拷問で、防具を付けているときに汗が目に入りそうになったときの絶望感は筆舌尽くしがたい。冬は冬で、裸足で道場を踏む瞬間には毎度覚悟が必要だ。それでも怪我などで数日休めば無性に道場が恋しくなるので、何だかんだ好きなのだろう。元々身体を動かす事自体、好きな方だ。

 当然のように、高校に進学しても剣道部に入部した。中学時代は遠方に引っ越し、そちらで剣道をしていたので知り合いはいないが、先輩や同級生達も気の良い人がほとんどで、今のところ上手くやれているつもりだ。


 今日も部活を終えて制服に着替え、いつもの通り同級生達五人と下駄箱へ向かう。一年は片付けと掃除があるので少々居残り、先輩方はすでに解散している。同級生同士、特に気負う事も無くつまらない話をしながら下駄箱へ辿りつけば、そこからひょっこりと見慣れた顔が現われた。


「お疲れ様じゃないか、将人くん!」


 司だった。司は満面の笑みで現われたかと思えば、俺の周囲の同級生達に気付いてぎょっと目を見開く。その後、慌てて口を引き結んだ。そのまま挙動不審気味に視線を右へ左へ忙しなく巡らせている。

 司は基本的に人見知りだ。初対面の人間に対して警戒心を抱き、あからさまに動揺する。冷や汗をたっぷり掻いて、何も喋れなくなってしまうのがほとんどだ。小さい頃は俺の後ろに隠れてばかりいた。潤の事だって、出会った当初は警戒心を剥き出しにして威嚇していた。もっとも潤の場合はある日突然、珍しくも司の方から心を開いた。一体潤はどんな手を使って司と打ち解けたのか。とても気になったが、いくら聞いても潤はその答えを教えてくれなかった。


 そういえば、司とは正反対のタイプに見える佐々岡さんとは、一体どうやって仲良くなったのだろうか。


「何だ、司。もしかして待っててくれたのか?」


 司はあからさまに動揺した様子で、口を噤んだままぎこちなく首を縦に振った。それなら悪い事をした。あらかじめそう言ってくれていれば、ゆっくり着替えずにさっさと駆け付けたのに。

 一言断りを入れて司と帰ろう、と同級生達を振り返って俺は言葉を失った。


「ど、どうしたんだ………」


 彼らは揃いも揃って般若のような顔をしていた。この世の不条理に神経を削られたような、憎しみと腹立ちのない交ぜのような顔。隣に立っていた田村の両手が、そっと優しく俺の肩に添えられる。


「この裏切り者ぉおおおお!」


 そのまま勢いよく力づくで肩を掴まれ、前後にガクガク揺さぶられた。その振動で歯がガチガチと音を立てる。冗談では済まないくらい、容赦のない勢いだ。先日佐々岡さんに身長を聞かれた際、同じように揺さぶられて、それでも半笑いで通していた潤をうっかり尊敬しそうになってしまった。


「見損なったぞ上原ぁあああ!」

「俺達は硬派な剣道部だったはずだ!」

「それがこの体たらくはなんだ!」

「俺達は剣の道に生きようと誓い合ったあの晴れの日を忘れたか!」


 悪いがそんな誓いを立てた覚えは無い。


「何か勘違いをしているようだが、司は幼馴染で………」

「キェエエエエエッ!よりによって幼馴染とな!」

「幼馴染ってあれか!あれだろ!?窓から窓へお互いの家を行き来して、朝はツンデレに起こしに来てくれて、小さい頃に結婚の約束をしているあれだろ!」

「うぎゃあああああ!滅びろ上原ぁああああ!」


 再度激しく肩を揺さぶられる。どうしたものかと揺さぶられながら考えていれば、今度は腰に衝撃があった。その途端にぴたりと俺の肩を掴む田村の動きも止まり、その場にいた全員で俺の腰に目を向ける。司が俺のブレザーの裾を掴んで、こちらを見上げていた。


「………ま、将人くんを苛めないでくれ……」


 正直頬が緩みそうになった。人見知りの司が、俺を助ける為に奇声を上げる面々の中に割り込んでいった。司は、友達の為ならば勇気を持って行動できる人間だ。だからこそ、今でこそ随分と分別を身に付けたものの、本能のままに生きていた頃の司に色々と振り回されても、ちっとも憎めなかった。将人は司に甘すぎる、と潤にはよく呆れられたものだ。


「……………………………上原」


 すると、田村はそっと俺の肩から手を離し、パッパッと俺の肩を何度か払って、とても温かい顔で微笑む。他の四人も同様だった。


「明日、覚えてろ」


 その言葉を合図に五人そろってグッと親指を立て、まるで葬式のような重苦しい空気を纏ったままその場を歩き去っていった。足取りが重く、フラフラとしていて思わず心配になったが、まあ五人もいればなんとかなるだろう。


「………司、帰ろうか」


 俺のブレザーの裾を掴んだまま呆然としていた司に声を掛け、俺達も徐々に帰路に付く事になった。








 俺が剣道を始めたとき、司も一緒にしたい、と何度か一緒に道場に付いて来た事があった。しかし、司は幼い頃から致命的に運動神経が切れていた。小柄な痩せっぽちで体力は全くと言っていいほどなく、スポーツと名のつくありとあらゆるものとの相性が悉く悪かった。

 結局、俺と一緒に剣道を習う事は諦めたものの、俺の試合のときは決まって応援に駆け付けてくれた。俺が勝てば自分の事のように大喜びして、負ければ一緒に悔しがって、司なりに励ましてくれた。練習がどんなに大変で辛いときでも、応援してくれる司に対して恥ずかしい事は出来ない、と思えば頑張れた。


「懐かしいなあ、この臭い。剣道をしている将人くんの臭いだ」

「臭いだけだろ」


 防具を付けていると仕方がないのだが、我ながら酸っぱいような強烈な臭いがする。自分でも悪臭だと感じるので、他人からすれば余計だろう。


「ふっふっふ。僕……あぁ、私くらいになれば、将人くんの臭いならどんな臭いでも干されたお日様のような心地良ささ」

「お日様は干せねえよ」

「………間違った」


 司は大袈裟に肩を落とす。言い間違って誤魔化そうともしないのが、妙に司らしいと思った。


「ところで将人くんよ。今の私は何か違うと思わないかね?」

「何か?」


 両手を軽く広げて聞いてくる司の言葉に従って、視線を頭の天辺から順に足先まで移動させていく。腰を過ぎたところで、その『違い』とやらに気付いた。


「スカートが短い」


 膝がほとんど隠れるくらい長かったスカートが、今は10cmほど短くなっている。田村達との騒ぎに意識を奪われていて、全く気付けていなかった。


「澄香に短い方が可愛いと言われて上げられたんだが、どうも心許ないな。将人くんはどう思う?やはり将人くんも短い方が可愛いと思うかな」

「まあ、短い方が今時馴染みはあるけど、心許ないなら別に長くてもいいんじゃないか?」


 それに校則としては一応長い方が正しいはずだ。女子制服の校則など詳しくは分からないが、少なくとも膝丈の長さを咎める校則はないだろう。


「そうか、なら別に良いか」


 俺の言葉に納得すると、制服をめくり上げ、折っていたらしいスカートを長く伸ばしていく。腹が見えているものの一切の恥じらいを感じられないが、今この河原の脇道には他に人影も見えないので構わないのだろう。すっかり夜も更けている事だし、俺くらいしか見えないはずだ。


「よし!直ったぞ、将人くん」


 司は満足そうな笑顔を浮かべて、俺を振り返った。どこか楽しそうに、好奇心をくすぐられた、あの幼い頃のように。


「澄香が色々と教えてくれるんだ。女の子らしい服装やお洒落に、言葉遣い。……私はそれを物にするよ。一人称もこうやって変えていくし、それが出来れば喋り方も改めるつもりだ。私は、女の子になるよ」


 そう言ってくすぐったそうに笑う司は、今でも十分女の子に見えた。痩せっぽちは相変わらずで、女性らしい丸みはあまりなく、声も女性にしては低い方だろう。けれど、スカートを履いて、どちらの方が可愛いだろうかと頭を悩ませ、そうして浮かべる笑顔は十分に女の子らしいものだった。

 実際、田村達も司の事を女の子だと信じて疑っていない様子だった。不器用で少しずつではあるものの、司は着実に自身の望む存在へと変化していっている。


「将人くんといて、違和感がないように。私はちゃんと、女の子になる」


 晴れやかに司が笑う。司が司らしくいられるなら、それが一番いい事だと思う。


「そうか、頑張れ。俺は何があったって、司の味方だから」


 けれど、正直、同じ男として生きて来たあの頃が、少しだけ懐かしくなった。






読んで頂き、ありがとうございます。

モテなさ過ぎて頭おかしくなっている人が好きです。

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