君は基本的に鈍い
「やあやあ、将人くん!共に帰宅しようではないか」
司は変わった喋り方をする。
少し芝居がかったような。けして女性のような事はないが、男性でもあまり聞き慣れない話し方だ。
幼稚園で出会い、俺と同じような喋り方をするにようになっていったのだが、司のお母さんが少しそういう所に厳しい人で、もう少し柔らかい喋り方をするように、とよく咎められていた。
ちょうどその頃、小学校に上がった司は図鑑だけでなく本をよく読むようになった。自分の興味のある分野に関する本や、推理小説にも興味を持つようになった。パズルやクイズが好きな司は、トリックを暴く事に面白みを見出したらしい。司は授業にはまるで関心がなく、勉強も全く真面目に取り組まなかったが、本を読む為に辞書を引いて漢字を覚えた。
やがて、司は本の語り口調、推理小説の名探偵の口調の真似をするようになる。これならばまだ柔らかいだろう、と母親にドヤ顔で訴えていた。司のお母さんが疲れたように、或いは諦めたように、そうね……と呟いたのが印象的だったものだ。
「僕は良いよ。二人で帰りなよ」
俺のような喋り方ではなく、潤のような喋り方をしていれば司のお母さんも何も言わなかったのではないか、と今なら思う。潤の喋り方は割と、誰に対しても柔らかな印象を与える。
「何でだよ。どうせ帰る方向も一緒だろ」
「将人………」
司に一緒に帰ろうと誘われ、当然昔と同じように三人で帰ろうと思ったのだが、放課後になって潤に先に帰ってて、と言われた。潤は俺の名前を呼ぶと、何故か生温かい笑顔を見せる。
「僕の半分はこれでも優しさで出来ている」
「鎮痛剤か」
「アレはよく効いて良い。僕っ…私も愛用してる」
「愛用!?司、もしかして片頭痛持ちにでもなったのか!大丈夫か?」
「それで通じないから僕も色々気を使うんだよなー」
何が通じていないのかよく分からなかったので聞き返そうとしたのだが、何でもない何でもないとあしらうように言われたので追及を諦めた。潤はそういうとき、はぐらかすのがとても上手いので問い詰めようとしても無駄だろう。
「とにかく、僕は用事があって残るから。二人で帰ってよ」
「何だ、用事があるなら最初からそう言えば良いのに」
「………うん。そうだね」
潤は何やら色々と飲み込んだような複雑な顔をしていたが、やはりそれ以上何かを語る様子はなく、その間に司にぱっと素早く腕を引かれる。
司は男にしては華奢だが、女の子にしては背が高く痩せぎすで、あまり女性らしい丸みはない。けれど、明るい笑顔には女の子独特の愛橋があるように見えた。司はずっと、こんな風に笑いたかったのだろうか。
「さあさあ、ではでは帰ろうではないか、将人くん!」
「おい、ちょっ、引っ張るな、司」
慌てて鞄を持って教室から立ち去ると、潤からのまた明日ねー、という声が背中にぶつかった。
高校は自宅から徒歩圏にある。しばらく並んで歩けば、見慣れた河原の脇道に差しかかる。小さな頃、司がよく石ころを集めていた河原だ。
石集めに夢中になる司に付き合って、よく一緒に遊んでいた。ふざけ過ぎて二人一緒に川に落ちた事もあった。それを見て、潤はあーあ、と少し呆れながら笑っていた。
見慣れていたはずの町を一歩進む度、思い出が溢れて来る。三年もこの町を離れていたなんて、嘘のようだと思った。司の笑った顔も、潤の呆れた顔も、何一つ記憶から色褪せていない。
「どうだい、将人くん。懐かしいだろう。よくここで一緒に遊んだね」
そんな感傷に浸っていれば、司も同じ事を考えていたのだろう。まるで俺の考えなどお見通しのように、そんな事を口にした。
「大量に石を拾ったな。俺が見付けたのは、ほとんど司にダメだしされたけど」
「それは仕方ない。将人くんは全くなっていなかった。何が美しく何が神秘的か、君はまるで理解していなかった」
「俺は司ほど独特の感性はしてないんだよ」
司は『良い石』を見付けると、どこがどのようにどれほど素晴らしいか、を毎度熱く語ってくれたものだが、残念ながら俺には司の主張の半分も理解できなかった。俺からすれば、どれも似たような色と形をした、砂にまみれた小石だった。
「今も集めてんのか?」
「もちろん、美しいものを見付けて蒐集しない私ではないよ」
「そうか。でも、コレクションも増え続けるばかりだと、その内おまえの家が石で溢れ返るぞ。俺が引っ越す前でもかなりの量だっただろ」
冗談めかしてそう口にすれば、司は突然足を止めた。倣って俺も立ち止まると、司は恨みがましそうな目でこちらを見上げている。その後、強くブレザーの袖を引かれた。
「コレクションは一度全部捨てた」
「な!え!あんなに大切にしていたのに!」
宝箱と称したお菓子の空き缶に大量に詰め込み、暇があればうっとりと眺めていると聞いた。一度司のお母さんがあまりにも自分の子どもが石に熱中しすぎるので、心配になってそれを取り上げた事もあったのだが、そのときの司は泣きわめいて拒否したらしい。そんな司が、石を捨てたというのは幼馴染として結構な大事件だった。
「だって、辛かった。あのコレクションには、将人くんとの思い出が沢山詰まっていた。あの子達を見ていると、君の事ばかり思い出して、とても耐えられなかった」
「司……」
俺の引っ越しが決まり、それを伝えたときの司の様子を思い出す。泣いて、怒鳴って、見ていられないくらい取り乱していた。それほど別れを惜しんでくれるのか、と不謹慎ながらもほんの少し喜ばしい気持ちと、申し訳無い気持ちが芽生えた。
「将人くん、僕は君が憎かったよ。僕を置いていく君が、その癖平然としている君が、とてもとても恨めしかった」
真っ直ぐにこちらを見上げる司の目は、涙で揺らいでいるように見えた。罪悪感と、遠く離れてしまったときの悲しさや寂しさを思い出して、息が詰まった。思わず謝罪を口にしようとして、けれどそれよりも早く司が俺の胸に飛び込んできて、その腕を俺の背中に回す。
「でも、もう良い。こうして将人くんが帰って来てくれた。また僕と………私と一緒にいてくれる。だから全部全部、もう良いんだ」
ぎゅうっと、司は抱きつく腕に力を込める。こうして司に飛び付かれるのも久しぶりで、何だか妙に戸惑ってしまった。ぎこちなく背中を撫でれば、司ははにかむように笑って、すぐに俺から距離を取った。その頬がうっすらと赤く染まっている。どうやら司の方も、久しぶりの事で少々照れてしまったらしい。
「改めてよろしく頼む、将人くん」
そう言う司の笑顔が、眩しかった。
おそらくこれまでの人生で、司は沢山思い悩んで来ただろう。性の不一致による苦しみは、俺の想像を絶するだろう。沢山苦しみ、泣いた日もあったに違いない。もしかしたら、数々の奇行も、その苦しみによって自分を見失っていたのかもしれない。しかし司は、いつだって笑うのだ。俺の前では、本当に楽しそうに笑ってくれるのだ。
きっと司は、俺が思っていたよりもずっと強い人間だったのだろう。けれど、時にはどうしようもなく辛いときだってあるはずだ。
その苦しみの片鱗を知った今、これから司が苦しいと思うとき、悲しいと思うとき、その支えになりたい、と強く思った。
読んで頂き、ありがとうございます。
司の一人称は、本人が頑張って改善中です。その為、ややこしいですが、会話の中で『僕」と言ったり『私』と言ったりしています。