君はあの頃を知らない
「むしろ僕はよく気付かなかったなー、って素直に感心するよ」
帰ろうとする所を無理矢理引きとめて自室まで連れこめば、潤は平然とそう口にした。どうやら潤は母親からの頼まれ事で、俺の母親に用があったらしい。俺の母親に何かを届けて用事は済んだそうだ。
「潤は気付いて……いや、ちょっと待て。その言い方はやっぱり司のあの言葉はそういう意味なのか」
「意味って?」
「こう………恋愛、的な」
自分の中の様々な葛藤を抑えつけながらその言葉を絞り出せば、潤が大きな溜息を吐く。俺に向けるその目がまるで虫けらを見るような目に見えたが、どうか見間違いだと信じたい。
「あそこまで言われて未だに何言ってるの?いや、言われなくても昔から司は将人の事しか見てないよね」
「友達として好いてくれているのかと。というか極最近まで男だと思ってたし………」
「いや、友達の好意のレベルじゃないよ。知り合った頃、将人を取られると思って僕にも敵対心剥き出しだったくらいだし」
そう言われて思い出すのは、初めて三人で顔を合わせた日の事だ。まず、潤と俺が仲良くなって司を紹介したのだが、司は頑なに俺の背に隠れ、潤を睨んでいた。司は人見知りだな、程度にしか俺は捉えていなかった記憶がある。そんな二人だが、ある日を境に急に司が警戒心を解き、潤はそれに不思議がることもなく受け入れていた。
「そう言えば、どうして二人は急に仲良くなったんだ?」
「え?ああ。僕が司の悩みを解消してあげたから、かな」
潤はそう答えると、俺の母親が提供してくれた珈琲を飲む。それから目線だけを俺に向けた。
「とにかくさ、きちんと向き合ってあげてよ。そうじゃないと司は、いつまでも将人が好きなままだよ」
潤に明け透けにそう言われると、顔に血液がじわじわと集まってくる。司に恋愛という意味で好かれている。これまでまるで考えた事の無かった可能性に、頭が混乱していた。最近になって司は女の子だと、強く意識していたからこそ尚の事。
「司の事は、ずっと男だと思っていたんだ………」
「知ってるよ。言っておくけど、僕は基本的に司の味方をするからね。僕にそんな事を訴えても無駄」
往生際悪く呟く俺に対し、潤はあっさりと切り捨てる。思わず恨みがましい目で見てしまいそうになったが、ふと違和感に気付く。潤はこうも司の味方ばかりするような人間だっただろうか。昔は、俺と司の意見が別れたとしても潤はどちらの味方もせず、静観しているタイプだった。
「どうして潤は、そんなに司の味方ばかりするんだ」
そう言えば、俺の質問の意図する所が分かったのだろう。潤は珍しく言いにくそうに視線を落として、俺の質問に答えた。
「罪悪感があるから、かな。初めて会った頃、僕は司の事が大嫌いだった。友達の友達ってだけでこっちは全く興味無いのに勝手に嫌ってくるし、かなり鬱陶しかった」
「そう、だったのか……?」
潤は幼いころから落ち着いていて、いまいち何を考えているか分からない奴だった。司にどれだけ警戒心を剥き出しにされても大した反応を見せなかったし、気にせず俺に話しかけていた。だからこそ、内心でそんな事を考えていたと知ったのは、随分と衝撃だった。
「そんな頃にさ、司が言ったんだよね。女の子と男の子がずっと一緒なのは変って言われた、将人くんといたいだけなのに、って。だから、じゃあ男になれば?って適当に言った」
「………まさか司が男だと言い張ってたのって」
「たぶん僕のせいかな?それ以後は、悩みを解消してくれたとでも思ったのか、司は警戒心を解いて、僕もそんな司を嫌いじゃなくなったよ」
潤もまさか本当に司がそれを実行するなどと思ってはいなかったのだろう。性別なんて、変えようのないものだ。けれど司はそれを素直に受け取って、本当に男になろうとしたらしい。
「それでまあ、小学校時代は何とかなったけど、中学になるとそうもいかないよね。制服はスカートだし、何かと男女で分けられる。入学以来、ジャージで通そうとする司は小学校の頃以上に奇異の目で見られるし、あからさまに陰口を叩く子もいた。で、極めつけが将人の事を知った人に面と向かって言われたらしい。男友達となんて一生いられる訳ないでしょ、って。その後、司は立派な不登校になってさ、さすがの僕も罪悪感で死ぬかと思ったよね」
「え、そんな、事が、あったのか…?」
再会した司は、見た目こそ変貌していたものの、中身はいつもの司だった。中学の頃だって、時々連絡を取っていたが、そんな事は一言も口にしていなかった。俺が学校の事を話しても、司は変わらない様子で受け答えしていた。
「あったんだよ。だから、僕は基本的に司の味方をするよ。せっかく司が普通に生活出来るようになったんだから、もうあの頃に逆戻りはさせたくない」
潤はあくまで淡々と言いきった。普段から何を考えているかいまいち分からないけれど、潤は回りをよく見て深く考える人間だと知っている。だからこそ、本当はその頃色々な事で気を揉んでいたのだろう、と容易に想像出来た。
「ごめんな」
「何で将人が謝るの?」
潤が苦笑する。
「俺、何も知らなくて、何の力にもなれなかった」
司に対してだってそうだ。司は昔から自由奔放な性格をしていた。だからといって、人から向けられる悪意や言葉に傷付かない訳ではない。人並みに傷付くし落ち込む。それなのに俺は、司が傷付いていたであろうときに、そばにいてあげる事も出来なかった。何が出来るかは分からないけれど、昔から司を守ってあげたいと思う気持ちに嘘偽りはなかったのに。
「自業自得だし、大したことじゃないよ。それに僕はほら、何だかんだ彼女作ったりとか、中学生活も楽しんでいたし」
ああいや、と潤はすぐに否定するように首を横に振った。
「本当はやっぱり、司が立ち直るまでは自分の事をしてる場合じゃないな、とは思ってたんだけど………うーん」
潤は言い淀んでから少しだけ照れ臭そうに笑った。
「でもほら、好きになっちゃったなら、仕方ないよね」
普段、佐々岡さんの事をからかって遊んでばかりいるような潤だが、そのあまりらしいとは言えない、照れたような顔を見て本当に好きなんだな、と思った。佐々岡さんは潤からの好意に対して不安がっている部分もあるようだったが、どうやら何も彼女が不安がる必要はなさそうだった。
「おまえそれ、ちゃんと佐々岡さんに言ってあげろよ」
「え?言ってる言ってる」
「いや、あの、真剣に言えよ?」
あまりにも軽く言うので心配になった。彼女もいない、幼馴染に好意を寄せられていても全く気付いていなかった俺が言うのもなんだが、言い方によっては伝わるものも伝わらないと思う。
「まあ、司も言わずにはいられなくなっちゃったんだよ。それくらい好きなんだ。だからさ」
潤はやはり彼らしく、静かに呟いた。空になったコーヒーカップを目の前の机に置く。
「真剣に考えてあげて」
真面目な潤の様子に、俺も神妙な気持ちで頷いた。しかし、司の事を異性として意識した事がほとんどなかった為に、どうしてもあまりリアリティがない。
司の俺への好意が恋だという。つまり、俺がその好意を受け止めたとすれば、俺は司と付き合う事になるのだろう。付き合うという事は彼氏彼女で、手を繋いで歩く事もあるだろうし、キスをしたり、当然それ以上の事も視野に入ってくる。
それを、俺がするのだろうか。司と?世間で当たり前だと認識している恋人達の関係が、俺と司という可能性を考慮しただけで、全く別の不可解なものとしか思えなかった。
読んで頂き、ありがとうございます。
メインではないけれど潤のお話でした!