君は勘違いをしている
再会した幼馴染が女装癖に目覚めていた。
そのときの俺の動揺は筆舌尽くしがたいものがある。高校入学と共に再会した幼馴染がナチュラルに女子用の制服を着ていたのだ。ブレザータイプの制服の胸元には臙脂色のリボンを引っ提げ、腰から下には濃紺でチェック柄のプリーツスカートを履いていた。膝が半分隠れるような長さで、その更に下には黒のハイソックスを身に付けている。今時誰も守らない、規定通りのスカートの長さだった。
俺の幼馴染は『男』である。もしかして俺の思い違いだろうか、とも思ったが、確かに彼に『僕は男だよ』とはっきりと断言された記憶があった。
「また会えて嬉しいよ、将人くん」
三年ぶりに再会した幼馴染の手島司は、司らしい妙に落ち着いた話し方で俺に向かって手を差し伸べる。反射的に握手には応えたものの、驚きのあまり声を出す事も出来なかった。
手島司と初めて出会ったのは、俺達が幼稚園の頃だった。
司はその頃から少々変わった奴だった。遊具遊びやお遊戯などにはまるで興味がなく、皆と一緒に遊ぶ事は一度もなかった。気付けば園児達の輪から逸れ、先生達が後から慌てて探す事も珍しく無かった。
そんなとき、司は決まって人目に付かないような裏庭や木陰にいた。何をしているのかと思えば、変わった形の石を見付けては収集し、穴を掘ってそこに隠していたらしい。またあるときはおぞましい量の虫などを捕まえては、見た事のないものを見付けて大喜びしていた。さすがにあれには、当時の俺もドン引きだった。
司は好奇心旺盛だった。その好奇心に負け、すぐにフラフラと姿を消してしまう。先生が大慌てで司を探すのを、俺もよく手伝っていた。司は大抵地面の石や虫に夢中で、小さく丸まって下を向いている事が多く、大人である先生達には死角で見付かりにくかったようだった。しかし、小さな俺は司の居そうな所を少し探せば、彼の丸い頭をすぐに見付ける事ができた。
『あ、まさとくん!』
司は俺が見付けると、決まって笑顔で顔を上げた。彼は先生方や他の園児達とはまるで警戒するように距離を置いていたが、不思議と俺には心を開いてくれているようだった。
司は興味のない事に対しては一切口を開かなかったが、逆に興味のある事に関しては物凄く饒舌だった。石の形と色合いの美しさ、その理由の推察、昆虫や動物の生態を新しく学んでは、誰かに止められるまで何十分でも何時間でも俺に語り聞かせてくれた。
俺はそういう話を聞く事があまり苦では無く、むしろ自分の知らない事を知る事が出来て、興味深かった。司は俺と一緒に過ごすようになり、他の園児や先生の言う事は全く聞かないが、俺の言う事は比較的よく聞いてくれた。その為、俺はいつしか『司係』と目されるようになっていたのである。
その後、同じ小学校に進学して、毎年同じクラスとはいかなかったものの、毎日一緒に下校して、毎日一緒に放課後を過ごした。喧嘩する事もけして少なくはなかったが、大抵次の日には仲直りして、間違いなく『親友』と呼べる間柄だった。おそらく、司もそう感じていてくれたと思う。
小学校で学年が上がる度、さすがに司の奇行も減っていった。相変わらず興味がある事と無い事への落差は激しかったが、授業中に教室を飛び出してトンボを追いかけるような事はなくなった。何度も何度も真剣に叱り、宥めすかした甲斐があった。初めこそ拗ねながらではあったが『将人くんがそう言うなら』と我慢する事を覚えてくれたのである。
そうなれば、自然とクラスメートとも話す機会は増えたが、それでも司は新しい雑学や綺麗な石を見付けては、いつも一番に俺に教えてくれた。
司は自惚れでなければ、俺によく懐いてくれていた。もう一人の幼馴染には『親鳥に甘える雛みたいだよね』とからかわれたくらいだ。俺が親の転勤の関係で引っ越す事になる小学校の卒業式まで、俺達はいつでも一緒だった。
そのくらい一緒にいたからこそ、俺は司の事なら何でも分かっているつもりだった。自由奔放という言葉が似合う司が喜ぶ事、哀しむ事、怒る事、俺は全部分かっているつもりだった。
けれどそれは、ただただ傲慢なばかりの勘違い甚だしいものであったのだと、俺は高校の入学式の日に知ったのである。
入学して一週間が経った。
あまりの衝撃に何を聞く事も確認する事も出来なくなっていたが、流石にこのままではいられないだろう、と思いもう一人の幼馴染に問い掛けてみる事にした。何より戸惑いと動揺で、このままでは胃がもたない。
司とはクラスが別だった。俺は一組で、司は二組だった。残念そうにしていた司には悪いが、顔を合わせる度に大いなる混乱に陥るので、俺は安堵の溜息を吐いた。
休み時間の内にもう一人の幼馴染、茂木潤の席のそばまで歩み寄ると、彼はにっこりと笑って俺を見上げた。成長期を迎えていないのか、潤は男子にしては声が高く、小柄なままだ。
「何だか懐かしくて嬉しいなあ。また将人と同じ学校に通えるなんて」
「それは俺もだよ。司と潤とは毎日一緒に過ごしてたからな。引っ越してから違和感に慣れるまでは、思った以上に辛かった」
「将人もそう思ってくれていたなら、僕以上に司が報われるね。将人が引っ越してからの司の落ち込みようは見ていられなかったもの」
その言葉に、引っ越しが決まってから卒業式までの司の様子を思い出す。有難い事に別れを惜しんでくれる余り、物凄い荒れようだった。普段好奇心の赴くままに動き、それ以外の事では感心も動揺も見せず、いつだって平然としていた司が、大きな声で嫌だと引き止め、時には泣いて、怒って遠くへ行く俺を詰った。司の涙なんてそのとき初めて見たし、俺だって本音では離れたくないと思っていたので、思わず貰い泣きしてしまいそうだった。
貰い泣きしてしまえば、無駄に行動力のある司が一緒に抗議を込めて家出しようと提案しかねない、という思いだけで何とか堪えていた。司なら絶対に言う。
「その、司の事なんだが………」
「うん?司がどうかした?」
潤が何事もないかのように疑問符を浮かべる。潤は司の奇行について何も思っていないのだろうか。まあ、石を集めたり虫を集めたりする趣味に関しては我関せずの様子だったが、流石にこの奇行はいくら潤でも見過ごせないと思うのだが。それともまさか、司の女装癖は俺の知らない中学の頃から始まっていたのか。
空いていた潤の目の前の席に後ろ向きに座り、彼の目を真っ直ぐに見詰めて俺は口を開く。
「あの、女装はなんだ」
俺の問い掛けに対し、潤の反応は理解不能だった。彼は一度ポカンと口を開き、そのままギギギと鈍い動作で首を傾げた。視線だけは胡乱に俺を見上げ、非常に居心地が悪かった。
「え、何。正気?女装って何の話さ」
「何って司だろ、司。もしかして中学から女子制服を着てるのか」
「いや、中学時代はジャージで押し通してたけど、将人が……」
「俺がなんだよ」
そう聞き返せば、潤が俺の顔をじっと見つめて来た。探るようなその目が、何だか居心地悪い。
「本気?司、似合ってただろ」
「いやまあ、似合ってない事は無かったが」
司もまた、男子にしては若干小柄で潤と似たような背格好をしていた。身長は160cmほどだろう。手足もほっそりとしていたが、司は致命的な程に運動神経が切れていたので、おそらく一切鍛えられていない事が原因だ。声も、まだ声変わりを迎えていないのだろうと分かる、高めの声だった。髪は肩に付かない程度のショートカットで、一見すると普通の女子生徒に見え、女子制服も普通に似合っていた。
「だが、あれは女子制服だろう。どうして司があんな格好をしているんだ」
改めてそう問えば、潤は見る見る内に目を丸くして、一瞬ぴたりと固まると、次の瞬間には大きな声で噴き出し、
「ひっひ、ふ、ふ……ふはははははははっ!」
そのまま爆笑し始めてしまった。一体何がおかしい。俺は幼馴染に何か悩みでもあるのかと思い、こうして相談しているのに。
クラス中の視線を集めても一切構わず笑い続けた潤は、ひーひっ!死ぬ!笑い死ぬ!と机の上に突っ伏して見悶えていた。
「一体何なんだ………」
「だ、だって。ひっ、ま、まさとが、ふ、ふ、ひいっ!」
「だから一体何を言いたいんだ!」
何がどう笑いのツボに入ったのか、身悶え続ける潤の背中を撫でて何とか宥めれば、目に笑い涙を溜めながらも、潤はようやく息を整えてこちらへ向き直った。
「後で怒られたくないから一応言っておくけど、司は生まれたときから女だからね」
「何だって、まさか司の奴……!」
所謂、性同一性障害というものなのだろうか。それならそうと何で早く言わない!当たり前のように司を男扱いして、きっと傷付けてしまった事も多々あっただろう。同じ男だと、何の遠慮も無く付き合って、司に負担を掛けていた事もあっただろう。俺がその事実を知って、距離を置くような人間だとでも思っていたのか。その程度の事で壊れる友情だと思っていたのか。もしそうだとしたら、これほど悔しい事はない。
「それじゃあ司は、今一生懸命女性に戻ろうとしていたのか」
「そうなるかもね。まあ、僕は司が女の子じゃなかったときなんて知らないけど。特に将人といるときは」
潤の肯定を受けて、俺はかつての自分の司へのまるで思いやりのない接し方を、大いに後悔した。いくら知らなかった事とは言え、俺は何度司を傷付けたのだろう。噛み合わない性の狭間で、どれほど司が苦しんでいたのか、知る由もなく。
「………潤、俺は司に何をしてやれるだろうか」
「当たり前のように受け入れて上げる事じゃない?将人と再会するからって、随分勇気を振り絞ってスカートを履いたみたいだし、下手に触れると羞恥心で泣いちゃうよ」
「それも………そうだな」
俺は司の幼馴染だ。俺は司の親友だ。幼稚園からの付き合いで、不思議なくらい俺によく懐いてくれていて、まるで兄弟のように共に育ってきた。そんな俺だからこそ、出来る事はきっとそれしかない。
当たり前に、ありのままの司を受け止めよう。彼が―――彼女がその心のままに生きられるように。自分自身を偽る事無く、幸せになれるように。
「あ、将人くんいた!今日の放課後は暇かい?暇なら僕……っと、私と一緒に帰ろうじゃないか」
噂をすれば何とやら、司が勢いよく一組の教室に入ってくる。俺を見付けて嬉しそうに笑うその笑顔を守りたいと強く思った。司の悩みには長い間気付けなかったかもしれない。それでも俺は、司の兄貴分として、その笑顔がとても愛しいのだから。
読んで頂きありがとうございます。
新連載始めてみました。
※主人公は馬鹿みたいに真面目です。真面目な馬鹿です。その為物事の全容が見えていない事が多々あります。