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初戦『餓鬼』

「羅刹殿。帰ってきたようですよ、あの子」


 世にも美しい女の姿をした鬼が、楽しそうに紅い唇の口角を上げる。

 艶やかな黒髪は床にまで広がっていた。

 額からは綾なす虹色の、美しくも繊細な角が天に向かって伸びている。

「せっかく流してやったのにな」

 一方、逞しく焼けた胸肌を惜しげもなく晒した青年鬼は、苦虫をつぶしたような顔をしながら、女の胸を背後からかき抱いた。

 奇岩をくり抜いて作った末広がりで先が尖塔のような恐ろしげな城の最上階から、二人は広がる海の向こうに視線を投げる。

 海を挟んで正面に見える対岸には、人の目には見えないだろう小さな影がある。

 彼らからにはこの城はどう映るのだろう。

 どこかおどろおどろしい、草木の一つも生えぬ黒い島は。

 内湾と外湾の堺にその島はある。

 里人は、その島を「鬼ヶ島」と呼んでいた。


   ◇


「あれかあ、鬼ヶ島」

 肩で息をしながら、ももはにやりと笑った。

 珠の様な美少女の筈なのに、顔には泥が付き、汗で肌に張り付いた着物はどこかうすら汚れている。

 苦労の多い旅だった。

 一体どこで地図を落としたんだろう?

 ぼんやりした記憶に寄れば、三分の一の行程で着くはずだったのに。

 必要以上に山や川を越えてきてしまった気がする。

 隣ではトイプードルのサユリが嬉しそうに鼻を鳴らしてくうんと鳴いていた。

 ももはよしよしと撫でてやる。

 ようやく目的地に着いたと思ったんだろう。予想外に長い旅だったもんな。

「あれですか、姉御」

 やはり息を切らしていた猿彦が、やれやれと持たせていた大量の荷物を地面に卸して息を吐いた。


 こいつは道中で、蟹と合戦中だったのを引っ張ってきた。

 と言うより、どう見ても負けそうだったから助けてやったと言うのが正しい。

 そもそも合戦の理由が柿の種だってんだから、所詮は猿である。


 ももの上空では、雉鍋にしようと罠で捕まえた雉が、なぜか優雅に旋回していた。

 雉曰く、「いんやあ、あっしを食うのはお勧めできません。生かしておいたら役に立ちますよ、斥候でも見張りでも何でもやります。だから食べないで~」とか何とか。

 そのあまりに軽い口調に、食う気が萎えてしまったのだ。

 こんな軽薄そうな雉に脂がのっているとは思えなかった。


 いつの間にか増えたお供どもを従えて、ももは洋々と「おいでませ、こちら鬼ヶ島」とポップ体で書かれた看板に沿って、島へと続く橋を渡っていったのだった。


 そもそも。

 なぜ鬼退治なんて思ったのか、よく覚えていない。

 桃から生まれた時点で、それ以前の記憶はきれいさっぱりリセットされており、そのくせ「鬼退治」と言う単語だけが脊髄に刻み込まれたように残っていた。


 だから旅に出た。

 必要十分に大きくなったから。

 手足は伸び、胸や腰はいつの間にか立派に膨らんでいた。

 煌めく瞳とふっくら濡れた様な唇がチャームポイントである。


 育ててくれたバーさんはももの異様な成長に驚いてはいたけれど、慣れればそれなりに可愛がってくれたし、ジーさんは親切とは言い難かったけど、まあそれでも拾ってくれた恩人だった。

 たぶん、大切に育ててもらった。

 悪戯すれば裏の栗の木に吊るされたりもしたが。


 だったらこれは恩返しかと言うと、それも違う気がする。

 子供は育てば旅立つものだから。

 やるべき事を定めて生きるべきだから。

 それは親から生まれようと桃から生まれようと、あまねく永遠に変わらぬ生き物の不文律、なのだろう。


 背中に背負った剣は、ジーさんが旅立つ前にくれたものだ。

「鬼退治ならこれを使え」と言って蔵から出してきた。

 きっと廃品回収に出しそびれたんじゃないかと踏んでいるが、真偽は定かではない。

 変なジーさん。妖刀・(いかずち)なんて銘の入った剣、どうして持っていたんだか。

 まあいいや。


 橋を渡り切ったら、ひとりの小鬼がももを見て驚いた様に走り去っていった。

 しかも「きゃー!」と言う悲鳴付き。失敬な。

「とりあえず、あっしが空から様子を窺ってきやしょう」

「それはいいけど…裏切ったら即雉鍋だからな」

「ぎくぎく」

 変な汗を流す雉が、旋回しながら登っていく。

 それを待っていてもしょうがないから、一本しかない道をもも達は颯爽と歩き出した。

 

 まあ、猿彦はとぼとぼって言う方があっていたけどな。

 きっと、この旅に巻き込まれた不運を胸中さめざめと嘆いているに違いない。


   ◇◇


 二つ並んだ片方の山に続く登山道の最初の曲り道で、現れたのは大量の痩せ細った鬼たちだった。

 背も小さい。

 腹だけが異様に膨らんでいるのが不気味だった。


「ひもじいよお。食わせろ~、お前を食わせろ~」

「姐さん、こいつら餓鬼ってやつですかね」

 背中越しに猿彦のびくびくした声が囁く。

 その声を無視して、ももは鬼たちに言った。


「可哀相に…お前ら腹が減ってるのか。ならここに、婆さんが持たせてくれた団子があるぞ」

「あ、姐さん、それは!」

 猿彦の制止も聞かず、ももは団子の入った大きな袋を鬼たちに放り投げる。小さな餓鬼たちはわっと袋に群がって、団子をむしゃむしゃ食い始めた。

「あ、あ、あ…」

 猿彦が物言いたげに言葉にならない声を漏らすのを無視して、ももは頭の中で数を数える。


 ひとーつ、ふたーつ、みっつ…


 その数が四十に届くか届かないかの頃、鬼たちは腹や口を抑えて呻きだした。

「効いたなあ、婆さん特製ホウ酸団子」

「ひでえ! ひでえや姐さん!」

 猿彦は目に涙をいっぱいためて抗議の声を漏らす。自分も一度食わされたから、同情したくなるのも無理はないかもしれない。


「いいから行くぞ、おら!」

 死屍累々と横たわる餓鬼たちを避けて、もも達一行はさらに上へと進んでいったのだった。



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