主語の大きい吾輩
吾輩はライオンである。
言うまでもなく、群れを背負う者である。
世界は広く、乾いた風は容赦なく、運命はしばしば王者にこそ過酷な試練を課す。
まことに、世は厳しい。
本日の試練は、餌が取れなかったことである。
いや、ただそう言ってしまっては軽い。
軽すぎる。
これは単なる失敗ではない。
群れの未来を左右しかねぬ重大事であり、ひいては草原の秩序そのものを揺るがす由々しき事態である。
吾輩が一頭のシマウマを逃したということは、すなわち自然界全体が吾輩に背を向けたということに等しい。
あと一歩であった。
あと一歩、爪先ひとつ、息ひとつの差であった。
それが届かぬ。
かくも世界は、全力を尽くす者に冷たい。
無論、言い訳をする気はない。
王者たるもの、敗北にも品格が要る。
吾輩はただ、事実を述べているにすぎぬ。
足元の石の位置がわずかに悪く、風向きにほんの少しの裏切りがあり、獲物の勘がたまたま冴えており、ついでに昼の暑さが普段より粘り強かっただけである。
これはもはや、個体の問題ではない。
環境全体の吾輩への当たりが強いのである。
狩りののち、吾輩はゆっくりと群れへ戻った。
急いではならぬ。
成果が出なかった日こそ、堂々として見せる必要がある。
背筋を伸ばし、視線を遠くへやり、いかにも深い事情があったような顔をして歩く。
王者には王者の美学がある。
群れの者たちは、吾輩を見るなり、ああ今回は駄目だったのだな、という顔をした。
たいへん遺憾である。
こちらはまだ何も言っておらぬのに、結果だけが先に伝わっている。
空気というものは、ときに言葉より残酷である。
「どうだったの」 と番いが聞いた。
この問いがいちばんつらい。
群れの仲間の視線もなかなか堪えるが、番いの静かな問いには、別種の重みがある。
期待と現実と、ほんの少しの諦めが絶妙に混ざっているからである。
吾輩は咳払いをひとつした。
「世界が、少々手強かった」
番いは黙った。
黙ってから、
「逃したのね」
と言った。
言葉が早い。
こちらには、王者の苦悩と自然の非情さについて一席ぶつ予定があったのだが、番いはいつも要点だけを抜く。
「逃したのではない」
吾輩は低く言った。
「群れの未来を思い、無理な深追いを避けたのだ」
「転んでたと聞いたけれど」
情報が回るのも早い。
群れとは厄介な共同体である。
その時、少し離れたところで若い者たちが獲物を仕留めた。
小ぶりではあるが、立派な餌である。
群れの空気が一気に明るくなった。
吾輩はうなずいた。
実に落ち着いた、王者らしいうなずきであった。
「見たか」
番いが眉ひとつ動かさずこちらを見る。
吾輩はさらに続けた。
「個の力に頼る時代は終わった。これからは群れである。
吾輩が日頃から背で示してきた連帯の精神が、ついに実を結んだのだ」
「あなた、今日は何もしていないでしょう」
番いは容赦がない。
だが、そこは視点の違いというものだ。
実際に牙を立てたのが吾輩でなくとも、群れに勝利の気概を与えたのは吾輩である。
若い者たちが王者の背を見て育ったことを思えば、この成果は遠回しに吾輩のものであると言っても、決して過言ではない。
むしろ控えめなくらいである。
「では、その連帯の精神を育てた王者として、あなたは何をしたの」
吾輩は少し考えた。
考えてから、威厳を崩さぬよう慎重に言った。
「……見守った」
番いは、ああそう、という顔をした。
あまり納得していない顔である。
だが群れの者たちは餌を囲み、若い者たちは誇らしげで、腹の虫は遠慮なく鳴っている。
こういう時、細かな事実関係にこだわるのは野暮というものだ。
群れに餌があり、空腹が満たされ、王者の面目もどうにか保たれる。
それでよいではないか。
吾輩は堂々と胸を張った。
世界は今日も吾輩に試練を与えたが、最終的に群れへ勝利をもたらしたのは、やはり吾輩の徳と器の大きさであったらしい。
「食べる時だけ先頭なのね」
番いの声が背中に飛んできた。
……まことに遺憾ながら、群れというものは、王者への敬意がやや足りぬ。




