竜騎士にあこがれて。転生した公爵令嬢の追放劇
乙女ゲーム『竜騎士にあこがれて』。
それは、聖なる竜に選ばれた王子とその仲間たちが、ヒロインと共に国を救い、愛を育む王道ファンタジーだ。
日本という国の、ごく一般的な女子高生だった少女が、そのゲームのヒロインである公爵令嬢、エルセ・フォン・ラングリッツに転生したと気づいたのは、十四歳の時だった。
シナリオでは、エルセが十五歳の誕生日に物語は大きく動き出す。
第一王子にエスコートされた彼女は、「始まりの祠」を訪れる。 そこで伝説の竜の卵が孵り、王子が竜騎士となり、物語が動き出す……。
エルセに転生した女子高生ハルカは、自らのヒロインとしてのその運命を、大きく変える珍事を巻き起こすことになる。
これは、そんな欲望にまみれた彼女の奔放な物語である。
十四歳になったエルセ。
前世である日本人の記憶を取り戻した彼女には、この国の第一王子への確かな恋心を抱えつつも、それよりも。自らの欲望が抑えきれず、今にも爆発しそうな衝動を抱えていた。
それでも堪えた彼女だが、一か月の後、遂にその欲望を爆発させた。
「……我慢、できないわ。 私は……本物の竜に、触りたいのよぉー!!!」
前世からの重度の「ドラゴン愛好家(自称)」としての本能が、シナリオを無視して暴走を始めた。
エルセは真夜中、ドレスを脱ぎ捨て動きやすい乗馬服に着替えると、護衛もつけずに自室の窓から抜け出すと、興奮気味に公爵邸を後にした。 向かう先は王領の東。奥深くに眠る「始まりの祠」だ。
「あった……。 これが、ゲームのCGで見た卵ね……」
祠の祭壇に鎮座する淡く輝く白銀の卵。 本来なら王子の魔力に反応して孵化するはずだったそれを、エルセがたまらず撫でまわす。
「可愛いわね……早く、出ておいでー」
小さなでき心が湧きだしたエルセは、冗談交じりでそれに囁きかけた。 そう、自らの欲望のままに……。
その瞬間だった。
ピキッ、と小気味よい音が響く。
まばゆい光と共に殻が弾け飛び、中から現れたのは、猫ほどの大きさのサファイアの瞳を持つ、美しい蒼竜だった。 ゲームの中のあの愛くるしい姿が、今まさに彼女の目の前にある。 そのことがエルセの心を激しく高ぶらせた。
「キュイッ?」
「……っ!!! あああぁぁぁ、可愛いわぁ! 天使! いや竜神だった! 待ちきれずに、私のところに来てくれたのね!」
シナリオを無視して竜神を孵してしまったのはエルセ自身だったが、それを棚上げしつつ喜びに小躍りする。 そんなエルセは戸惑う竜を抱き上げ、その鱗の質感を堪能し、首筋に顔を埋めた後、スーハーと、激しい呼吸を繰り返した。
ゲーム知識によればこの竜こそが神竜の幼体。 後に王子の相棒となる最強の個体。 だが、エルセのあまりの熱量に絆されてしまったのか、竜は彼女の指を甘噛みし、魔力のパスを繋いでしまった。
その瞬間、エルセは竜騎士として覚醒したのだ。
本来のシナリオが、ガラガラと音を立てて崩れ去った瞬間だった。
「きゅい?(やっと会えたね。僕の愛しき人)」
心が通い合った影響か、竜の意思が伝わっていた。 エルセは嬉しさのあまり、そのまま竜を抱き、祠の中で体を丸めると眠りこけていた。 推しとの添い寝を遂げた彼女の寝顔は、幸せにあふれていた。
翌朝。
祠で一夜を明かしたエルセは、意気揚々と公爵邸に戻ろうと、肩に蒼い仔竜を乗せ、鼻歌まじりに歩き出す。
そして数十分後、ラングリッツ公爵邸の付近までたどり着いたエルセは、普段は自身の護衛を務めている男性たちに囲まれる。 どうやらエルセがいなくなったことで大騒ぎになっていたようだ。
肩に乗る竜におびえる彼らににつれられ、屋敷の玄関まであと少し。 そんな彼女の視界には、仁王立ちしているエルセの父、サイモン公爵が待ち構えていた。
嬉々として報告をしようと走り出したエルセ。
「お父様! 見てくださいませ、祠で竜を拾いまし――」
「なんだ、その野蛮なトカゲは!!!」
父からの怒号。 それは、エルセが予想していた称賛ではなかった。
冷たく、虫でも見るかのような蔑みの視線も込みで、彼女を見下ろし怒りを露わにする公爵。
「御父様、この子はトカゲではありませんよ? これは伝説の竜です。 私は竜と契約を―――」
「黙れ! 公爵令嬢たる者が、そのような得体の知れない魔獣を連れ回すなど、正気の沙汰か! お前は王家との婚約話が進んでいるという最中に、その肌に傷でもついたらどうするというのだ!」
間髪入れず、その存在を否定される言葉を投げかけられ、エルセは激しく困惑していた。
よくよくシナリオを思い出してみれば、王国において、竜は「畏怖の対象」ではあった。 そして「使役する対象」であるという概念は、まだ一般的ではなかったのだ。 ゲームの物語が進み、王子が竜を従えることで、竜のその価値が証明されるのだ。
今の時点では、公爵から見たエルセは、「危険な魔物を拾ってきた狂った娘」に見えたのだろう。
「今すぐそのトカゲを捨ててこい! さもなくば、騎士団に命じて殺処分にする!」
「殺処分……? この子を?」
エルセの瞳から温度が消えた。
彼女にとってこの竜は……すでに『ドラン』と名付けた愛しき竜は、前世からの夢の結晶。 それを「トカゲ」と呼び、「殺す」と言い放った父を、彼女はもう家族とは思えなかった。
「分かりました。 お父様がそう仰るなら、私はこの家を出ます!」
「はっ? えっ? ななななっ、何を馬鹿なことを―――」
「ドランを殺すくらいなら、公爵令嬢の肩書きなんていらぬのだよ! さらばだ父よ!」
怒りのあまり、思わず前世のなりきりプレイのような、そんな言葉遣いになって激怒するエルセ。
彼女は父の横を走り抜け、自室へと戻るとすぐに戻ってきた。 そして、未だ困惑し思考停止に陥っている父に背を向け、再び門外へと走り出した。 彼女の手には、母の形見の宝石箱と、護身用の短剣。 そして、肩には最強の相棒『ドラン』。
こうして、ゲームのヒロインである「公爵令嬢の追放(逃走)劇」が幕を開けた。
◆◇◆◇◆
エルセが家を飛び出してから一年。
王都から遠く離れた辺境の街『ガンドール』のギルドには、一つの噂が流れていた。
「青いトカゲを連れた『蒼銀の魔女』には気をつけろ。 獲物を横取りされるぞ」
実際には横取りなどしていない。
ただ、彼女の相棒であるドランが、主のために良質な魔物を片っ端から狩りまくってしまうだけなのだ。
十四歳だったエルセは十五歳になり、すっかり冒険者の顔になっていた。 公爵令嬢としての気品は、どこか超然とした強者の余裕へと変貌している。
「ドラン、今日の狩りはやりすぎよ。 そんなにワイバーンの肉ばかり持ってきても、ギルドの倉庫がパンクしちゃうわ」
「グルルゥ(ごめーん)」
喉を鳴らすドランは、一年で既に中型犬ほどの大きさに成長していた。 エルセはその翼の付け根を愛おしそうに撫でる。 そんな一人と一匹に、一人の男が声をかけてきた。
「おい。 そいつ、本当にただの魔物か?」
そんな不躾な声に振り返ると、そこには銀髪をラフに結んだ、精悍な顔立ちの青年が立っていた。 背中には大剣。 纏う空気は周囲の冒険者とは一線を画す強者を感じさせる。
(え、嘘でしょ? なんで彼がここにいるの?)
エルセは心の中で絶叫していた。
目の前にいる銀髪の男は、ゲームにおける攻略対象の一人。 平民出身ながら若くして最強の座に登り詰め、後に「竜騎士団」の一翼を担うことになる、Sランク冒険者、ジークだった。
「あんた……そのトカゲをどうやって手懐けてる? 見たところ従魔術の術式も見えないが?」
「ただの愛着関係よ。 この子は私の家族だから」
エルセは正体を隠すようにフードを深く被り、冷たくあしらおうとした。 だが、ジークの瞳は好奇心に満ち溢れている。 本来のシナリオなら、彼はヒロインを守る騎士のような存在になるはずだが、今の彼はただの龍に興味津々な戦闘狂に見えた。
「面白いな。 俺はジークだ。 あんた、名前は?」
「エル。 ただの風来坊の冒険者よ」
この出会いが、崩れたシナリオをさらに加速させることになるとは、この時のエルセはまだ知らなかった。 本来のゲーム開始まであと数日。 世界が、彼女の竜騎士としての力に気づき始める時間が、刻一刻と近づいていた。
◆◇◆◇◆
「おいおい、冗談だろ……俺が手も足も出ないなんてな……」
街の外れ。 草木がなぎ倒された広場で、ジークは仰向けに大の字になっていた。 愛用の大剣は数メートル先に突き刺さり、彼の喉元には、蒼竜ドランの鋭い爪が突きつけられている。
「勝負あったわね、ジーク。 ドランは手加減していたみたいだけど?」
「グルゥ(とうぜんだ)」
「分かってるよ。 俺をケガさせないように、なんとも繊細な動きをしやがって。 完敗だ」
ジークは苦笑しながら降参の意を示すと、ドランはフンと鼻を鳴らして爪を引いた。
ジークはこの一ヶ月、事あるごとにドランに勝負を挑んでいた。 Sランク冒険者としてのプライドというよりは、純粋に自分より強い存在への興味。 そして何より、ドランを従わせているエルの神秘的な姿に惹かれていたのだ。
それからというもの、ジークは当たり前のようにエルに付きまとうようになった。
「おい、エル! 北の森に手強いワイバーンが出たらしい。 ドランの飯ついでに行こうぜ!」
「一人で行けばいいじゃない。 ドラン、あんなガサツな男の誘いに乗っちゃダメよ?」
「グルル、グルゥグルルゥ(でもあいつ、いい肉の場所知ってるんだよ……)」
「もう!」
文句を言いながらも、エルとジーク、そしてドランの二人と一匹のパーティーは、街で最も有名な、そして最も不可解な存在として定着していった。
そんなある日のこと。 ガンドールの街は異様な熱気に包まれていた。
「第一王子、ジュリアス殿下の御一行が到着されるぞ!」
エルは宿の窓から、豪華な馬車と騎士団の列を冷ややかに見下ろした。
(予定通りね。 一年経って、ようやく殿下が『始まりの祠』へ向かうわけだ)
本来ならあの場で、彼女は王子の婚約者として隣に付き従い、共に祠へ向かうはずだった。 だが、今の彼女は、使い込まれた革鎧を纏う一介の冒険者だ。 関わりたくない。 そう思って宿の裏口から出ると、そのまま裏通りを抜け、ジークの待つ街の外へと移動していた。
その時だった。
「待て。 そこの女、止まれ!」
運命の悪戯か。 馬車から降り、街の視察を行っていたジュリアス殿下と、正面から鉢合わせてしまったのだ。 王子の傍らには、同じくゲームの攻略対象である聖騎士カイルと、宮廷魔導士ルナンが控えている。
「その背後にいるのは……魔物か? 街中にそのような巨大な怪物を連れ歩くなど、言語道断だ!」
一年ぶりに見る元婚約者、ジュリアス。 ゲームでは凛々しい貴公子と称えられた彼は今、ドランの放つ圧倒的な捕食者の威圧感に、膝を震わせていた。
「魔物ではありません。 私の相棒、ドランです」
「……っ、エルセ……? まさか、エルセ・フォン・ラングリッツか!?」
エルの声に、王子が目を見開く。
煌びやかなドレスではなく、冒険者としての装備をまとうその姿。 だが、彼女のその気品と美貌は隠しようがないようだ。 かつて、野蛮なトカゲを拾った気狂いの令嬢として追放された婚約者の姿に、王子は顔を引きつらせた。
「貴様、まだそのトカゲを連れていたのか! 見ろ、怯えて街の者たちが逃げ出しているではないか! 衛兵! この怪物を排除しろ!」
(逃げ出してるって……街の人たちはすでにドランを知っているわ! この場を遠巻きに見ているのは、あんたたちが物々しい警備をしているからじゃない!)
そう思いながらも反論を口にするエルセ。
「ドランは何もしていません! 殿下、御下がりください! でなければ―――」
エルセは叫ぶが、恐怖に支配された王子は聞く耳を持たず叫ぶ。
「聖騎士カイル、魔導士ルナン! 王家の威光を汚すこの魔獣を、即刻討伐せよ!」
「やれやれ。 殿下の命令じゃあ、逆らえないな」
聖騎士カイルが、神聖な魔力を宿した国宝の剣を抜く。
「未知の生命体には興味があります……殺処分は忍びないですね。 ですが殿下の命、仕方のないことです」
残念そうな表情を浮かべながら右手を上げた魔導士ルナンが、幾何学的な魔法陣を空中に展開した。
「やってみなよ。 こいつに傷一つつけられるならな!」
気付けば背後から現れたジークが大剣を肩に担ぎ、エルセの前に立つ。
「ジーク、下がって! これは私の、私とドランの問題よ!」
「バカ言え。 相棒のピンチを見捨てる男がどこにいる!」
一触即発の事態……。
そして、カイルの神速の突きと、ルナンの広域破壊魔法が同時に放たれた。 その時だった。 周囲をつんざくような音と共に、突風が吹きつけ、放たれた二人の攻撃は掻き消えた。
「――ッ!? なんだ、このプレッシャーは!」
カイルが攻撃を止め、空を見上げる。
東の王都の方角、北の霊峰、南の密林、そして西の海。
四つの方向から、ドランに匹敵する強大な何かが高速で接近してくる。
「キィヤアアアアアオン!!!」
「グオオオオオオン!!」
雷を纏う黄金の竜。 冷気を振りまく氷結の竜。 大地を震わせる紅蓮の竜。 そして、聖なる光を放つ白銀の竜。
すべて見知った姿でそれらは現れた。
ゲームの本来のシナリオなら、これから数年かけて王子率いる御一行が各地でイベントをこなし、認められ、授けられるはずの守護竜たちが、今この場所に、同時に集結したのだ。
「ひ、ひいいっ! 竜だ、竜が四匹も! 殺される……殺されるぞ!」
ジュリアス殿下は腰を抜かし、無様に地面を這い回る。
四匹の竜は、地上で身構えるカイルやルナンには目もくれず、一直線に急降下した。
「……え? 嘘でしょ?」
戸惑うエルセの目の前に、四匹の巨大な竜が着地する。彼らはエルセとドランを囲むように並ぶと、一斉に首を垂れ、エルセの足元に、まるで忠誠を誓う騎士のように跪いた。
「キュ、キュイ、キュイィ!(おい、お前ら、遅いぞ!)」
ドランが語尾を強め鳴く。
「あの、皆さん? 守護対象はあちらですよ? 私はただの、追放された元令嬢なんですけど……あっ、あなたはこっちでいいの、かな?」
エルセの困惑を余所に、四匹の竜は彼女の服の裾を甘噛みしたり、頭を擦り付けたりと、猛烈な構ってアピールを開始した。 それぞれがカイルとルナン、そしてジークに付き従う竜たちだ。
紅一点、北の霊峰から飛来した真っ白な聖竜は元々、彼女を守る守護竜となるのだが、今はすべての竜が彼女に擦り寄るように集まっている。
「お、おい! 大丈夫なのかそれ!」
ジークが距離を取りそう尋ねるのも当然だろう。 周りの者からしたら、エルセが四匹の竜に襲われているようにしか見えないのだ。
聖騎士、魔導士、そして王子。 竜騎士になるはずだった男たちが呆然と立ち尽くす中、エルセは五匹の巨大な竜に揉みくちゃにされながら、遠い目をして呟いた。
「これ、どうやって終わらせたらいいの?」
王子の放った剣も、魔導士たちの呪文も、古の血を引く竜たちの前では無力な羽虫の羽ばたきに過ぎない。そう理解しているエルセは、今回の不運な出来事の落としどころを必死で考えていた。
砂塵が舞い、静まり返った街の一角に、王子の震える声が響く。
「そ、その竜は国の守護神、すなわち国の宝だ! 貴様のような落ちぶれた女が独占して良いはずがない! 直ちに国へ献上しろ!」
(なんと馬鹿げた言い分)
そう考えたエルセを他所に、王子の言葉は伝染してゆく。
周囲の騎士たちからも「そうだ、それが国民の義務だ!」「身の程を知れ!」と、卑怯なまでの同調圧力が広がりをみせる。 その反面し、エルセを守るように翼を広げ、低く唸り声を上げる竜たちの圧倒的な威圧感を前に、彼らは一歩も近づくことができなかった。
「殿下、このまま大人しくお帰りくださいませんか? これ以上、彼らを怒らせたくありませんので」
エルセが冷たく告げると、そのエルセを守るように翼を広げた紅蓮の竜が、大地を揺らす咆哮を上げた。
腰を抜かし、ほうほうの体で撤退していく王子御一行の後ろ姿を、エルセはただ冷めた瞳で見送るだけだった。
◆◇◆◇◆
数日後。
王子たちの醜態を目の当たりにした聖騎士カイルと魔導士ルナンは、あの日を境に豹変した。
「エルセ様……。 真に竜に選ばれたのは、あのような愚かな王族ではなく、貴女だったのですね!」
「私の魔導は、貴女という真の主のために使われるべきでした。 どうか、お傍に私を……」
王子を裏切り、跪いて忠誠を誓う二人。 しかし、エルセにとって彼らは「今さら何を」という存在でしかなかった。
「邪魔です。 そこ、どいていただけますか?」
一切の慈悲もなく、ゴミを見るような目で一蹴するエルセ。 彼女の関心は、もはや彼らには微塵も残っていなかった。 何より、ドランに殺意を向けたことは許されないことだった。
それよりも、エルセの心を重く沈ませていたのは、なんだかんだと付きまとわれ、今では相棒として隣に立つ存在となったジークの沈黙でした。 王子御一行の騒動の後、エルセが公爵令嬢という身分であることが露呈してしまったがための高き壁。
「公爵令嬢、だったんだな、 あんた……、いや、お嬢様は……」
街の外に常設されているたまり場で、焚き火に手をかざすようにしていたジークがぽつりと呟く。 これまで対等な相棒として、時には軽口を叩き合ってきた二人の間に、目に見えない身分の壁という冷たい空気が流れ始め、エルセは困惑していた。
「隠していたわけじゃないの。 ただ……言う必要がないと思っていただけ」
「ああ、そうだな。 俺みたいな流れの傭兵には、関係のない話だ」
ジークの視線はどこか遠く、エルセは胸の奥がチリりと痛むのを感じていました。 そんな気まずい日々を過ごす中で訪れた、衝撃の朝。 予想外のことが訪れ、エルセは途方に暮れることになる。
王族に目を付けられ、もはや宿を取ることも難しくなってしまったエルセは、冒険者のたまり場となっている街はずれにある簡易広場に、少し上等のテントを立てて寝泊まりしていた。
ジークとの気まずい関係が続き、重苦しい空気の中で迎えた朝。 いつものように布団の上で、愛竜であるドランの体温を感じながら目を覚ましたエルセは、とんでもない違和感に気づいた。
(あれ? いつもより、体が熱い……?)
そう思いながら意識が覚醒してゆく。 ドランのごつごつした鱗の感触はなく、吸い付くような滑らかな肌の感触。 エルセが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない現実が目に映ってしまった。
「ん、おはよう。 エルセ」
隣で眠っていたのは、愛竜ではなく、透き通るような銀髪をシーツに散らし、彫刻のように整った顔立ちをした、この世のものとは思えないほど美しい男性だった。 さらに言うと、その男性は一糸まとわぬ姿だった。
その男性は、まだ眠気の残る瞳でエルセを見つめ、ごく自然に彼女の腰に腕を回して引き寄せた。
「な……な、な……っ!?」
叫び声すら出ないエルセ。
だが、その僅かな声に反応したのは、隣のテントで寝泊まりしていたはずの男。 ジークだった。 それが最悪の誤解を招くことになる。
彼がテントの入り口に駆けてある魔導鍵に手を翳し開錠する。 何かあった時のために彼の魔力の波長を登録していたのが災いし、彼がテントの中へと顔を出した。
「おい、エルセ、何かあったか……って、何だその男はぁぁぁ!?」
顔を出したジークが、絶望に叫び膝をついた。 そして、虚ろな表情で口を開いた。
「そうかよ。 公爵令嬢様には、やっぱり俺みたいな泥臭い傭兵じゃなく、そういう……お似合いの連れがいたってわけか……」
ジークの顔は、見たこともないほど暗く沈んでいた。 裏切られたような、あるいは最初から住む世界が違ったのだと突きつけられたような絶望。 彼は吐き捨てるように言うと、静かにその場を離れていった。
(このまま荷物をまとめてここを離れよう)
ジークがそう思って自分のテントへと移動しようとしたその時、その背中に冷たい声が突き刺さる。
「待て。 どこへ行くつもりだ!」
ジークガ振り返ると、全裸のまま立ち上がった男性が、テントから飛び出してきていた。 背後には後を追い、目の前の男の姿に顔を赤くしながら顔を手で覆うエルセが横からこちらに顔を出す。
怒りの顔を見せた全裸の男。 その瞳は、氷のような冷たい鋭さを感じさせた。
「あんたには関係ねえだろ……ッ!」
「関係ならある。 お前はエルセの家来だろう。 主を置いて役目を放棄するなど、この俺が許さんぞ!」
全裸の男がそう告げた後、その美しい背中からは漆黒の巨大な翼がバサリと展開された。 背後のテントがその翼によりみしりと悲鳴を上げ、凄まじい風圧と魔力がジークを地面へと押し付けた。
「……っ、その翼……まさかお前……ドランなのか!?」
地面に押さえつけられながら、顔を上げ驚愕するジーク。 しかし傍らに立つエルセは、ジーク以上に混乱していた。
(やっぱりドラン? でもでも、ゲームではそんな設定なかったじゃない! それに、翼で威圧するのはいいけど、いや、良くないよ? 良くないけど……お願いだから、まずは服を着て!!!)
数分後。 ジークが予備として持っていた、ドランには少しゆったりめの衣服を借り、ドランはようやく人間らしい格好となった。
「見てくれ、エルセ! これで俺も、お前と同じ姿だ!」
ドランは新しい玩具を買い与えられた子供のように、袖を振ったり裾を翻したりして、無邪気にはしゃいでいる。 その姿は、今も見惚れるほどの美青年だが……。
「ドラン。 嬉しいのはわかったから、一旦落ち着いて」
エルセはこめかみを押さえた。
衣服を借りたドランは、喜びのあまり二度三度、背中から翼を出し入れしてしまったせいで、ジークから借りたばかりの服の背中はすでに引き裂かれていたからだ。
「俺の、一張羅が……」
ジークは、自分の服が無残な布切れと化した背中を見つめ、魂が抜けたような顔で立ち尽くしている。
「お前、さっきから何なんだよ……。 ドランだってことはわかったけど、なんで急に人間になってんだよ。 それにその、エルセに対する距離の近さは何なんだ!」
ジークの問いは、至極真っ当なものであった。 ドランは裂けた背中など一向に気にせず、今も当然のようにエルセの肩を抱き寄せ、ジークを冷たく見下ろしている。
「俺はエルセの伴侶だ。 姿が変わろうとそれは変わらん。 ところでジーク。 お前、さっきエルセを置いて逃げようとしたな? その罪、どう償うつもりだ!」
「お、お前が、エルセの情夫かと思ったからだろ!」
「も、もうやめて!」
二人の言い合いに、周りに寝泊まりしていた冒険者たちからの注目が集まっている。 それに恥ずかしさが限界に達し、なんとその場を切り抜けようと叫ぶエルセ。
美しい全裸男と、失意の傭兵。 そして公爵令嬢とバレてしまった噂の女冒険者。 朝の清々しい空気の中、周りは見物人の輪ができていた。
「エルセ様! 朝のお加減はいかが……ッ!?」
「不潔です! 朝からそんな、男に肩を抱かれるなど、私の魔道書にはそんな破廉恥な魔法は載っておりません!」
人込みを掻き分け、そこへ現れたカイルとルナンが、さらに事態をややこしくしていた。
「その手を放せ、不届き者! その方は私が守るべき聖公女――」
「黙れ羽虫が! 騒がしいのだ!」
剣を抜いたカイルに、ドランが魔力を放ちながら威圧する。
次の瞬間、空から光が降ってくる。 そして、昨夜はどこかへと消えていった四体の竜が降り立ち、主であるドランの覚醒に呼応するように、次々と強い光に包まれていく。
「ドラン様の目覚め、お祝い申し上げます!」
「人間ごときに遅れは取りません!ご命令を……」
「で、誰をやるの?僕、がんばっちゃうぞ!」
「主の意のままに、敵を屠って見せましょう!」
光の中から現れたのは、圧倒的な美貌を持つ三人の男性と一人の女性。
長い金髪をゆらしながら膝をつく細身の青年、青い短髪に野性味溢れる大男、真っ赤なサラサラヘアの抱きしめたくなるような美少年。そして、凹凸のある体をさらけ出す銀髪の美しい女性……彼らは一斉にドランの前に跪き、次いでエルセに深く頭を下げた。
(待って……待って待って! ただでさえ設定と食い違ってるのに、またこんなことになるなんて……とりあえず、ハクだけでも……)
唯一の雌竜だったハクと名付けた聖竜に、予備の服をかぶせる。 ハクは「仰せのままに」と素直にそれを羽織ってくれたので、最低限の隠すべきところは隠すことに成功した。
そんなエルセは頭を抱え蹲る。 ドラゴンが五体も人型になり、しかもその全員が自分を主として崇め奉るなんて、愛読していた設定資料集でも見たことがない状況。
尚且つ、カイルとルナンの嫉妬の視線と恐怖を滲ませ、ジークは困惑を隠せず、そしてドランたちの過剰な忠誠心が、エルセの心拍数を激しくさせている。 現場はもはや収拾のつかないカオスと化していた。
――ドォォォォォン!!
幸か不幸か、それを有耶無耶にしてくれたのは、王都の方角から木霊する轟音。 そして天まで届く程の一筋の光であった。 大地を揺らす轟音と、遠くからもはっきりと見える光に、ただならぬ異変を感じる。
そしてエルセは、ある一つの結論に達し考えることを放棄した。
「な、何だ!? 王都の方向から……」
いち早くそれに反応したジークは、光の柱を見てそう嘆く。
王都の北には、建国以来一度も踏破されたことのない最大級の迷宮「虚無の巣窟」といういわゆるダンジョンがあった。 それが、まるで内側から爆発したかのように崩落し、空を覆い尽くすほどの黒い霧と共に、数多の魔物が溢れ出してくる。
見覚えのある演出に、そんなイベントが始まったのだと、それ以外には考えられないと、エルセはそう結論付けた。
「迷宮崩壊……。 嘘でしょ? シナリオより一年も早いじゃない!」
エルセは独り言のようにそう呟き、唇を強く噛んだ。
ゲームではヒロインが聖女の力に目覚めるための最終イベント。 しかし、今の王都にはまともな戦力はない。 王子は今頃、恐怖に震え嘆いているだろう。 騎士団も混乱の極みにあるはずだ。
あの場に戦える戦力は皆無だった。 今ここに、全ての戦力が集まっているのだから。
「エルセ、案じることはない。 あれは羽虫どもが湧き出て、小競り合いでもしてるのだろう? あの程度の雑魚、エルセがそう願うなら、俺たちが一掃してやろう!」
ドランが、破れた服のままエルセの腰を引き寄せ、不敵に微笑む。 すでに何かを感じとり、情報を把握しているのだろう。 四人の元竜たちも、それぞれ武器を顕現させ、静かな殺気を放ち始めた。
どこから取り出したのかは考えないことにした。 それぞれが持つ得物が、伝説級の装備であり、このイベントに入る直前で入手できる最終装備であったことも。考えたくなかった。
「そうね。 この世界がこんなぶっ壊れ設定だっていうなら……私も好きにさせてもらうわ!」
エルセは決意を固め、前を見据えた。
公爵令嬢としてではなく、世界を救う竜の主として。
「カイル、ルナン、替えの服ぐらい持ってるでしょ? ぶっ飛ばされたくなければ、この三人に提供なさい!」
あまりの圧に黙って首を振り、道具袋から服を取り出す二人。
「ドラン、みんな! 王都へ向かうわよ! 私の生まれた街を、勝手に壊させはしないわ!」
その合図と共に、五人の竜はその姿を変えた。
元の姿に戻った四体の竜。 無残にも着せたはずの衣服は無残な姿に……。
「くっ」
その光景にこんなはずじゃと声をあげるエルセは、気持ちを切り替えドランを見る。
今までよりさらに大きくその姿を変えた蒼竜。 その周りにはジークの一張羅の残骸。 ドランの背に飛び乗るエルセは、皆の声を無視して飛び立った。
この国の最強戦力。
竜騎士としてのエルセの初めてのお仕事。
エルセを載せた竜たちは、この日、王国の、いや、この世界の英雄となる。
公爵令嬢エルセ・フォン・ラングリッツに転生した少女は、神竜と結ばれ、崩壊した迷宮を中心とした荒れ地に国を興し、「竜騎姫」として、長く語り継がれることになるのだが―――
「ドラン! やっちゃってー!」
「まかせておけー! 終末の神炎!!!」
今はまだ、それを知らない。
『竜騎士にあこがれて。転生した公爵令嬢の追放劇』
お し ま い
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