わたくしがお父様に疎まれている?いいえ、目に入れても痛くない程溺愛されております。
「ルクレツィア・アーヴェント。今宵を持ってそなたとの婚約は破棄させてもらおう」
アタラ王国の貴族院。卒業記念パーティーの会場で、わたくしの婚約者であるエドワード・ラナ・ド・アタラ王太子殿下は、入場するなりそう言い放ちました。
「な···?」
と、隣で絶句しているのはわたくしの従兄弟。アルヴィス・ドミナント小公爵。隣国に住んでおり、たまたまわたくしの家に遊びに来ておりましたのでエスコートを頼みました。本来、エスコートは婚約者であるエドワード殿下の役目なのですが、放棄されましたので。まぁとりあえず従兄弟の絶句は置いておいて、わたくしも殿下に問いただします。
「エドワード殿下、わたくし達の婚約は王命でした。簡単に破棄できるものではありません。理由をお聞かせくださいませ」
エドワード殿下はわたくしを睨み据えたまま、隣にいるご令嬢を抱き寄せました。
「理由はお前が1番よく分かっているだろう。私の寵愛を受けるラビリア嬢に行った非道な数々。お前のような性根の者に国母など務まる訳があるまい」
(やはりそれを理由にしますか。というかそれしか理由がありませんものね)
わたくしがチラリと見ると、ラビリア嬢はニヤリと口を歪めました。
腰まで流れる豊かな金の髪と豊かな胸。女性なら誰もが羨む美貌を持つラビリア嬢。彼女に嫉妬したわたくしが心ない仕打ちをしていると、学園の者なら誰もが知っている噂です。まあ所詮噂なのですけれど。
「ルクレツィア、婚約してたのか?」
素頓狂な質問をする従兄弟を、横目でチラリと見ました。
アルヴィスが知らないのも無理はないのです。エドワード殿下との婚約が決まったのは2年前。突然下された王命でしたから。
でもその質問も置いておいて。
(後で説明してあげるけど、今じゃないでしょ)
もう一度エドワード殿下と向き合います。
「陛下は、この事はご存知なのですか?」
「もちろんだ。陛下も了承している」
エドワード殿下のその言葉を聞いて、静観していた周りの生徒達がざわめき始めました。嘲笑と侮蔑を込めて。陛下が許可したと言うことは、この婚約破棄が覆らない事だと示されたからでしょう。
とはいえ、王太子の婚約者であるわたくしは、アーヴェント大公家の長女でございます。
アーヴェント大公家はアタラ王国の唯一の大公家であり、広大な北部を統治している由緒正しい家門。当主であり、わたくしの父であるローゼン・アーヴェント大公は王国の剣として、今も北部で魔物の侵入を防ぐため前線にて戦っていました。父がいなければアタラ王国は魔物の脅威を防ぐ事は出来ないでしょう。
そんなアーヴェント大公の唯一の娘であるわたくしが、生徒達から嘲笑されるのにも訳があります。
「ははは。地に落ちたなルクレツィア。お前の名声も、何もかも」
エドワード殿下は学園に入学した頃から、わたくしを目の敵にしていらっしゃいました。わたくしが成績優秀だった為だと思うのですが、わたくしは特Aクラス。殿下はBクラス。わたくしだけを妬む意味は分かりませんが、何かが癪に障ったのでしょう。婚約をしてからは更に露骨になり、『不正をしている』『教師に色目を使っている』などと言いがかりを付けて来るようになりました。首席で卒業する事が決まってからは、更に嘲笑が酷くなりました。
にやにやと笑うエドワードに、さすがにアルヴィスが我慢ならなくなり殺意の籠もった目をして前に出ました。すぐに騎士達が剣を抜き、わたくし達を取り囲みます。
わたくしはアルヴィスの腕を渾身の力で掴み、止めました。
「うっ」
腕を掴まれたアルヴィスが、非難と痛みを訴えてわたくしを睨みます。ですが今動くのは得策ではありません。わたくしは首を振って制しました。首を振らずとも手首を掴んだ時点で制することは出来ているのですが。
わたくしも荒ぶる北部の出身です。父と同じ血が流れていることもあり、公にはしていませんが、かなりの怪力を持って産まれましたから。
エドワードがわたくしごときに制止させられたアルヴィスも、侮蔑の対象としたのでしょう。嘲笑いながら言いました。
「ふん。顔だけの男にエスコートを頼むなど」
アルヴィスは大陸一の領土を誇る、隣国リンドロム帝国の次期公爵です。公爵領土だけでもアタラ王国に匹敵する広さを持つのに。ああなんて愚かなのでしょう。確認もせず相手を貶めるなど。
アルヴィスを見ると、開いた口が塞がらないのか、あまりの出来事にぽかんとしております。
(掴んだ腕を離さないようにしなければ。アルヴィスなら一足飛びでエドワード殿下の首をとってしまうわ)
逆に冷静になったアルヴィスが、落ち着いてわたくしに問いました。
「彼は何故こんなに君を軽視しているんだ?」
(どう説明したらいいかしら)
わたくしが悩んでいる間に、エドワード殿下が代わりに答えてくれました。
「何だお前、知らないのだな。ルクレツィアは大公にも見限られている。私との婚約も破棄になったのだから、その女にはもうなんの後ろ盾もない」
「何だって?」
驚くアルヴィスの視線をわたくしはサッと避けました。
アタラ王国で絶対的な権力を持つアーヴェント大公家の娘でありながら、学園で軽視される理由がまさにこれでした。
剣聖であり、魔物も敵も容赦なく切り捨てると言われる北部の冷血なローゼン・アーヴェント大公。
彼が唯一愛した女性であり、ルクレツィアの母である大公夫人は、ルクレツィアの出産時に命を落とした。愛妻家であったアーヴェント大公は妻と引き換えに産まれたルクレツィアを憎み、幼少期から冷たく接した。学園に入学して5年経ってもルクレツィアを顧みることはなく、放置したまま戦場に赴き連絡もない。
「大公はルクレツィアを疎んでいる。この事は学園では周知の事だ」
エドワードは声高らかに言った。
そう、ルクレツィアは、父であるアーヴェント大公に見放されている。この噂は学園の者であれば一度は耳にしているでしょう。
「閣下が、ルクレツィアを疎んでいる?理解出来ないな。誰がそんな···」
呟くアルヴィスとばちりと目が合うと、さすがに口の端が上がってしまいました。
「まさかお前···」
素早く人差し指をアルヴィスの唇に乗せます。
(まだよ。まだ駄目)
流石のアルヴィスの顔も赤く染まってしまい、わたくしは慌てて指を離しました。エドワード殿下はわたくし達が睦み合っていると思ったのでしょう。イライラと吐き捨てるように言います。
「やめろ。落ちぶれていく者共の色事など見たくもない。この場から早く去れ。それとも追い出されたいか?」
婚約破棄ともう一つ。わたくしには言質を取りたいことがありました。
「殿下。わたくしとの婚約を破棄するならば、父の前線からの帰還を承諾してくださるよう、陛下に進言してくださいませ」
2年前のエドワード殿下との急な婚約は、アーヴェント大公が北部の前線に出征する変わりに、わたくしを王太子妃に据えるという王家と大公家の密約があったからでした。
娘を嫌うアーヴェント大公が、ここまでわたくしを育てたのも、大公家に立場を強固にする為、ゆくゆくは王妃の座につかせようと画策したが故だと噂で聞きました。
エドワード殿下は首を傾げました。
「何故だ?前線から戻った大公がお前を助けるとでも?大公には前線に居てもらわねば困る。そこで私は考えたんだ」
「え?」
足りない頭で何を考えたと言うのでしょう。嫌な予感がします。
「このラビリア嬢は、今はノース子爵家の令嬢だが、大公に言ってアーヴェントの養女にしないかとな」
「はぁ?」
再度絶句したアルヴィスの顔。
(とても隣国の王太子に向ける顔ではないわね)
わたくしも絶句したいところですが、この王太子殿下の突拍子もない発言には慣れておりますので。ですが今回の発言には頭が痛くなりそうです。
建国初期から続く、歴史ある我がアーヴェント大公家に、そんなほいほいと金髪美女を迎える訳にはいきません。
「ルクレツィア。どうすればいいんだこの状況を」
「····」
若干呆れの混じった声をアルヴィスがあげた時、大広間の重たい扉が開きました。
「お、お待ちください!」
会場が騒然とします。
「まぁ。どなた?」
「どちらの家門の方かしら?なんて麗しい」
「なんて綺麗な銀髪なの」
扉の方を皆が注視するなか、入って来た人物は衛兵の静止を無視してまっすぐこちらに向かってきます。
流れる銀髪に冷たく光るブルーグレーの瞳。
貴族院に通う令息令嬢たちが知らないのは無理もありません。
(久しぶりにお顔を見ましたが、更に美しくなられたような?)
会場の皆が見惚れる美貌のこの持ち主こそ、ローゼン・アーヴェント大公。わたくしの父でございます。
こちらに向かって歩いて来たお父様は、わたくしと目が合うとパッと目を逸らし、そのままエドワード殿下の前まで進み、挨拶をしました。
「王国の若き太陽。王太子殿下にご挨拶申し上げます」
エドワード殿下はさすがにお父様のお顔を知っておられます。ですが、驚きが勝っているようで、一拍ほど固まっておられました。
「――や、やあ大公。久しいな。大公が貴族院に顔を出すなど、珍しいこともあるのだな」
お父様はギラリと鋭い視線をエドワード殿下に向けました。と言っても別段驚くことではありません。お父様の視線が鋭いのはいつもの事ですから。
(ですが慣れてらっしゃらない殿下は震えていますね)
「·····殿下、これはどういう状況でしょうか?」
一言一言に冷気を孕むお父様の声に、会場は静まり返りました。ですが騎士は依然としてわたくしとアルヴィスに剣を向けたまま。騎士たちも少し気まずそうに、チラリとエドワード殿下を見て、指示を仰いでいるようです。
剣を下げろとは言いたくないのか、エドワード殿下は果敢にもお父様に言いました。
「大公、私は今しがたルクレツィアとの婚約を破棄した」
「は···?」
お父様の鋭い視線が更に鋭利になりました。エドワード殿下は恐怖のためかもはやお父様の目を見ておらず、視線が泳いでいます。
「待て、最後まで聞いてくれ。ルクレツィアとの婚約は破棄したが、アーヴェント家との繋がりは続けたい。そこでだ。このラビリア嬢を····」
「何故ですか?」
エドワード殿下の言葉を遮り、お父様の冷たい声が会場に響きました。
「な、何がだ?」
エドワード殿下は言葉を遮られた事には怒りを全く感じていないようです。わたくしが同じ事をした時には、烈火の如く怒り狂っておいでだったのに。今はただ動揺していました。
「何故ルクレツィアとの婚約を破棄したのでしょうか?――貴方ごときが?」
空気が揺れました。お父様が物凄い剣幕でエドワード殿下に詰め寄ります。一歩進むごとに床にヒビが。剣気が溢れ出ています。わたくしは少し焦りました。
(ここまでお怒りになるなんて)
わたくしは慌ててお父様の元へ行こうとしましたが、騎士たちが阻みます。更にエドワード殿下が要らぬ一言を投じたのです。
「ど、どうした大公?何に怒っているんだ。大公も疎ましく思っているルクレツィアを家門から追い出せば清々するだろう?」
(相変わらず空気の読めない方だわ。お父様のこの様子を見て、まだ気付かないなんて)
とりあえず、これ以上お父様がお怒りになれば会場が崩れてしまうかもしれません。
「お父様」
わたくしが呼ぶと、怒りに満ちていたブルーグレーの瞳が柔らかくなりました。
「ルル」
お父様は、愛称でわたくしを呼ぶと、視線だけで騎士を威圧し、下がらせました。
(お父様がわたくしを疎んでいるですって?少し調べれば分かることです)
騎士が下がると、わたくしはお父様の近くまで歩きました。そして残念な殿下を残念な目で見つめます。
「殿下、噂は事実確認をしなければなりませんよ」
お父様はわたくしを目に入れても痛くない程、溺愛しているのですから。
お父様が心配そうにわたくしに声をかけてくれました。先ほどの冷たい声とは打って変わって、やさしい声です。
「噂?私の命より大事なルルを疎むなどあり得ない。そうだろう?」
そう言ってふわりと頭を撫でてくれます。
お父様に会うのは本当に久しぶりなので、つい気が緩んでしまいます。
「お父様、大丈夫ですよ。信じておりませんから」
(噂を流したのはわたくしですし)
「な、なに?大公はルクレツィアを恨んでいるのでは?」
エドワード殿下の顔色が青ざめていきます。
「愛する妻の忘れ形見を恨むはずがありません」
「で、では娘も愛していると?」
「ええ。誰よりも」
そう言うと、お父様はわたくしを抱き上げました。もう16歳になるので気恥ずかしいですが、久しぶりの大きな手にどうしても安心してしまいます。自分で始めた事とはいえ、この2年間はやはり辛いものでしたから。
「この国に留まるならば、お前に女の中で一番の地位と権力を与えなかったのだが、選択を間違えたようだ。すまなかったな」
「いいえ」
お父様がその想いでこの婚約をしたことは分かっていました。ですがやはり許せなかったのです。
前線に十分な配給や人も送らず、お父様に無理難題を強いて搾取ばかりするこの国が。
お父様がアタラ王国に留まる理由はただ一つ。お母様が愛した故郷であるから。ただそれだけ。ですからこの国を見限ってほしかったのです。
「――して、殿下。ルクレツィアとの婚約を破棄し、その娼婦のような女を王太子妃とすると?」
お父様はエドワード殿下を見もせずに言いました。視界に入れると怒りが湧くからでしょうか?そのお気持ちは分かります。
「あ、いや、その」
歯切れの悪い殿下の返事も聞かず、お父様は殿下に背を向けました。
「そこまでの侮辱を受けるとなると、もうこの国にはいられません」
「ま、待て大公···!おい!大公を止めろ!」
青ざめた殿下が騎士達に命じます。わたくしを抱き上げたままのお父様は瞬時に剣気を練り上げましたが、わたくし達と騎士の間に割って入ったアルヴィスを見て、剣気を収めました。
「殿下、おやめください。多数の死者が出るでしょう。大公閣下を止めることは出来ません」
そう言うアルヴィスも、瞬時に騎士を3人戦闘不能にさせています。
剣聖のお父様と、アルヴィスの立ち回りを見ては、騎士たちも戦意を失うしかありませんでした。
「た、大公っ」
縋り付くような声を出す殿下に、お父様は冷たく言い放ちました。
「面倒ですが、独立するかリンドロムに亡命するか検討致します。陛下にもそのようにお伝えください」
そしてお父様は振り返ることなく、わたくしを抱き上げたまま会場から出ました。
「ルル、大丈夫か?」
アルヴィスが心配そうに声をかけてくれます。わたくしはお父様の肩に預けていた顔を上げて、返事をしようとしたのですが、お父様がぴしゃりと言いました。
「アルヴィス。その呼び方は許していない」
「はは····」
乾いた声で笑い、アルヴィスは半歩下がってわたくしに聞きます。
「閣下がルクレツィアを疎んでいるなど、殿下はなぜ信じたんだろう?俺にすら愛称呼びを許さない程、溺愛しているのに」
わたくしはにっこり微笑ってアルヴィスに言いました。
「それはやっぱり、わたくしが殿下より上手だからでしょう」
そして半年後、リンドロム帝国とアタラ王国の間にアーヴェント公国が誕生しました。
読んで頂きありがとうございました。
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この後はルル呼びが許されるようにアルヴィスが頑張ります。




