手檻
あの味が忘れられない。
その日も今日と同じ暑い日だった。私はいつもの様に両手を広げて食べ物が落ちてくるのを待っていた。
一日中、ただ、ひたすらに。
頭上には大きな木が生い茂り、空の青は葉の隙間から僅かに光をもたらす程度しか見えない。
今日は何も落ちてこないか。
日が落ち始める頃には見上げるのにも疲れてしまい、ふと周りを見渡すと他の子達の中にはカサカサを手に入れている者も居る様だった。
"羨ましい"と、いう気持ちは無い。カサカサを手に入れた他を羨ましがっても、どうせ私の手にくる事はないから。
ただ、「今日はそこだったか・・・」という諦めだけだ。
もうすぐ夜になる。その時まで私は上を見上げ手をめいいっぱいに広げてその時を待つ事にした。
こうしていると時折手の中へ入ってくるのだ。
誰のもとにどんなものが来るかは分からないけれど。
殆どがあの小さくカサカサしたやつだ。あれは手が湿るぐらいの僅かな蜜しかないけれど、無いよりはマシだった。
もう明日にするかと諦めかけたその日、それは訪れた。
ヒラヒラと、まるでダンスでもするかの様に優雅に私の手に舞い降りてきた。
久しぶりに私の手に感触がある。そしてソレは今まで見てきたものと違い美しく、僅かな光にも反射し動くたびにキラキラと輝いていた。
他へ行ってしまわぬうちに、気付かれないよう、そっと左右の指先を交差させ檻を作り、手の中に収める事に成功した。確実に自分の物とした事を確認し安堵すると、手の中に収まったキラキラの感触を確かめた。
その感触は今まで手にしたものよりずっと柔らかく繊細だった。ひと通り観察を楽しむと、手檻を狭めていく。繊細な部位は軽い力でも易々と折れていきその体から離れていく。端から慎重に押すとプツリと皮が破れ内からどろりとしたスープが溢れ出し、手の中を満たした。その予想外の量に私は慌て一滴も溢さぬようにと檻の隙間をぴたりと埋めた。
そして、一口目をいただくと、思考が停止し震えが起きた。初めて口にしたソレは今まで食べてきたカサカサとは全くの別物だった。
量もさる事ながら、濃厚で、芳醇。そして甘味。絡み付くようなスープの濃い味は私の全身に染み渡り心と体を満たしていく。一度飲み始めると止まらず、私は丸一日かけてゆっくりと吸い尽くした。
飲み終えた後も記憶が蘇り体を震わせる。心と体に焼き付き離れない。
高揚感は何日も続き、しばらく水だけで生きながらえれるほどだった。
季節は巡り、また暑い日がやって来た。
あの日の事を思い出す。
あれからもう、一度も味わえていない。
あの味が恋しい。
今日もいつものように私は両手を広げた。
私の手に来るのは毎回お馴染みのカサカサで、その僅かな蜜を食べ終わると虚しさが押し寄せる。
あのスープを飲みたい。
時折周りを見やってあのキラキラが他の手に行ってやしないか、確認せずにはいられなくなっていた。
あれから一度も見ていない。
他の手に入る事もなければ、当然私の手に入る事もなかった。
ひたすらに隙間から見える空を見上げ続けたが影一つ見つける事はできずにいた。
ーーー
朝から酷い嵐があった。私はただ縮こまって過ぎ去るのを待った。
木々は大きく揺れ、揉みくちゃにされている。
その太く力強い木の足元に居たお陰で、私は守られた。
けれど、そのせいか近くにあった水源がその嵐で水の流れを変えてしまったらしい。
土壌が乾きやすくなってしまい、すぐに喉を潤す事ができなくなってしまった。
この先の不安はあるけど、私にはこうして手を広げるしかできない。
するとポトリと手に感触があった。
見てみるといつものカサカサだった。
今日のは少し緑の光を反射していて、いつもより綺麗だった。
それでもやっぱり得られる蜜は僅かだった。
いつも、いつも手に入るのはコレだ。これだけだ。
あの時食べたあの味が忘れられない。
何度も記憶を引っ張り出して切望する。
次第に飢えは強くなっていった。
私は今日も手を広げる。
なんだか、手をあげやすくなった。
周りを見渡すと、あれだけ居た仲間は半分ほど居なくなっていた。
水源が変わったせいで、居なくなったのだろう。
私だってここに居たいわけじゃない。
ただ、ここでアレに出会えたから、もう一度だけでいい、私の手に降りてこないかと希望を捨てる事ができなかった。
それから数日、ただ無心で手を広げて待った。
指先が少し茶色く変色してる様に見えたが、今は考えない様にした。
あぁ、喉が渇いた。
今日は少し地面に座ろうか
いつもより少し低い位置からだけど、違いはそんなに無いはずだ。今日は手を上げる事だけに集中しよう。
また今日が来た。静かだった。
見渡してみると、僅かに残っていた仲間もついに居なくなったようだ。地面にはそこに居たという残骸だけが残されていた。
今日も私は手を広げる。
木々の隙間から見える小さな空が、朱色に染まり、見えなくなるまで。
何日も。
今日、は、もう上を見上げる力すら、無い
腕はとっくに上がらなくなっていた。
土は乾き柔らかさは失われてしまっていた。立ち上がる力もなくて、その硬くなった地面に横たわる。
そして、自身の茶色く痩せ細った手をただじっと見つめた。
もう一度、だけでいい・・・もう、いちど。
意識が、消える直前
チラチラと、木漏れ日が揺れた。
同時に手に感触がある。久しく感じなかった感触に、辛うじて繋ぎ止めていた意識がその姿を捉えた。
あぁ、やっぱり、キラキラしててとても綺麗だ・・・
力なく枯れた私の手の上で、嘲笑うかの様にくるくると踊りを踊ると、あの味は再び空へ舞い戻っていった。
私はその姿を見送り
そして、もう二度と交わることはなかった。




