第6話 レグム王国
佐藤が目を覚ました時、シルワはまだ寝ていた。彼は驚いて、一瞬体をぴくりと震わせた。その振動によって、彼女を起こしてしまったのではないかと、慌てて彼女の顔を確認した。彼女はまだかすかな寝息を立てて寝ていた。
佐藤は胸を撫でおろした。思えば、彼女の寝顔をちゃんと見るのは初めてだった。自然と、彼女の寝顔から目線を外せずにいた。改めて、綺麗な顔だった。一つ一つのパーツの大きさや位置が、数式によって完璧な数値を割り出されたかのように整っている。見れば見るほど、昨日のあの出来事が信じられなくなっている自分がいた。それこそ、あれが実は夢ではないのかと思ってしまう程だ。
昨日、抱き合う形で寝ていたので、佐藤の腕がシルワの頭の下にあった。うまいこと、腕を引き抜けないかと思考錯誤しようとしてみた。しかし――
「……腕の感覚が無いんだが」
佐藤はぼそりと呟いた。初めての感覚だった。腕が彼女の体に触れていることは分かるのに、腕を動かすことが出来ない。金縛りにあった時とはまた違う感覚だった。少し悩んだ後に、シルワが自然に起きるまで待つことにした。
ぼんやりと彼女の顔を眺めること数十分。シルワはゆっくりと目を開いた。
「あ。お、おはよう」
佐藤と目が合い、シルワは恥ずかしそうに呟いた。しまったと言わんばかりに、彼は目を逸らした。
「あ、おはようございます」佐藤は後頭部に触れながら言った。「えっと、起こさない方がいいかと思いまして。不快に思ったのならすみません」
「ううん。昨日はありがとう」
シルワは何がありがとうとは言わなかった。佐藤も言及はしなかった。するつもりも無かった。彼女はゆっくりと起き上がって、伸びをした。
「思ったより、長く寝ちゃったのかな」シルワが呟いた。目線は太陽の方向を向いていた。佐藤も同じように太陽の位置を見てみたが、普段との違いを感じ取ることは出来なかった。
「でもまだ朝ですし、今からでも十分間に合うと思いますよ。というか、普段のシルワさんの起きる時間が早すぎるというのはありますけど」
「そうなの? とりあえず、朝の準備して早いとこ出発する?」
「まあ、そうですね。そうしましょう」
その後、2人は食事と着替えを済ませた後に、荷物を纏め、ツリーハウスを降りた。荷物を持った佐藤が、シルワにおぶられようと近づいた時だった。
「ちょっといい?」
近づいた佐藤をシルワは制止させた。彼女は目を閉じて、ツリーハウスに頭を下げた。暫くして顔を上げると、彼女は大きく息を吐いた。
「行こうか。サトウ君」目を開けて、シルワが言った。
「はい」
佐藤がシルワの背中に乗る。今度こそ振り落とされないようにと、彼女の体をしっかりと掴んだ。最初の時よりは、自然に密着して掴む事が出来たように思えた。
「行ってきます」
シルワが小さく呟いた。佐藤も何か言おうとしたが、それより先に彼女が走り出してしまった。あまりの風圧に、口を開けることが出来なかったのだ。
それから、数時間が経過した時のことだった。シルワが唐突に足を止めた。その原因は直ぐに分かった。目の間にレグム王国とやらが見えたからだ。
何故そこが国だと直ぐに分かったのか。それはその国が高い壁で囲われていたからだ。30mはあるであろう高い壁が、地平線の向こうまで一直線に続いていた。ただ壁が続いている。文字にすればそれだけだ。しかしその光景は、軍事的にも、歴史的にも、建築物としても圧倒的だった。
「すっごい……」シルワは感嘆の声を漏らしていた。「あの壁、どうやって作ったのかなぁ?」
「遠くから見る限り、壁の繋ぎ目が見えないので、多分コンクリートに似た材質で作ってるんじゃないかと」
「コンクリートって?」
「冷やさなくても、勝手に氷みたいに固まる液体があるんですよ。それをたくさん流し込んで、大きな壁にするんです。そうやって作ったんじゃないかと思うんですが……」
「なるほど。氷作る時みたいに、型に流して作るってことだよね?」
「まあ、そうですね」
2人がそんな会話をしながら暫く歩いていると、人の列が見えた。その列は、壁の入り口らしきところに続いていた。そこだけ、ダムの排水口のような空洞になっていた。列の最後尾にいる人に佐藤が尋ねると、レグム王国に入国するための列であることが分かった。佐藤はシルワにそのことを伝え、列に並んだ。
列に並んでいる間は、2人とも喋らなかった。これは予め決めていたことだ。近くに他の人間がいる状況ではなるべく喋らない――佐藤の能力のこともあるが、何より、「サトウ」という名前を知られないようにするためだ。
人の列が次第に短くなっていく。短くなればなるほど、佐藤の心臓の鼓動の周期も、同じように短くなっていく。30分ほどで、2人の番がやってきた。
「次!」と、入り口に立っていた兵士が、佐藤の方を見ながら呼びかける。壁の中に、部屋が一つあるのが見えていた。その部屋は、面会室を思わせるような透明な板で、外と内を区切られている。恐らくはそこに行くのだろうと思い、なるべく自然な足取りで近づいた。その後ろを、シルワがおそるおそると付いていった。
部屋の中には、1人の男がいた。青色の軍服のようなものを着ている、体格のいい若い男だった。男は二人の姿を視認すると、
「書類を。無い場合は申告するように」
と、やや威圧感のある声で言った。仕切りの下側は、書類を通すために開けることが出来るようになっていた。佐藤はそこに貰った書類を置いた。
男が仕切りを開けて、書類を取る。男がその書類に目を通した瞬間に、驚いたように佐藤に向けて首を振った。
「……少々お待ちください。今、確認しますので」
男が丁寧に言って、書類を机の上にあったスキャナーのようなものに通した。装置に備え付けられてあるランプが、緑色に光った。男はそれを確認すると、書類を佐藤へ返した。その時間は、1分とかからなかった。
「1つ、個人的な質問をしたいのですが、よろしいですか」
「なんでしょうか」
「その書類について、どれだけ知っているのかを伺っても?」
「正直に言うと、貰った時に全然説明を受けていませんでした。ただ、この国に入るにはあの紙を見せると良いとだけ……」
佐藤がそう言うと、男はため息をついた。
「そうですか。この国から出る時は、門の近くにいた者に先に書類を見せてください。列に並ぶ必要はありません」
「……そうなんですか?」
「はい。ただ、今回のあなたのように、何も知らずにこの書類を提出する例は珍しくは無いので、そこまで気になさらずとも結構です。他に何か質問はございますか?」
「手ごろな宿と、調べ物をしたいのですが、それが可能な場所はありますか?」
「少々お待ちを」
男は棚の中から、一枚の紙を取り出す。そしてそれに、万年筆に似た形状のペンで印を付ける。
「地図は読めますか?」
「大丈夫です」
「あなたにこの近辺の地図を差し上げます。私が知っている宿の場所に印を付けておきました。調べものですが、地図の中にこの国の中心である城の名前が記載されています。名はキャストラ城。その中に、国立の図書館があります。この国で、一番大きな図書館です。何を調べるのかはお尋ねしませんが、普通の調べ物ならば、それで十分でしょう」
男は仕切りを開けて、佐藤に地図を手渡した。
「ありがとうございます」
「それでは、次の入国希望者も控えておりますので」
佐藤が穴の中を進む。シルワもそれに続く。穴を抜けた先――そこには広場があった。中央には大きな噴水があり、中心の円盤状のオブジェクトを囲うように、6体の像が配置されている。その像は、円盤めがけて水を噴射している。円盤や像には、緻密な紋様が描かれている。像や紋様は、どの角度から見ても左右対称になるようにできており、それは完璧に計算された美であった。
広場を中心にして、放射状に石造りの建物が並んでいた。それらの建物は、目に見える範囲では全て一定の大きさであった。そのため、道の先の先まで、街の様子がよく見えた。この近辺は、恐らくは商業地域なのだろう。人の往来がとても活発で、時折、紙幣のようなものをやり取りする様子が見えたからだ。
「すげえ……」
佐藤は思わず呟いていた。その光景に、ただただ感動していた。人だからこそ生み出せる美。自然には、決して作れぬ美。そして何より、生れて初めて見た美。彼が感動してしまうのも必然だった。そしてそれは、シルワも同様だった。
「……すごいね。どのくらいの時間があったら、こんな沢山の家を用意できるんだろう」
彼女がそんなことを呟いた。佐藤は密かに苦笑した。随分と理系的な疑問だと思ったからだ。数式を美しいと評した時にも感じていたが、恐らく彼女には科学的な才能がある。そんな気がしてならない。
「1年や2年じゃ、難しいでしょうね。それこそ、10年や20年を費やすレベルでないと」
「一人で作れると思う?」
「一人じゃとても。少なくとも、数百人は関わっていると思います。この世界の建築技術がどんなものか知りませんけど、もしかしたら数千人や数万人ってことも」
「だよね。なんか想像も出来ないなぁ。そんなにたくさんの人が協力しているなんて。これから、寝るための所に行くんだよね?」
「そうですね。紹介してもらった所なので、良い場所だと良いんですが」
「1つお願いしていい?」
「なんですか?」
「いろんな所、見てみたいから、少しゆっくり歩きたいなって。あでもね、もちろんサトっ……。リュウ君が良ければだけど」
不慣れな様子で、シルワはその名を呼んだ。
「も、もちろんです。色々面白そうなものがあれば、見て回りましょう」
佐藤もまた、その名前を呼ばれることが不慣れな様子で答えた。
佐藤という名前を使うことが出来ない以上、違う名前を使う必要があったのだが、そこで選んだのが下の名前である龍一であった。リュウイチだと長いとシルワに言われたため、リュウである。と言っても、佐藤自身も友人にはそのように呼ばれていたため、そう呼ばれることには慣れている。慣れていないのは、《《異性に名前で呼ばれる》》という点であった。
その後二人は、いくつかの店や露天、施設などを回りながら、目的の宿へと向かった。その道のりは遅々として進まなかった。佐藤以上に、シルワがあらゆるものに興味を持ってしまい、その度に「リュウ君! あれは何!?」と立ち止まって質問をしてしまうからだった。佐藤も佐藤で、それが知っているものであるならば答え、知らないものであればシルワと一緒になって考えた。
そんなことを繰り返すこと約1時間。荷物を背負っていることもあって、流石に疲れの方が勝り始めてきた佐藤は、近くにあったベンチに座って休憩をしていた。シルワは近くの店の中で、何やらアクセサリーを選んでいた。
佐藤は大通りに目を向ける。大通りには先程からひっきりなしに魔法馬車が通っていた。まるで車道だ。佐藤が座っているベンチの部分は、歩道とでもいうべきだろうか。
佐藤は目線を往来の人々へと向ける。そして思う。綺麗すぎるし、治安が良すぎる――と。
大通りには、一切のゴミや排泄物が無かった。時折見える裏路地は、流石にそれなりに汚れてはいる。しかし通りたくないとか、吐き気がするとか、それほど汚れている訳でもない。東京の裏路地よりは、多分マシだ。
人々の服装は綺麗で、肌艶もよく、極端に痩せてる人もいなかった。乞食やホームレスの類はいるにはいたが、それこそ、東京の駅前よりは遥かに少ない。店に入れば、多少怪訝な顔をすれど、佐藤たちのことを温かく迎えてくれる。何も知らぬ旅人から少しばかり多めに取ってやろうという気概すら感じない。
佐藤は目の前の民家をぼんやりと眺める。どれも、石材と木材を組み合わせた建築物で、歴史を感じる。近代的なコンクリート建築など存在しないし、道はアスファルトではなく、綺麗に整った石畳だ。べらぼう高い建物は奥に見える城くらいのもので、どの建築物も高くとも10mにも届かないものしかない。
この国は言うなればまさに、『中世ヨーロッパ』なのである。中世ヨーロッパの人々の暮らしがどのようであったのかなど、佐藤は知らない。しかし、こんな風に綺麗で安定した世界とは思えない。もしそこに理由があるとするならば――
「魔法ってやつのおかげなんだろうな」
「何が?」
と、いつの間にか佐藤の隣に座っていたシルワが、佐藤の呟きに対して尋ねた。
「何も。ただの独り言です」
「ふうん? あ――ねえねえ。あれはなに?」
「あれ?」
シルワはある所を指さした。佐藤は視線を向ける。彼女の指の先には、縦に伸びた八面体の半透明な結晶があった。それが円形の台座の上で、宙に浮いて回転していた。結晶の先には、金色のリングが付いていた。
十字路の真ん中に、その何かの装置と思わしきものは鎮座していた。通りの人々は、その装置に特に何をするわけでも無く、ただ通り過ぎるだけだった。
「何でしょうね。見たこともないです」
「リュウ君も知らないなら、魔法の何かなのかなぁ」
「ですね」
佐藤は立ち上がって、「行きますか」とシルワに声をかけた。彼女も頷いて、立ち上がった。
その時。横並びになった佐藤とシルワの肩に、何かが触れた。
「それはねえ」
女の声が佐藤の背後からした。自分の肩に触れた物が腕である事を、佐藤は確認する。2人たちに肩を掛けたその女は、乗り出すようにして二人の間に顔を突き出す。横を向いた佐藤と、女の目が合った。黒い髪に高い鼻、そして細く、黒い目をしていた。深海の底のような、終わりが見えない程深く暗い目だった。
佐藤と眼があった女が、微笑む。彼は困惑していた。これがこの世界の常識なのであろうかと、初対面で肩を組んでくる女について合理的な理由を考えていた。
「皆から平等に魔力を吸い取る装置でねえ。ちょっとずつ魔力を吸い取って、この国が豊かになるために色々利用しているの……例えばあそこにある小麦粉みたいな国民が消費する食料の一部は、これで生み出された魔力を使って作っているのよ」
女は佐藤の事など意に介さず、言葉を続ける。前方にある、倉庫に似た建物を指さしていた。
「は、はぁ。えっと、どちら様で?」
「ああ――ごめんなさいね。つい逸ってしまったわ。私の名前はペティア……よろしくね?」
佐藤は困惑していた。していたが、余計なトラブルを避けたいと思う気持ちの方が強かった。ここまで堂々と振る舞うのならと、彼女の行動を当然の物として扱うことにした。
「よろしくお願いします。俺の名前は――」
と、佐藤が自分の名前を告げようとしたその時だった。女は、彼の肩に掛けていた手で口を塞いだ。
「知ってるわ。サトウ君と」
女はシルワに顔を向ける。手を伸ばして、わざとらしく頭を撫でた。彼女は動くことなく、上目使いで女を強く睨んでいた。しかし佐藤からは、女が邪魔でシルワの様子が見えていなかった。
「シルワちゃん」
佐藤には見えない様に、女は不気味なほど口角を吊り上げながら言った。
「……どうして、俺達の名前を?」
佐藤は声を低くした。あからさまに彼女を警戒していた。
「さあね?」
そんな佐藤をおちょくるかのように、女はおどけた様子で言う。
「あなたは一体、何者なんですか」
「私が何者かは、あなたが決める事よ」
「……謎解きですか?」
「そのままの意味よ。じゃ、また会う時が来たら会いましょう?」
「待って下さい」と、佐藤は言おうとした。しかし、それより先に彼女の姿は消えていた。そこにあった質量が、一瞬のうちに消失していたのだ。佐藤は慌てて振り返って、女の姿を探した。しかし、彼女の姿はどこにもなかった。肩に感じていた柔らかな感触が、嘘のように残っていた。
「そういうの、アニメの世界だけにしておいてくれよ……」
佐藤は呟く。
敵意といった物は感じなかった。しかし、彼女の行動は明らかに何らかの意思があった。それが何であるのかは、彼の想像には及ばないものだった。やがて考えるのを辞めた彼は、シルワの方に顔を向けた。
――彼女はうつ伏せで地に倒れていた。
「シルワさん!?」
佐藤は思わず叫んで、彼女に駆け寄る。脹脛が痙攣し、呼吸は荒く、頬を流れた汗が石で出来た地面を軽く濡らしていた。
佐藤が駆け寄ると、シルワは彼に顔を向けた。彼女は、憔悴しきった表情を浮かべた。思わず息を呑んでしまうほどだった。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫……じゃないかも。あいつやばいよ。気配もなく突然現れたから、つい警戒したんだけど、その瞬間、凄い力で押さえつけられた。多分私が本を浮かせた時と魔法だと思うんだけど、私が使ったやつとは、強さが全然違った。立ってるだけで精一杯だった」
「俺を背負って空まで飛べるシルワさんが、ですか」
「うん。正直、二度と会いたくないかも。まともじゃない」
シルワは、息も絶え絶えといった様子であった。しかし「まともじゃない」と言う彼女の口調は、はっきりと強く言い切ったものだった。先の女へ抱く畏怖と決意めいたものが、ありありと感じられた。
「……とりあえず行きましょう。宿なら休めるはずです。歩けますか?」
「無理かも……肩借りていい?」
佐藤は彼女に肩を貸して、彼女を引きずるように宿へと向かった。大通りの道を数回曲がると、特別大きな建物が見えた。と言っても、装飾や外装が豪華というわけではない。ただ単に、その辺にある建物をいくつか繋げたような見た目だった。
その建物の壁に『ホテルリクエ』と日本語で書かれた看板があった。
「シルワさん。着きましたよ。もう少しの辛抱です」
佐藤は自分のすぐ傍にある顔に向かって言う。シルワの表情は、少しは良くなったように思う。それでも彼女は、組んだ肩を離そうととしない。下を向けば、まだ小刻みに足が痙攣していた。一体どれだけの衝撃が彼女を襲ったのか、想像もつかなかった。
佐藤が木製の扉を開けると、そこは酒場のような場所だった。数多くの椅子とテーブルが並び、奥にはカウンターが見えた。どれも木製だった。カウンター奥の壁には棚が設置されていて、そこに所狭しと酒瓶が並んでいた。
そのカウンターに、一人の男が立っていた。口髭をたっぷりと蓄え、瘦せこけた老人だった。彼はグラスを慣れた手つきで磨いていた。2人が中に入ると、彼は手を止め一瞬だけ視線を2人に向けた。ただ、特に何を言う事も無く、彼は中断していた作業を再開した。彼以外に、人はいなかった。
佐藤はシルワを適当な所に座らせて、カウンターへ向かった。
「あなたが、ここのオーナーの方ですか?」
老人に向かって、佐藤は話しかけた。老人は驚いたような表情を浮かべた。それはこの国の出身とは思えない人相の人間が、流暢に母国語を離したからだ。
「え、ええ」老人は驚きながらも、すぐに顔を真顔に戻した。「ようこそ、ホテルリクエへ。部屋をお求めで?」
「はい。二人用の部屋を探しています。出来れば食事も頂けると」
佐藤は少し迷いながら、そう言った。佐藤の懐には100ベネフが数十枚入っている。この紙幣の価値は何となく分かってきた。元の世界で例えるなら、100ドル紙幣――要するに、一万円札と似たようなものだ。それが数十枚。普通に大金だ。しかしだからと言って、節約しないわけにはいかない。金をかけて二部屋を取るか、それとも恥を忍んで一部屋で抑えるか。彼が迷ったのはそういう理由だった。
「その様子からすると、外国の方だと思われますが、入国許可書はお持ちで?」
「持ってます。これです」
佐藤は許可書を目の前の老人に渡す。老人は受け取った紙を驚いた顔で数秒見つめてから返した。
「問題ありません。ただ、こちらでは食事のサービスは致しておりません。ここで軽食を提供することは出来ますが、料金は別となります。それでもよろしいですか?」
「分かりました。大丈夫です」
「何泊のご予定で?」
「えっと、4泊の予定です」
その返答には、少しだけ時間を要した。いつまでここに滞在するのか、はっきりとしたことは言えなかったからだ。あえて言いはしなかったが、正直、何らかの進展があるまでは、ここで調べ物をしたいというのが、彼の本音だった。
「一泊当たり20ベネフ。四日で80ベネフです。もし宿泊日数の延長を希望の場合は、チェックアウト予定日の前日までにお伝えください。では、少々ここでお待ちを」
老人はさして彼の様子を気にすることなく、あるいは、そんな彼の考えを感じ取ったのか、そう告げてからカウンターの奥に消えた。暫くして、老人は名札のついた鍵を持ってやってきた。
「こちらが部屋の鍵です。201号室になります。左手側にある階段を上がって、すぐ隣にあります。風呂は部屋にあるものをお使いください。もし何か用がある際は、お手数ですがこのカウンターまでお越し下さい。では、ごゆるりと」
佐藤は頭を下げて、鍵を受け取った。鍵はフォード錠に似た形状のものだった。しかし一般的なそれとは大きく、形状も複雑だった。彼は再びシルワを肩に抱えて、部屋へ向かった。
部屋は小さな丸テーブルと、ベッドが二つ並べられているだけの簡素な部屋だった。どことなく、ツリーハウスを思い出させるような間取りだった。ベッドは綺麗に手入れされていて、テーブルや床の上、ベッドの下などには、埃も塵一つも無かった。それはあの老人の仕事ぶりを、ありありと描いていた。
佐藤はシルワをベッドの上に寝かせた。余程疲れていたのだろう、横になった途端、彼女は深い眠りについた。そして残ったベッドに彼は寝転がって、天井を眺めた。
「どうすっかなー……」
佐藤は呟く。そのまま天井を眺め続けて、これからの方針についてあれこれ考えていた。自分だけでも行動するか、彼女の回復を待つか。全くの安全とも言えなくなった今、どうするべきか。
10分後、彼は反動をつけてベッドから勢いよく起き上がった。
「今のうちに行ってみるか、図書館」
結局、佐藤はそうする事にした。ペティアと名乗った女の目的ははっきりしない。だが、もし仮に敵意があったなら、あの場で何かしらあれ以上の行動をしていたはず。そうしなかった理由は分からないが、しかし少なくとも今は自分たちに危害を加えるつもりは無いといえる。なら、したい事は出来るうちにやってしまおうと、彼はそう考えた。
立ち上がった佐藤は、鍵を持って部屋の外に出ようと、ドアを開けた。その時、ちょうど外に人がいた。
それは、全身を甲冑に包んだ大男と、ローブを着ていた少女だった。
「あ! お前あの時の!」
鎧の男が、大声でそう言いながら佐藤を指さした。
「あ……どうも」
その二人組は、商人の護衛任務をしていた二人組だった。




