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人魚熱  作者: 三一
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4・受験

 三年に進級した途端、さぁ独り立ちしろとばかりに三人別々のクラスになってしまった。それぞれの友人関係もあって、昼休みも顔を合わせないことが多い。悠一郎は宣言した通り毎日が塾通いで、唯一の日曜ですら自宅学習に精を出している。

 湊は――。

 大型連休の最終日、スーパーで食材を買い出した帰り道のことだった。よく立ち寄るファーストフード店のテラス席に湊を見つけた。湊もこちらに気づいて、驚いたように大きな目をさらに丸くした。

 よお、どうした。そんな風に口を動かして、満面の笑みで手を振った俺を、湊は一瞬だけ戸惑ったように見つめ、すぐに目を反らした。その顔が、俺ではないだれかに向けて笑顔を作っている。

 怪訝に思いながら歩道を進むと、湊の向かいにはどこかで見た女子が座っていた。長い髪が背中を隠し、最近よく見かけるオフショルダーからぐっとむき出しになった肩にどきりとした。髪に隠れた顔が揺れ、湊に笑いかけている。

「柳瀬だ……」

 昨年、湊と噂になった女子生徒だと気づいた瞬間、苛立ちが生まれた。好みじゃないと言っていたくせに、女子なんかめんどくさいと言い放ったくせに。俺を無視して女子に愛想を振りまいて、一体どういうつもりなんだ。

 夕焼けが差し込むテラス席のテーブルは、安っぽい量産品なのに、やたらと小洒落て見えた。向かい合って談笑する二人は、どこから見てもお似合いで、そこに割り込む余地なんか一ミリたりとも存在しない。

 苛立ちは長続きしなくて、次の瞬間にはたまらなく寂しくなった。同じ場所を歩いていたはずの湊も、綺麗にならされた道を見つけて歩いて行ってしまう。俺だけが一人、野原の真ん中でうろうろと迷っているのだ。

 いつも通りのだれもいない家に帰ると、機械的にスーパーの袋を冷蔵庫に放り込む。夕食を作る気はすっかり失せて、電気ケトルで湯を沸かした。

 連絡用だと買ってもらった携帯端末をタップし、母の番号を呼び出す。五回目のコールで発信を取りやめると、かちりと音をたてたケトルへと戻った。パントリーから適当に出したカップ麺に湯を注ぎ、またぼんやりと座り込んだ。

 端末が音を立てる。

「電話しても大丈夫なのかよ?」

 電話越しの母が、大丈夫だからかけたのよと偉そうに笑った。続けて、どうしたのかと、少し低いトーンで尋ねられた。滅多なことでは連絡すらしてこない息子からの電話は、さすがの母をも、多少は不安にさせたようだ。

「あのさ、俺……塾、行きたいんだけど」

 驚いて叫んだ声を慌てて飲み込んだ母が、一体どうしたのかと焦ったように聞き返した。あれほど行きたくないと言っていたくせに。そんな内心まで聞こえてきそうだ。

「行きたい高校、決まった」

 どこ?

郡一高(こおりいちこう)

 母が今度ははっきりと息を飲んだ。郡第一高等学校は、悠一郎の受験する開明には遠く及ばないものの、近隣の公立高校のなかではレベルが高く、少なくとも今の俺の手が届くことなんか万に一つもない。

 無言の受話部分からはザーザーという機械音だけが流れている。

 わかった。

 きっぱりとした母の声が、空気を動かした。途端に俺の心臓がドクドクと脈打ち始める。

 達志のやりたいようにやってみな。勇ましい母の激励に頷いて電話を切った。

 ああ、これで離れられる。置いていかれる自分を見なくて済むんだ。どんどん大人になっていく幼馴染たちを、羨望の眼差しで見つめなくてもいい。

 三分を過ぎたカップ麺は、いかにも不味そうに膨らんでいた。

夏休みも中盤に差し掛かり、塾も盆休みに入った。俺は、母から言付かった盆のお供えを持って湊の家を訪ねた。

「なぁ、タツはどこ受けんの?」

「まだ決めてない」

 気怠そうな湊に、そっけない返事をすると。湊の片眉が不機嫌に持ち上がる。

 夏休みに入って、部活を引退した湊は退屈を持て余している。俺はというと、夏期講習を目一杯入れていて、それ以外の時間も追われるように机に向かっていた。

 仏壇には、満面の笑みの夏波がいる。昔、祖母の家で見たような黒い仏壇じゃなく、フローリングのリビングに自然と溶け込むような洒落た仏壇だ。

「タッくんからも言ってやってよ。湊ったらちっとも勉強しないのよ」

 夜勤明けなんだという湊の母が、ちょっと疲れたような顔で息子を睨んだ。湊の母は、昨年、夏波を亡くしてしばらくしてから、隣町の介護施設で働き始めていた。

「うっせぇな」

 不貞腐れた湊がそっぽを向いた。

「ミナは運動できるし、そっち系の高校とか」

「それだって、赤点取ってたんじゃ受からないでしょ」

「ミナ、赤あったのか?」

「一個だけだよ! あぁもう! さっさと寝ろよババァ!」

 悪態をついた息子の頭に、容赦のない拳骨が落とされる。無言で蹲った湊に、ついつい笑いがこみ上げてしまう。リビングに響く笑い声。どこか懐かしい空気に、悠一郎も誘ってくればよかったと少し後悔をした。

「ゆっくりしていってね」

 そう言い残した湊の母が二階へと上がっていった。

「なぁ、マジでどこ受けんの?」

 途端にしんとしたリビングで、あぐらをかいた湊がぽつんとつぶやいた。

「……だからまだ決めてないんだよ。けど、できるとこまでやってみようかなって思ってさ」

 塾の進路希望には第一希望の郡一高しか書かなかった。そして、テスト結果の判定は当たり前に振るわず、圏外もいいところだ。

 夏休み前、悠一郎にだけこっそり志望校を伝えた。案の定驚いた悠一郎は、それでもがんばれと励ましをくれた。

 湊にはまだ言いたくなかった。万が一にも道が重なってしまうことが嫌だったのだ。

「なんでまた急に……」

「なんとなく、かな」

「なんだそれ」

 頬を膨らませた湊が仰向けに寝転がった。めくれ上がったTシャツから真っ白な腹が見える。部活三昧だった去年より日焼けも控えめで、名ばかり科学部員の俺ともさほど変わらない。

 走り続けて肩で息をしてるのに、号令一つでまた駆け出して、ジャンプして、ボールを投げて。スポーツをする湊はいつも生き生きとしていた。俺には逆立ちしたって叶わない。俺が少しだけ湊の前に進んでいることを知ったなら、湊はいとも簡単に追いついてくるような気がした。

「タツはずるいよな」

「どこがだよ」

 それはこっちの台詞だ。湊も悠一郎も勝手にどんどん進んでいって、俺ひとりが取り残されている。

 そっぽを向いた湊が、雫のたれる麦茶のグラスを一気に飲み干した。節約だからと冷房を極限まで緩めたリビングは、じっとしていても少しずつ汗が滲んでいく。

 俺は急につけっぱなしてきた自宅の冷房を思い出した。

「ユッチだけかと思ったら、タツも遊んでくれねぇんだもんな」

「ちょっとは勉強しろよ」

「わかってるよ……」

 小学生なみの早い時間に帰り支度をして、玄関を開けた。途端に蝉の声が俺を圧倒する。サンダルを引っ掛けた湊が、ふと考えるようにぐるりと視点を動かした。釣られて追うと、足元から少し歪な羽音とともに、じーじーと呼ぶ声がある。茶色の石畳で一匹の蝉が、ひっくり返って羽をバタつかせていた。

「おー、蝉ファイナル」

 見送りに出てきた湊が、くだらないダジャレをつぶやいた。蝉ファイナル、セミファイナル。もうすぐ終わり。

「人んちの庭で死ぬなよなぁ」

「うちはベランダで毎年死んでる」

「なんか、これ見ると夏も終わりって気がするよな」

 蝉には来年なんて概念はなくて、死ぬ間際の今でさえも必死に生を見せつけている。

「やだなぁ……」

 湊がまたそうぼやいた。

 来年は、再来年は、そのまた来年は――?


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