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人魚熱  作者: 三一
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1・おさななじみ

 飯田(いいだ)達志(たつし)長山(ながやま)(みなと)本橋(もとはし)悠一郎(ゆういちろう)

 俺たち三人は正真正銘の幼馴染だ。なにせ、保育園の0歳児クラスで、自分以外の子どもの存在を認識した瞬間から、ずっと一緒に過ごしてきたのだから。

 その頃、いつも一番にお迎えに来ていたのは、同居の祖母を介護する湊の母。それから、ハウスキーパーのキヨさんが迎えに来る悠一郎。最後まで先生と一緒に待つのが俺。それすら母は間に合わなくて、週に一、二回は市のファミリーサポート会員が迎えに来た。当時は寂しかったような気もするが、今となっては曖昧だ。

 成長した今でも、俺の肩には薄らと湊の歯型が残っていて、湊の額には俺が玩具のラッパで叩いた傷跡がある。悠一郎とは喧嘩になったことがない。

 俺と湊はいわゆるやんちゃな子どもで、そのふたりが意気投合していたものだから、先生にすればたまったものではなかっただろう。当然のごとく、いつもなにかしらやらかして大目玉を食らっていたわけだが、そこにいつのまにか悠一郎が混ざるようになっていた。

 運動会の練習が始まっていたから、あれは三歳児クラスの頃だったはずだ。俺と湊は、成長途中のさつまいもが土の中でどうなっているのか無性に気になった。大人に聞けばいいものを、自分で確かめることしか思いつかず、畑に忍び込む相談をしているところを悠一郎に見つかった。

 告げ口をされるだろうかと、その大人しいクラスメイトを見つめれば、悠一郎はメガネの奥から喜怒哀楽のわかりづらい視線で淡々と俺たちを見つめ返した。そして、抜いてしまうと見つかって叱られるから、上手く元に戻せるように奥の(うね)をそっと掘り返したほうがいい、そんな助言をくれた。

 結果は、こそこそと畑に向かう途中で、要注意人物だった俺たちが先生に捕獲されて終わり。目的を達することはできなかった。

 いつも教室の隅でひとり絵本を読んでいた悠一郎が、なぜ俺たちなんかに協力してくれたのかは今でも分からない。だけど、小さな悪戯を実行する瞬間、悠一郎の表情が楽しそうに笑み崩れるのがうれしかった。

 小学校に入学して、走りの遅かった悠一郎がからかわれたときは、身体の大きな俺が通せんぼをして、腕っ節の強い湊がこてんぱんに負かした。逆に泣かせてしまったことで、叱られそうになったが、悠一郎が大人顔負けの弁舌で先生を言いくるめてしまった。

 各家の母に不都合があれば、だれかの家に集まって寝食を共にした。もはや幼馴染というよりも、別の家に住む家族みたいな存在だったのだ。

「なぁ。久しぶりにタツのギョーザが食いたい」

「なんだよ、急に」

「急じゃないです。ミナはなにも考えずに喋ってるだけ。いつものことです」

「うっせぇよ、ユッチ」

 期末テスト最終日の水曜、梅雨明けと同時に空は一気に夏模様となった。通学路に並ぶ百日紅(さるすべり)が、桃色の花をたわわにぶらさげている。いつもは部活の湊と、いつもは塾の悠一郎と、珍しく三人揃っての下校となった。自転車通学は禁止されていて、校区の端っこに住んでいる俺たちは、横断歩道を横並びになって、まだ先の長い帰路をだらだらと歩いていく。

「なぁってば」

 額の汗を拭いながら湊がせっつく。夏の日差しを反射した湊の前髪が、いつもより薄く光って見えた。

「ミナ、髪なんかした?」

「ばれた?」

 タツは鋭いなと、悪戯小僧みたいに目を細めた湊が、男子にしてはやや長めの毛先をつまんだ。制服のネクタイをわざと緩めた胸元も、暑いからと捲くりあげたズボンの裾も、女子に言わせるとお洒落で格好良いらしい。

「亮二先輩に教えてもらってさ。お酢で色抜いたんだ」

「酢?」

「あぁ、お酢はアルカリ性ですしね」

「そうなのか?」

「知らずにしたわけ?」

「別にそこは必要ねぇもん。夜中に風呂場でやったんだけど、すっげぇ匂いでさ」

 顔をしかめた湊が、十回ほどでやっとここまで脱色できたんだと得意げになった。

「将来禿げたらどうするんですか?」

「……禿げんの!?」

 にわかに焦った湊を、悠一郎が呆れたように見上げた。俺はというと、ほかの部分に気を取られて二人の速度に出遅れた。

「ミナ、亮二先輩に聞いたって先輩も脱色してるのか? 受験生なのに?」

「先輩はまだ。夏休み初っぱなの試合で引退したらやるってさ」

「おまえ、二年のくせに今やったのかよ」

「だれも気付いてないから大丈夫だって」

 呆れ顔をさらに深くした悠一郎がわざとらしくメガネをかけ直し、ため息を吐いた。

「なぁ、タツ。ギョーザ」

 見上げて繰り返す湊に、まだ言うのかと頭を小突いた。それでも、そこまで食べたいと思われるのはもちろんまんざらでもなく、脳裏にはさっそく母のシフト表が浮かんでいた。

「今週土曜の晩は?」

「おばさんいねぇの?」

「出張」

 湊が悠一郎にどうだと視線で問いかけた。そして、悠一郎が頷くと同時に、決まりだと手を叩く。

「僕は家庭教師の日だから、四時以降になります」

「俺は、午前中だけ部活」

「じゃあ、買い物は俺がしとくし。後から金払えよ」

 都合がつく順に達志の家に集合。いつものことで、だれも異議はない。ギョーザ以外にも、たこ焼きパーティだったり、冬は鍋パーティだったりと、ことあるごとに一緒に食事をする。料理人は専ら俺。

 母は未婚で子どもを産んで、うちはいわゆる母子家庭だ。世間のイメージと少し違うのは、母は大手メーカーでバリバリ働くキャリアウーマンで、貧困とは縁がない。その代わり常に忙しくて、俺は否応なしに留守番と家事全般を習得した。

 それも、出張のたびに来るハウスキーパーが鬱陶しかったからだ。ひとりで全部こなせるようになれば、ひとりで留守番ができるだろう。そう目論んで、放任な母に掛け合うと二つ返事で許可が出た。

「いいなぁ。俺もひとりで留守番してぇ」

 ぼやく湊の家は四人家族で、四歳下に妹がいる。

「僕は留守番みたいなものですけど、キヨさんの食事は薄くてあんまり得意じゃないです」

 珍しく愚痴を言う悠一郎の家は開業医で、ビルの一階が父の内科、二階が母の眼科だった。ハウスキーパーのキヨさんは古くからの通いで、もはや家族のような存在だ。安さ重視で、依頼のたびに違う人が来ていたうちとは全然違う。

 ふたりはよく俺のことを羨ましがるが、ふたりだって充分に恵まれている。でも、羨ましいかと言われればそうでもないのだ。湊の家は兄弟もいて楽しそうだが、ハウスキーパーさえ鬱陶しい自分には息苦しいだろうし、高級外車と馬鹿でかい家の悠一郎も、潤沢な小遣いを使う暇もないほど塾に家庭教師にと忙しそうで、自分には耐えられそうにない。

 つまり、現状の生活が最も満足だということに落ち着いてしまう。

 線路の下、狭いトンネルを抜けると自宅まではあと少しだ。リュックサックに挟まれたカッターシャツが、背中にべっとりと張り付いている。

「あれ、カナちゃんじゃないですか?」

 悠一郎の声に揃って顔を上げれば、ランドセルに青いスポーツバックを重ねた小学生が歩いていた。小学四年生になる、湊の妹の夏波(かなみ)だ。

「カナちゃん、今からスイミング?」

「うん。先週ね、一級に合格したの」

「すごいな。ミナはてんで泳げないのに」

 胸を張って自慢する夏波の横で、なんともいえず湊が苦虫を噛み潰している。運動神経抜群なくせに、泳ぎだけは俺どころか悠一郎以下なのだ。そうからかえば、水泳以外なら悠一郎に勝っていると負け惜しみを返してくる。運動においては実際にその通りなのだが、勉強となると湊も俺も悠一郎の足元にも及ばない。

「おじさんも船持ってるくらいの海好きなのに不思議ですよね」

「カナね、夏休みに無人島に連れてってもらうの!」

「へぇ。いいなぁ。ミナは?」

 行くわけないだろう。最下層までテンションを下げた湊が、呻くように吐き捨てた。それも予想通りで、俺と悠一郎は腹を抱えて笑う。少し遅れて夏波も一緒に笑いだした。

 行ってきます。元気に手を振って夏波が角を曲がった。

 そういえば。それまで黙っていた悠一郎が首を傾げる。

「カナちゃん、スイミングは金曜だった気がするんですけど?」

「よく覚えてんな。今、週三で行ってんだよ、あいつ……」

 何気ない返答におや、と湊を見下ろした。三人のなかで、俺は一番背が高い。見下ろす湊の顔は見えないものの、その視線は妹が曲がった角に注がれていた。

「どうかしたのか?」

 快活な湊にしては珍しく、戸惑ったように頭を振った。

「最近変なんだ。洗面所でずーっと手洗ってたかと思えば、しょっちゅう風呂入って出てこねぇし。っていうかさ、酢流して給湯壊れるとかないよな?」

「壊れたのか?」

「なんか、何日か前から流しっぱなしで洗ってたら、お湯が急に出なくなって。それはメーターのリセットしたら直ったんだけど」

 酢の匂いが気になって、長時間、湯を流し続けていたのだと湊が言い訳をする。

「そのうち水しかでなくなって、そしたら、夏波のやつ、うれしそうに水浴びに入ってんだよ。ま、昨日新しいのに変わったんだけどな」

「お酢で壊れるとは考え難いですけど、カナちゃんはお年頃、なんじゃないですか? 女の子だし」

「……それに、疲れた暑いって口癖みたいに言うくせに、スイミングへは絶対行くんだ」

 俺と悠一郎は顔を見合わせた。聞いただけでは、どこが変なのかいまいち理解できなかった。思春期の女の子が身だしなみに気を付け始めるのは普通のことに思えたし、疲れていても好きなことはやりたいという心理も特段不思議じゃない。

「いや、俺もよくわかんねぇんだけど……」

 歯切れの悪い湊にそれ以上食いつくのも悪い気がして、話題を変えることにした。原因を究明せずにはいられない悠一郎が、質問を畳み掛けようとするのをすかさず遮る。

「そういえばミナ、C組の柳瀬(やなせ)と付き合ってんの?」

 とっておきの話題に、悠一郎がぎょっと目をむいた。

「タツ。だれから聞いた?」

「うちのクラスの女子が喋ってた」

 それで、どうなんだとからかうと、予想外に落ち着いた湊が参ったとばかりに頭を掻いた。だれにも言うなよ。そう前置きした湊が声を潜める。

「告白はされた。けど断った」

「うわ……贅沢」

 正直言って柳瀬はかわいい。五クラスある二年のなかでもダントツだ。ちょっと前に、別の女子とも噂になった湊は、そのときも「好みじゃない」と断っていた。

 俺だって女子に対して、それなりに興味はある。かわいいと思う子は何人もいるし、制服のスカートからすらりと伸びる足にどきりともする。けれど、そこに付き合うとか告白するとかを重ねると、途端に戸惑いが勝ってしまうのだ。もちろん、湊のように女子から告白なんかされるはずもない。別に嫌われてはいないが、良くも悪くも平凡でその他大勢というのが俺の立ち位置だった。

「告られるんだし、試しに付き合ってみたらいいのに」

「なんでだよ? めんどくせぇ」

 女子とろくに会話も交わせない俺からすれば、めんどくさいと言い放てる湊が、途端に大人びて見えた。

「あいつらの話って、学校の噂話か芸能人。こっちの好意を試すみたいなやりとりとか、マジでうざい」

 それだって、されてみたい男子は俺も含めて大多数だ。

「確かにそれはめんどくさいですね」

 同意に頷く悠一郎に、おまえのそれは多分意味が違うぞと内心で突っ込んだ。

 じゃあまた明日。口々にあいさつを交わして点滅信号の交差点を別れた。

 明日からは早速テストの返却が始まる。平均点を下回れば塾に行くようにと母からは言われていた。塾なんかごめんだと、申し訳程度に勉強はしたものの、手応えはあまりにも頼りない。

 マンションのエントランスで管理人に頭を下げ、エレベーターに乗り込むと、俺は大きく息を吐き出した。


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