第96話 朝の支度と、甘やかしすぎの姫様(芽吹月二十六日・朝)
「……くすぐったいです、姫様」
「それは、あなたの髪が寝癖だらけだからよ」
早朝の寝台で、私はまたしても姫様の膝枕を拝命していた。
姫様は私の髪をゆっくりと梳きながら、穏やかに、しかし当然のように言う。
「……ひとりで整えられます」
「却下。今日はわたくしの機嫌がとてもいいの。つまり、撫でたいの」
「それ、理屈になってません……」
「うるさいわね。朝の一撫で、撫でカウント:1よ」
「記録つけ始めてるんですか……?」
「当然じゃない。撫でるという行為は、感情と比例しているの。つまり、あなたが可愛いとわたくしが思えば思うほど、増えるのよ」
「えぇ……」
姫様の指は、やわらかく、そして迷いがない。
髪を撫でるだけなのに、心の奥がじんわりと温かくなるのはどうしてなのか。
窓の外では鳥のさえずりが始まり、淡い陽光がレースのカーテンを透けて差し込んできた。
王城の朝は、どこまでも静かで、どこか満ち足りている。
……少なくとも、姫様がこうして笑っている間は。
「今日はね、あなたの服も朝食も全部わたくしが用意してあげる」
「え……えぇ?」
「なに驚いてるの。付き人の朝って忙しいんでしょう? なら今日はおやすみ」
「そんな……わたしの仕事ですし……」
「はい、撫でカウント:2」
「ちょ、ちょっと!?」
「反論すると撫で数が増えるの。アイリス、そういうの覚えていきましょうね」
姫様は心底楽しそうに笑いながら、私の頬を人差し指でつついた。
そのまま私の頬があまりに柔らかかったのか、再び撫で始めたので、撫でカウントは問答無用で3に到達した。
「……今日は、姫様のご機嫌がとても……極端ですね」
「あなたが隣にいて、朝から可愛い寝癖つけてたら、そりゃあ気分も良くなるわ」
「……そういうの、あんまり言わないでください」
私の顔が少しずつ熱を持っていくのが分かる。
けれど姫様は、それに構う様子もなく、自分の支度を始めながらぽつりと呟いた。
「今日は、中庭の奥にある温室へ行きたいの。……春の花がもう咲き始めてる頃だもの」
「では、護衛の方を──」
「あなたがいれば、十分よ」
また、そう言う。
躊躇いもなく。信頼という言葉では済まされないほどの、まっすぐな視線で。
私は一度、目を逸らすしかなかった。
「……では、すぐに支度を整えます」
「ふふ、よろしい。撫でカウント:4」
「なんで!?」
「わたくしの気分」
姫様は、微笑みながら、けれどどこか誇らしげにそう言った。
そんな笑顔を見ると、もう何も言えなくなるのだ。
──ああ、やっぱり私は。
甘やかされてる。
そう実感しながら、それを拒みきれない自分にも、少しだけ困っていた。




