第90話 目覚めの証(芽吹月二十四日・朝/カティア視点)
戦いは、一瞬で終わった。
私が刃を構えたとき、相手の動きはすでに警戒から撤退へと変わっていた。
こちらの戦意を読み、姿を消すことを優先したのだ。
──それはつまり、“情報を得た”ということ。
(まずいわね……)
私は呼吸を整え、背後でぐったりと膝をついているアイリスに目を向けた。
彼女の手には、滑り落ちた短剣。
肩には切り裂かれた傷。
そして──微かに蒼く光る、胸のあたり。
「……その光……」
彼女は苦しげに顔を上げる。
私の視線に気づき、すぐに自分の胸元を見下ろした。
そこに淡い紋のような光が脈打っていた。
「これは……何……?」
「“スキル反応”よ」
「……スキル……?」
私はゆっくり頷いた。
「あなた、自覚していないのね。じゃあ、完全に閉じてたのか……」
「私に、スキルなんて……」
「あるのよ。もともと備わっていた。でも“封印された”の」
アイリスが息を呑む。
「あなたがこの城に来る前……その頃、何か記憶が曖昧じゃない?」
「……ある……訓練場……だけど……」
「訓練じゃない。選別と“調整”だった。あなたは、従者としての適性が極めて高い反面、
その力を封じられた状態で送り込まれたのよ」
「そんな……じゃあ……今の……」
「無意識に、危機に反応して動いたの。身体が覚えてるのよ」
私は膝を折り、そっと彼女の前に座る。
「これから、もっと危険なことが起きる。あなたの力を、ちゃんと目覚めさせなきゃならない」
「……目覚めさせたら、私……」
「“姫様の隣に立てる力”になる。だから恐れないで」
アイリスの目に、揺らぎと決意が混ざっていた。
それでも彼女は、最後に小さくうなずいた。
*
その後、私は彼女を連れて物置裏の隠し通路から医務室へ運び込んだ。
傷は浅いが、疲労と精神の消耗が激しい。
薬を塗り、包帯を巻き、体温を確認する。
意識はある。
だがアイリスの目は、ずっと遠くを見ていた。
「カティアさん……わたし、守れると思ってたんです」
「……うん」
「姫様のことも、自分のことも。全部、ちゃんとできると思ってた……」
「できるわよ。今はまだ、準備が足りないだけ」
「でも……わたし、足手まといだった。守られて……また、傷ついて……」
「それでも、あなたは立ち向かった。逃げなかった」
私は彼女の手を握る。
細い指は、微かに震えていた。
「自分の弱さに気づけたなら、それはもう強さよ」
「……ほんとに、強くなれますか……?」
「なれる。約束する。私が訓練してやるわ」
「訓練……?」
「元は剣士だったのよ、私。こう見えて、王城警備部隊の推薦組だった」
「……すごい」
「すごいでしょ。だから、あなたも私についてきなさい」
アイリスが、わずかに笑った。
まだかすかだけど、それは確かな光だった。
*
姫様には、まだ伝えていない。
でも、近いうちにきっと知ることになる。
──あの子が“ただの従者”ではないということを。
私は空を仰いだ。
朝陽の光が、まだ赤く滲んでいた。




