表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
89/100

第89話 誓いと背中(芽吹月二十四日・早朝)

 夜が明ける少し前、私はひとりそっと部屋を出た。


 扉が軋まぬように気を配り、足音を殺して廊下を抜ける。

 寝息の消えた静寂が、まるで時間の底を歩いているかのようだった。


 姫様の言葉──「無理はしないって、約束して」

 それが胸の奥で何度も何度も反響していた。


 でも。


 (あの言葉を守っていたら、何もできない)


 姫様を守りたい。

 それだけなのに、誰も私に方法を示してはくれない。


 誰かが、私を見ている。

 誰かが、城の中で何かを狙っている。


 気配の正体はまだ掴めない。

 でも、あの影は確かに“こちら側”の人間だった。


 (なら、私が探すしかない)


 今度こそ、誰にも頼らず、誰にも迷惑をかけず。



 南棟の地下倉庫。

 あの日、違和感を感じたあの場所。


 誰もいない時間を狙って、私は再び扉の前に立った。

 前回とは違う。

 手には短剣。

 足音には迷いがない。


 「……開いてる」


 扉がわずかに開いていた。

 中に人の気配はない。

 けれど──


 ぴたりと、背後で気配が止まった。


 (……来た)


 瞬間、私は跳ねるように身を翻し、短剣を構える。

 だがすでに、背後にいた何者かが飛びかかってくる速度の方が速かった。


 衝撃。

 背中に激痛。

 私は床に叩きつけられ、手から短剣が滑り落ちる。


 「……く、あっ……」


 身を起こそうとするより早く、首筋に冷たい金属の感触があてられた。


 「“従者”か。“姫の鍵”……都合のいい餌だな」


 聞き覚えのない声。

 男か女かすら分からないほど、作られた低音。


 「姫様に、何を……っ」


 「……その口が、よく動く」


 喉元の刃が浅く押し込まれ、細い血の筋が一筋、肌を滑った。


 「今さら遅い。お前はもう、印をつけられた。あとは反応を引き出すだけだ」


 (……反応?)


 (私を……囮に?)


 「お前は動かずともいい。寝台の上で死んでくれれば、反応は充分だ」


 ──その言葉を聞いた瞬間、私は恐怖よりも怒りが先に来た。


 姫様を“反応”と呼んだその口を、私は絶対に許せない。


 「……あなたには、渡さない……ッ!」


 私は転がるように肩を落とし、刃の軌道から首を外すと、すぐさま地を蹴って飛び退いた。


 敵の動きが読めない。

 でも、感じる。


 (この相手……“戦える”)


 私は落ちた短剣を拾い上げ、構え直した。


 影はひとり。装備は軽装、顔は黒布で覆われている。


 「従者にしては、反応がいい。だが──」


 そこからの数秒は、ほとんど本能だった。


 影が動き、私は跳ねた。

 刃がかすめ、肩に浅い傷。

 しかしその勢いのまま、私は敵の内側へ滑り込み、短剣を一閃した。


 斬撃。

 相手のマントが裂け、腕に赤がにじむ。


 「……ほう」


 だがそれだけだった。

 相手は一歩も退かず、むしろ笑ったように──そして、もう一振り。


 私は咄嗟に身を翻し、物陰へ滑り込んだ。

 呼吸が乱れる。


 そのときだった。

 視界の端に、一瞬、蒼い光がよぎった。


 (なに……?)


 呼吸が詰まりそうになる。


 胸の奥から、懐かしいものが這い上がってくるような、奇妙な圧迫感。


 思い出した。


 ──ずっと前、まだ“訓練場”と呼ばれる場所で育てられていた頃。

 ──体の奥に、“危険察知”と呼ばれる感覚が埋め込まれた日々。


 (まさか……これって)


 使われていなかったスキル。

 自分では意図せず、でも確かに今、何かが反応している。


 【感覚強化:脈動】──


 そのスキル名を、私はまだ口に出すことができない。

 けれど確かに、相手の動きが“遅く”見えた。


 ──だが、その一瞬の集中も。


 「遅い」


 影の一撃が、意識の奥へと叩き込まれた。


 視界が揺れる。

 膝が折れた。


 そして、


 「……下がれッ!!」


 叫びと共に光が閃き、敵の刃が弾かれた。


 「……カティア……さん……っ」


 肩で息をする私の前に、背中を向けて立つ影。

 騎士の制服。

 剣を抜いたその姿は、いつも以上に冷たく、鋭かった。


 「──後は私がやる。あなたは下がって、絶対に動かないで」


 その言葉が、全身に重く響いた。


 私は、守られた。

 また、ひとりでは何もできなかった。


 でも、その背中を見たとき──

 私は、少しだけ泣きたくなった。


 「……ごめんなさい……」


 私は、彼女の背にそう呟いた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ