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第87話 反省タイム(芽吹月二十三日・午後/姫様視点)

 昨夜、ふと目が覚めたとき──彼女の気配がなかった。


 隣にあるはずの温もり。

 静かな寝息。

 私にとって一番安心できるその存在が、忽然と消えていた。


 布団の片側は冷たく、呼吸の音もしない。


 (……いない)


 胸が、きゅうっと痛んだ。


 思わず起き上がりかけたそのとき、小さな足音。

 廊下の向こうから、誰かが静かに近づいてくる。


 扉が、音を立てずに開き──そして、彼女が戻ってきた。


 ゆっくりと歩み寄り、そっとベッドに身を沈める。

 まるで何事もなかったかのように。


 (……何も言わないのね)


 私は、目を閉じたまま、眠ったふりをした。

 でも心の中では、さざ波のような怒りと寂しさが、静かに広がっていた。


 彼女が傷を負ったとき、どれだけ苦しかったか。

 自分の無力さにどれだけ泣いたか。

 その彼女が、また何も告げず、どこかへ消えていくなんて──


 (……絶対に、許さない)



 彼女と同じベッドで眠るようになったのは、ほんの数日前のこと。


 「わたくし、今夜はここで過ごすわ」

 そう言ったとき、彼女は明らかに困惑していた。


 「いえ、姫様……それはあまりに──」


 「気にしないで。従者が目覚めた姿を、ちゃんと見届けたいだけよ」


 「……でも、その、私は……」


 「いいから。これは命令」


 そうやって無理やり押し切った。

 でも本当は、怖かったのだ。

 また彼女が、静かに眠って、目覚めなかったらどうしよう。

 そんなことばかり考えて、夜が怖くてたまらなかった。


 あの夜、一緒に眠った時。

 彼女の呼吸がすぐそばにあって、指先をそっと握ったら、彼女がぎこちなく握り返してくれた。


 ──ああ、生きてる。


 それだけで、どれほど救われたことか。



 だからこそ、私は怒っている。


 黙って消えて、黙って戻ってきて、何も言わずにまた眠るなんて。

 そんなやり方は、優しさなんかじゃない。

 私を信じてくれていない証拠みたいで──悔しかった。


 ……そして朝。


 「ほんとうにもうっ」


 私は布団をばさっと跳ね除け、立ち上がった。


 というわけで。


 「反省タイム、開始します」


 「ひ、姫様……?」


 アイリスは、私の目を見て固まった。

 この目は、決意と制裁の炎に燃えているのよ。


 「え、えっと……その、わたくし、特に何も……っ」


 「“何もしてない”って言う人ほど、だいたい何かしてるのよ」


 「……ぐっ」


 「まず、こちらにどうぞ。はい、私のお膝の上」


 「えぇっ!? し、失礼では──」


 「これは命令です」


 反論の隙を与えず、彼女の手を引いてソファに腰掛けると、膝をぽんぽんと叩いてみせた。


 しぶしぶ乗ってくる彼女は、耳まで真っ赤で、逆にかわいかったけれど、今はその感情はしまっておく。


 「では、順を追って反省会を始めましょう」


 「……」


 「まず、朝。あなたはどこに行きました?」


 「……廊下……を、少し……」


 「“少し”ね? その“少し”の結果、誰と会いました?」


 「ラズヴェルさん……と……」


 「ふむふむ。そして?」


 「……その、警戒……を、して……」


 「“勝手に抜け出して、勝手に警戒して、勝手に疲れて帰ってきた”で合ってるかしら?」


 「…………はい」


 「よろしい。では、罰則その①──」


 私は右手を挙げて指を一本立てた。


 「“本日一日、わたくしがあなたを監視します”」


 「……っ」


 「反論は認めません。というわけで、本日のお手洗い、移動、食事、すべて付き添います」


 「ひ、姫様ぁぁあ……」



 「罰則その②。“わたくしに触れるの、三日間禁止”」


 「……はい?」


 「おでこも髪も、手を握るのも、勝手に背中を押すのも、全部ダメ。わたくしに触れてはいけません」


 「そ、そんなに触ってません……!」


 「ふふっ、そうかしら? この前の夜だって、勝手にわたくしの手を握ってたじゃない」


 「それは……その、無意識で……!」


 「なら、意識して我慢してもらいましょう」


 アイリスが、口をへの字にして唇を引き結ぶ。

 かわいくて笑いそうになったけど、今はまだ許さない。



 「罰則その③。“行動報告義務の誓約書提出”」


 私は用意しておいた羊皮紙をひらりと取り出した。

 そこには美しく整った文字でこう書いてある。


 《本日より七日間、起床・昼食・夕食・就寝前の4回、行動報告を姫様に提出すること。》


 「……こ、これは……」


 「逃げても、許しませんから」


 「……っ」


 アイリスがぷるぷると震えながら、それでも真剣に署名する姿を、私はにこにこしながら見守った。



 「でも、本当に……心配だったのよ」


 私は最後に、そっと彼女の手を握った。


 「あなたがまた傷ついたら、わたくし……きっと、笑えなくなる」


 「……ごめんなさい」


 「だから、もう一人で無理をしないって、約束して」


 「……はい。姫様の隣で、ずっと」


 「……よろしい」


 「反省タイム、終了」


 私は笑って、彼女の額にそっと口づけた。


 この時間が、永遠に続きますようにと願いながら──。



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