第83話 囁き、そして予兆(芽吹月二十二日・午前/カティア視点)
医療室の扉を閉め、私は静かに息を吐いた。
アイリスが目を覚ました。
そして、姫様が泣いた。
その両方を見届けた私は、少しだけ肩の力が抜けた気がした。
「……まったく、あのふたりときたら」
廊下に立ち、腕を組む。
この王城の壁は分厚いはずなのに、部屋の中から漏れるふたりの声が、かすかに聞こえてくる。
泣いて、笑って、怒って、また笑って。
命が残っていることの、なんと尊いことか。
けれど、それで終わりではない。
あの襲撃は、“はじまり”に過ぎない。
*
私は足音を殺して、東棟の奥へ向かった。
この王城の中でも、わずかしか人が通らぬ通路。
そしてその突き当たりには、ひとつの密室がある。
「お待ちしておりました、補佐官殿」
低い声が闇の中から返ってきた。
蝋燭一本すら灯されていない部屋。
だが、私はためらわずに踏み込む。
「報告を」
「……影刃の“指”が動きました。セディル側に“第二の刃”を用意している様子」
「どこまで及ぶ?」
「王都の市壁外部に、拠点の影。連絡の伝令が一度、城内に入りましたが──正体不明のまま消失」
「……内部協力者がいる、ということね」
私は目を閉じた。
予想はしていた。
セディルは、ただの官僚ではない。
“外部の刃”を動かせるということは、内部に巣食う影をも掌握している。
「姫様に、まだ知らせてはならない」
「……了解」
「今は、アイリスの回復が優先。情報はわたしがすべて整理する」
「補佐官殿も、お気をつけて。影刃の“本命”が動くときは、必ず“何か”を失わせる」
「わかっている。だからこそ……次は、こちらが先に動く番よ」
*
私は部屋を出ると、静かに扉を閉じた。
廊下にはまだ朝の光が差し込んでいた。
けれど、その光が届かない“夜”は、もう始まっている。
次に刃が振るわれるとき、誰が無事でいられるだろう。
それでも私は、守る。
姫様と──あの名を持つ少女を。




