第77話 静寂の裏で動く刃(芽吹月二十一日・午後/カティア視点)
城の東棟、補佐官執務区画。 私は廊下の端にある飾り棚の陰に立ち、目の前の扉をじっと見つめていた。
中には、セディル・ヴァレンスがいる。 几帳面すぎるほどに整った文書と、仕立てのいい筆記具。 無表情な顔の奥に潜んだ計算。あの男は“綻び”を嫌う性格だ。
だが──その綻びが、今まさに浮かび始めている。
*
影紋課が掴んだ情報。 偽造帳簿、名義貸し、幽霊倉庫。 すべての記録に共通して登場するのが、彼の署名欄だった。
「……誘い出すしかないわね」
私は懐から、小さな印章を取り出す。 それは、かつてこの国の“裏契約”に使われた古い証印。 正規の記録には絶対に残らない“闇の契約”を象徴する刻印だった。
「見覚えがあるでしょう? セディル」
扉の向こう、声がした。
「……懐かしいものを。まさか、まだ残っていたとは」
私は扉を開けた。
セディルは立っていた。姿勢は整い、笑みは作られている。 けれど、その指先だけがわずかに震えていた。
「あなたがあの帳簿に関わっていたのは、もう明白です」
「証拠は?」
「……名簿の筆跡。あなたの“癖”が出ていたわ」
セディルの笑みが引きつった。
「……誰に吹き込まれた?」
「私がこの目で見たのよ。隠しても無駄」
その瞬間だった。
空気が変わった。 セディルの外套の下から、見慣れない金属音。
「...っ!」
私は身を引いた。次の瞬間、廊下の影から──
刃が走った。
*
不意打ち。それも訓練された動き。 城内の兵ではない。殺しを知る者の動きだった。
私は袖口から投擲用の小型刃を抜き、反射的に投げる。 相手の左肩に命中。
しかし、動きは止まらない。
「影を雇った……?」
セディルは口を開かなかった。 ただ、その目が語っていた。 ──“これ以上、近づくな”と。
私は後方へ跳躍し、距離を取る。
アイリス。早く、来なさい。
このままでは、“本当に消される”かもしれない。
敵は一人ではない。 すでにこの城の中に、複数の“刃”が潜んでいる。
やがて──城が血に染まる日が来る。 そんな未来の匂いが、足元に漂い始めていた。




