第72話 姫様と、付き人と、苦い薬草茶(芽吹月十七日・昼/姫様視点)
昼下がり、政務室での書類整理もひと段落し、私は小さくため息をついた。
「ふぅ……やっと終わった……。今日の書類、なんだか地味に多かったわ」
「昨日の警備関係の調整が影響しているのかと」
「なるほど。毒を盛られたおかげで書類が増える……不本意極まりないわね」
「“盛られた”という言い方は、いささか雑では……」
アイリスは困ったように微笑む。
「でも、私の命の恩人はあなたよ」
「それを冗談っぽく仰られると、心がざわつきます」
「じゃあ真顔で言うべき?」
「それはそれで、心がざわつきます」
……うちの付き人、なかなか面倒くさいタイプである。
*
昼食後、休憩のために私室に戻ると、すでにアイリスが“例のアレ”を用意していた。
「……これは」
「“薬草茶”でございます」
「見た目がすでに茶ではなく、煮込み料理の副産物みたいなんだけど」
「気のせいです」
「香りも……野草をこう……踏みしめたあとの靴下みたいな」
「それは完全に幻覚です」
私が目を細めると、アイリスはさらに平然と注ぎながら言う。
「姫様。これは“体を守る盾”です」
「でも体に入れたくない盾ってどうなの」
「お覚悟を」
──なぜか、騎士のような決意で差し出された湯飲み。
私は観念して、ひと口。
「……ぅぐっ」
目の奥がぎゅっと締め付けられた。 魂が一瞬、別の世界へ旅立った。
「……どうでしょう」
「毒より衝撃強い」
「これで免疫も強化されます」
「味覚の尊厳は……」
「……犠牲になったのです」
シュールに納得するの、やめてほしい。
*
その後、アイリスとともに書庫へ。 毒の出所について調べるため、記録を洗い直していた。
「この“ヒューム系”って、貴族が使うこともあるの?」
「使用例は少ないですが、“特定の家系”では昔から……」
「“特定”とか怖いから! 今度家に招かれたら、真っ先にスープを疑うわ」
「その前にティーカップの縁を拭く癖をつけましょう」
「……侍女なのにプロの諜報員みたいなアドバイスね」
「わたくしなりの“生存技術”です」
「頼もしすぎる」
でも、そんなふうに会話していると、昨日の緊張がほんの少し溶けていく。
私の命を救ったこの付き人は──命を懸けた盾でもあり、 日常に戻るための“笑い”も、取り戻してくれる存在だ。
*
その日の夕方。
「姫様、今日の晩は、軽めにいたしますか?」
「できれば胃がまだ薬草を咀嚼中だから、重いものは……」
「では“回復粥”をご用意いたします」
「なんか……ネーミングがすでに回復してない」
「“生き延びる飯”のほうがよろしいですか?」
「もっと勇気が欲しくなる」
「では、“生存栄養強化食”──」
「もうそのまま戦闘糧食って言って」
今日も元気に、私は“毒と戦う付き人”と食卓を囲んだ。
こんな日常が、明日も続くように。 私は、笑いながら願った。




