表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
71/100

第71話 守りたいものが、ここにある(芽吹月十七日・早朝)

 朝焼けが、東の空をほんのりと染めていた。  私は姫様の私室の扉の内側、窓際の椅子に腰かけたまま、静かにその色を眺めていた。


 一晩中、眠らなかった。  けれど不思議と、疲労感はない。  それどころか、胸の奥には妙な清明さが広がっていた。


 部屋の中は静かだった。  暖炉の火は既に落ち、昨夜の残り香だけが淡く漂っている。


 私は、その香りとともに、姫様の寝顔をそっと見つめた。


 (この人の命が、昨夜、確かに狙われた)


 その現実が、いまだ夢のように信じがたく、同時に身の内に確かな爪痕を残している。



 夜が明ける直前。  私は一度、城内の見回りに立った。  それは“付き人”としての職務ではなく、ただの個人的な確認だった。


 各扉の鍵、警備の配置、巡回ルートの確認。  些細な見落としが、命取りになりうる。


 「……少しでも、不自然なものはないか」


 昨日の件で、私は今までの“日常”を信用しすぎていたと痛感していた。


 その間にも、夜はゆっくりと明けていく。  東の空が白み、廊下にほんのりと朝の冷気が差し込む。



 姫様の目覚めよりも早く、私は茶葉の調合に入った。


 (“黎明の盾”──今のわたくしにできる、最初の祈り)


 名もなき香草を少量、普段は使わない花の葉を加える。  昨日の“毒”を跳ね除けるように、守るための香りを重ねていく。


 手は丁寧に、心は静かに。  けれど、指先はほんの僅かに震えていた。



 「……アイリス?」


 その声に、私は振り返る。  姫様がベッドからゆっくりと体を起こしていた。


 「おはようございます。まだ少し早いですが……お目覚めになられましたか」


 「ええ……あなたの気配で、目が覚めたの」


 私は、そっと微笑む。


 「本日の紅茶は、“黎明の盾”と名付けました」


 「……素敵な名前」


 「お口に合えば幸いです」


 カップを差し出すと、姫様は香りを確かめて目を細めた。


 「……やさしいけど、芯がある。そんな味がする」


 「……まさに、姫様に差し上げたいものです」



 ふたりで静かにカップを傾ける。  その時間は、昨日とは比べものにならないほど濃く、重い意味を帯びていた。


 姫様はふと、窓の外を見ながら呟いた。


 「……これからも、こういうことが続くのかしら」


 私は一瞬言葉を探して、ゆっくりと答えた。


 「可能性は、否定できません」


 「そうよね」


 「ですが、それでも……わたくしが姫様の盾となります」


 姫様は驚いたように私を見た。  その目には、わずかな不安と、同時に期待が浮かんでいた。


 「あなたがそばにいるなら……わたしは、大丈夫な気がする」


 「ありがとうございます」



 支度を整えたあと、私は政務室へ同行する準備をしていた。  そのとき、カレンが廊下で声をかけてきた。


 「アイリス様。本日は、姫様のそばを片時も離れぬよう命じられております」


 「はい。承知しております」


 「加えて、警備局より“対象と近接者に警告が及ぶ可能性あり”との報告が出ています」


 私は、そこで一拍置いた。


 「つまり、わたくしも狙われる可能性があると」


 カレンは静かに頷いた。


 「……ですが、それは承知の上でしょう」


 「ええ」


 わずかに目を細めたカレンの表情は、どこか複雑だった。  警戒、懸念、そして、信頼。


 私はそのすべてを受け止めて、深く頷いた。



 政務室へ向かう道すがら、姫様はふと足を止めた。  振り返って、私の手を取る。


 「今日一日。そばにいてね」


 「はい。命をかけて、お守りします」


 「……ありがとう」


 その手のぬくもりが、私の胸の奥に静かに染み込んだ。


 ふたり分の時間。  それがどれほど重く、どれほどかけがえのないものか。


 この手で、何度でも守る。  それが、わたしの“誓い”だから。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ