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第69話 その手のぬくもりは灯火のように(芽吹月十六日・朝〜午前)

 朝の光が、カーテン越しに私室へ差し込んでいた。  ほんのりとしたあたたかさ。  昨日よりも、少しだけ春に近づいたような気がした。


 私は姫様のベッドのそばに椅子を置き、その横に紅茶のセットを並べていた。  ゆっくりと立ち上がり、そっと声をかける。


 「……姫様。朝でございます」


 まどろみの中、姫様はふわりとまつげを揺らし、目を開いた。


 「おはよう……アイリス」


 「おはようございます。……紅茶の準備ができております」


 「ふふ、“誓いの朝”の、翌日ね」


 「本日は、“灯火のぬくもり”という名にしてみました」


 姫様は、くすっと小さく笑う。


 「いい名前。きっと、今の私にちょうどいい」


 ゆっくりとベッドから起き上がり、カップを手に取る。


 ふたりでテーブルを挟み、静かに紅茶を口にする朝。  それが“日常”であることの奇跡に、胸がじんとした。



 朝の支度を終えた後、姫様は政務室へ。  私はその付き人として共に向かう。


 廊下ですれ違った文官や侍女たちの視線は、どこか落ち着きを取り戻していた。  あからさまなものは、少なくなった。


 (……姫様の動きが、何か変化をもたらしたのでしょうか)


 そう思いながらも、私は口にしなかった。  ただ静かに、その背を見守る。



 政務室でのやりとりは、今日も穏やかだった。


 文官たちの口調に刺がなくなっていたのは、姫様の“何か”が彼らに影響したからだろう。


 会議のあと、姫様はふと筆を止めて、私を見上げた。


 「……ねえ、アイリス」


 「はい」


 「今の私は、ちゃんと前に進めてると思う?」


 私は一瞬だけ驚き、それからすぐに頷いた。


 「はい。……昨日の姫様の背中を見て、そう思いました」


 姫様は、少しだけ恥ずかしそうに笑った。


 「なら、もう少し強くなれる気がする」


 「……わたくしも、一緒に」


 「ふたり分の強さ、ね」


 ふたりの間に、自然と笑みが広がった。


 この朝が、始まりの合図のような気がした。


 この先にどんな風が吹いても、  この手のぬくもりだけは、手放さないように。


 私は、そっと胸に誓った。




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