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第68話 “ふたり分”の夜に灯るもの(芽吹月十五日・夜/姫様視点)

 あたたかな紅茶の湯気に包まれながら、私は窓辺の椅子に体を預けていた。


 久しぶりの外出は、思っていたよりも神経をすり減らすもので──  けれど今は、すべてが報われるような気さえしていた。


 「“ただいまの香り”……アイリスらしいわね」


 「そう言っていただけると、ほっとします」


 彼女は私の正面ではなく、少し斜め横。  距離は近いけれど、気配はそっと寄り添うように優しかった。


 「今日は……何をして過ごしていたの?」


 「棚の整理と、調度品の手入れを少し。そして……紅茶の配合をいくつか」


 「ふふ。それで“ただいま”が生まれたのね」


 「はい。……いつ、お戻りになるかわからなかったので」


 「待っていてくれて、ありがとう」


 その言葉に、アイリスは小さく首を横に振った。


 「お戻りになると信じていました」


 その確かな声に、私は思わず目を伏せた。


 (信じられていたのだ。   あの静かな背中の向こうに)



 ふたりで紅茶を飲み終えたあとも、しばらく部屋は静かだった。  けれどその静けさは不安ではなく、むしろあたたかかった。


 「ねえ、アイリス」


 「はい」


 「もし──もしも、今後もっと強い反発が来たら。   あなたの存在を、否定しようとする声が大きくなったら。   ……どうする?」


 アイリスは少しだけ迷った。  けれど、次の瞬間にはまっすぐに私の目を見て、答えた。


 「それでも、姫様のそばにいたいと思います」


 「……たとえ、私がそのことで責められても?」


 「……責められるのは、わたくしで構いません」


 私は、思わず笑ってしまった。


 「だめよ、それじゃあ。責められるのも、わたしで充分」


 「では……ふたりで、責められましょう」


 「ふたり分の覚悟、ってところかしら」


 アイリスも、ふっと笑った。


 (ああ、そうだ。   この子の隣なら、私はきっとどんな道も歩ける)



 夜が深まるにつれて、室内はより静かになっていった。  暖炉の火がゆらりと揺れている。


 私はアイリスに背を向けて、窓辺に立った。  ふと、背後で布のすれる音がして──


 「姫様、髪を……」


 「ええ、お願い」


 アイリスの指が髪に触れる。  くしゅり、と細い櫛が音を立てる。


 この感覚も、もうすっかり日常になっていた。


 「あなたに髪を結われるの、好きなの」


 「わたくしも、この時間が好きです」


 結び終えた後、私は椅子に腰を下ろした。  そのままアイリスもそばに座る。


 「今夜も……一緒にいてくれる?」


 「はい。ずっとここにおります」


 私はその言葉に、そっと目を閉じた。


 “ふたり分”という言葉が、もはや象徴でも比喩でもなく。  本当に、日常の一部になっていることに気づいていた。


 そして、その“日常”を守るためなら、私はどんな困難にも向き合える。


 この時間のぬくもりが、明日の力になるのだから。


 私はアイリスの手に、そっと自分の指先を重ねた。  言葉はなかった。  けれど、それで充分だった。




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