第6話 再会、少しのぎこちなさ(王城歴1349年 春月二十七日)
春月二十七日。 朝食当番を終えた私は、配膳棚を拭きながら何度目かのため息をついていた。
「……顔に出していない、はずです」
誰にも聞かれないよう小さく呟く。けれど、その“はず”という言葉が自信のなさを物語っていた。
昨日、東庭には行かなかった。 当番表に従っただけとはいえ、姫様と顔を合わせなかったことが、こんなにも心のどこかをくすぐるとは。
(今日は……きっと、何事もなかったように振る舞われるのだろう)
半分諦めのような気持ちで、私は掃除道具を抱えて厨房を後にした。 けれど、足取りは妙に速くなっていた。
「……落ち着いて、普通に」
“普通”がどんなものだったかすら曖昧になりながら、私は東庭への通路を進んだ。
石畳の先に、見慣れた姿がある。
「……やはり、いらっしゃった」
花壇の縁に腰を下ろす姫様は、昨日と同じように白銀の髪を風に揺らしていた。 けれどその視線は、私の足音に気づくや否や、こちらへと向けられる。
「おはよう、アイリス」
「……おはようございます、姫様」
ぎこちない会釈と共に近づくと、姫様はふくれたような表情を浮かべた。
「昨日は……お休みだったのね?」
「はい。業務の割り当て上、どうしても」
「ふーん。じゃあ私、昨日あの花壇の前で一人ぼっちだったの。誰かが来るたびに“アイリス?”って顔しちゃって、すごく恥ずかしかったんだけど?」
「……申し訳ありません」
深く頭を下げると、姫様は慌てたように言葉を重ねる。
「ち、違うのよ! 責めてるわけじゃなくて……その、ほら、私の紅茶がまずかったとかじゃなくて?」
「とても美味しかったです」
「即答……! その即答が逆にプレッシャーよ……」
ため息混じりに顔をそらす姫様。 けれど、どこか照れたような仕草だった。
「今日はね、ミルク入り。蜂蜜はほんの少しだけ。ミントはゼロ」
「ずいぶんと試行錯誤されたようで……」
「昨日の夜、四杯飲んだのよ。自分で。甘すぎるとか渋すぎるとか、もう味覚の迷子だったわ」
「お身体は大丈夫でしたか?」
「胃薬飲んだから大丈夫」
なんだかんだで、楽しんでいたのだろうと思うと、私の胸のあたりがふっと温かくなる。
「こちらを」
姫様が取り出したのは、例のティーセットと、小さな布袋。 中には、香り高い乾燥ハーブが丁寧に包まれていた。
「それ、あげるわ。あなただけのブレンドにして飲んでほしくて」
「……私に?」
「そう。アイリス専用。『ひとりでも飲めるし、わたしと飲んでもいい』ってやつ」
「二択のようでいて、選択肢が一つだけですね」
「気づいた!? 賢いのが悔しい……」
いつのまにか、会話の呼吸が戻っていた。 昨日のぎこちなさは、紅茶の湯気と共にふわりと消えていくようだった。
姫様がポットから紅茶を注ぎ、私はカップを受け取る。 春の陽の下、花の香りと紅茶の香りが混ざる空間。
「……今日は、もう少し長く座っていられます」
そう告げた私に、姫様は嬉しそうに笑った。
「よし、じゃあ今日は“第二回東庭紅茶会・延長戦”ってことで」
「……本編はいつだったのでしょうか」
「今からが本編よ!」
姫様の言葉に、私は微かに笑ってしまった。
この時間が、どこか特別なものになりつつあることに。 そしてそれを、否定できなくなっている自分にも。