第56話 専属としての朝(芽吹月十三日・早朝)
芽吹月十三日、朝。 私はいつもと同じ時間に厨房へ入り、いつもと同じように紅茶の支度をはじめた。
けれど今日からは“付き人”として、正式な役目を与えられた身だ。 スプーンの重みも、湯を沸かす音も、少しだけ違って聞こえる。
そのとき、背後から気配がして、軽い足音が近づいてきた。
「おっはよー、“正式な恋する付き人”!」
「おはようございます、カレン。挨拶に妙な修飾語をつけないでください」
「へいへい。で、どうなの。付き人デビューの朝は」
「……緊張しています」
「そりゃそうだ。姫様の専属が正式に決まるのって、かなり久しぶりだもんね」
私はふと、手を止めた。
「……前任の方がいらっしゃったのですか」
「いたいた。レティシアさんっていう、超優秀だけどめちゃ堅物な人。 でも半年くらい前に南の政務庁に異動してからは、正式な専属はいなかった」
「では、そのあとずっと──」
「“仮付き”で日替わりだったの。文官、侍女、警護役、いろいろローテーションで」
「姫様は、どなたも任命されず……」
「うん。ずーっと“この人じゃない”って感じだったっぽいよ?」
カレンはにやにやしながら、私の顔を覗き込んでくる。
「つまり、アイリスは“やっと見つけた相手”ってことだね〜。どうする、責任重大だよ?」
「……わたしなどでよろしいのでしょうか」
「もう任命されたんだから、よろしいもなにもないっしょ。どーんと構えとけ!」
私は軽く笑い、湯の温度を確認した。 カレンのこういう調子が、時には救いになる。
「では、どーんと参ります。今日も、ふたり分」
「よっ、さすが付き人一日目!」
カレンがカップを並べながら、小声で付け足した。
「……でさ。姫様、昨日あのあとすごく嬉しそうだったよ」
「え?」
「書類を出した後、紅茶飲みながら笑ってたって。近くの書記官が噂してた。あんまり表に出さない人なのに、って」
私は、思わず胸元を押さえた。
(私が、姫様の“笑顔”の理由に……?)
何でもないように見える日常の一瞬が、こんなにも特別な意味を持っていたこと。 その事実が、私の中で静かに、けれど確かに灯った。
だからこそ、今日の紅茶は一滴も気を抜かずに。 私にできる“初仕事”を、全力で仕上げる。
いつもの紅茶が、ほんの少しだけ、特別に香った朝だった。 それは──姫様の笑顔を、きっと今日も見られるようにと願った、最初の朝でもあった。




