表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
51/100

第51話 沈黙の返礼(芽吹月十一日・夕刻)

 芽吹月十一日、夕刻。  厨房に戻った私は、ポットを拭きながら、ぼんやりと午後の紅茶の余韻を思い返していた。


 姫様は、いつも通りだった。  けれど、その“いつも”の中に、どこか温かさと、緊張と、覚悟のようなものが混ざっていた。


 そして、私自身もまた──


 (……何も、返せなかった)


 “好き”という言葉。  それを受け取った朝の紅茶。


 私は確かに、何も答えていない。  ただ、沈黙して、笑って、カップを差し出しただけ。


 (それでも、姫様は午後も変わらずに、来てくださった)


 私の中にある気持ちは、まだ名前を持っていない。  けれど、それでも何かを伝えたくて。


 私は午後の紅茶を、“おだやかな午後”という名で仕上げた。


 「……受け取っていただけて、嬉しかったです」


 ひとりごとのように、私は呟いた。


 そのとき、背後から声がした。


 「なーんか、幸せそう」


 「カレン。いつからそこに」


 「えーっと……“カップを拭いてはため息をつく”あたりから」


 「……かなり前ですね」


 「で、どうだったの? 午後のふたり分」


 私はカレンの視線を避けながら、ポットの蓋を丁寧に磨いた。


 「……“おだやか”だった、と思います」


 「ほう、“平常心装って本心はドキドキ午後”ですね」


 「そんなブレンド名ではありません」


 カレンはにやにやと笑いながら、勝手にティーカップを並べ始めた。


 「でも、わかりやすかったよ。姫様も、アイリスも、目線がカップのふちに固定されすぎ」


 「……緊張していたのだと思います」


 「どっちもね。姫様、今日ポケットに手入れっぱなしだったし」


 私はその言葉に、はっとした。


 (……何か、持っておられた?)


 「カレン。姫様は、何か……」


 「んー、見てないけど。たぶん“渡そうとして渡せなかったもの”があったんじゃない?」


 (贈り物──)


 私は、もう一度、あの時間の姫様の仕草を思い返した。  カップに触れる手。  視線の揺れ。  言葉にしない空気。


 「……明日も、変わらず“ふたり分”を用意いたします」


 その中に、今日伝えられなかった“ありがとう”と“まだ答えられません”を込めて。


 沈黙は、ときに最大の返礼になる。  でも、私は明日もまた、紅茶の温度に自分の想いを乗せるつもりだった。


 カレンは笑いながら、お皿を拭き終えた。


 「よーし、じゃあ明日の紅茶は“恋はまだ香りの段階”でどう?」


 「それだけは絶対に却下します」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ