第49話 静かなる整理と、午後のごまかし作戦(芽吹月十一日・午前後半)
朝の紅茶のあと。 私は厨房に戻ってきてからも、ずっとカップを洗う手が落ち着かなかった。
姫様の言葉。 “好き”──その一言が、胸の中で波紋のように何度も何度も広がっている。
カップは何度も磨いた。 ポットも、すでに乾いているはずなのに何度も拭き直した。
(落ち着きなさい。いつも通りに)
自分に言い聞かせるように手を動かしていると、背後から例のにぎやかな足音が聞こえた。
「やっほー、“恋に動揺中の紅茶職人さん”!」
「……カレン。静かにしてください」
「ふふん、でも顔赤いよ? なんかあった? って聞かれて“別に”って言うテンプレ反応した?」
「していません」
「じゃあ何があったの?」
「……何もありません」
「よし、全部あったってことにしよう」
私は思わず手を止め、カレンに真っすぐ視線を向けた。
「……カレン。何か聞いたのですか」
「何も。何も聞いてないけど、だってアイリスが“何もない”って言ってる時はだいたい何かあった時じゃん?」
「……ぐぅ」
反論できなかった。 彼女の観察力は、無駄に鋭い。
「というわけで! 今日は午後の紅茶、味に出そうなので!」
「味に出ません」
「いや出るって。“恋の酸味”とか“照れの苦味”とか、明らかに香りが恋愛モードになるやつ」
「どんなブレンドですか、それは……」
カレンはひとしきり笑ったあと、少し真面目な声で言った。
「……でも、よかったじゃん」
「何がですか」
「“気持ち”ってさ、渡される時が一番怖いのに、それを受け取れたんだもん」
私はその言葉に、また少しだけ胸が熱くなった。
受け取った──そう、私は確かに受け取ってしまったのだ。
「……まだ、どうしていいか分からないんです」
「いいじゃん。分からなくて。答えなんて、今決める必要ないし」
「……そう、でしょうか」
「うん。でもね。午後はちゃんと笑って“いつも通り”やりなよ。……ちょっとだけ、特別が混ざっててもいいから」
私は目を閉じ、深く呼吸を整えた。 午後も、いつもの紅茶を。 けれど、そこにこっそり“ありがとう”の気持ちをひとしずくだけ混ぜることにしよう。
それが、今の私にできる最大のごまかしであり、ささやかな返事になる気がしていた。




