第46話 午後の練習試合と、沈黙の応援団(芽吹月十日・午後)
午後の東庭は、今日は使われていなかった。 姫様は朝の紅茶のあと、急な予定で呼び出され、今日の午後は来られないと伝言があった。
その代わり、私は厨房でブレンドの練習をしながら、静かな時間を過ごしていた──はずだった。
「うおおお! 混ぜてはならぬものを混ぜてしまった!」
「……カレン、いったい何を」
「新作の“爽やかで切ない恋味ブレンド”! ……のはずが、なぜかカレーっぽい匂いがする」
「ハーブの選定に問題があったようですね」
「ちょっとターメリック入れたのがダメだったかなあ〜」
「完全に調理カテゴリが異なります」
私はため息をつきつつ、カレンの爆弾的試作品を丁重に処理した。
「で? 午後は姫様来ないんだって?」
「はい。今日は侍女長のご依頼で、城外の工房に視察だそうです」
「う〜ん、ざんねん。ふたりの“午後の恋の紅茶劇場”見たかったのに」
「そんな劇場ではありません」
「いやいや、十分劇場だったよ? あの紅茶のやりとりとか、絶対ナレーションつくやつ」
私は思わず手を止め、カレンをにらんだ。
「……見ていたのですか」
「たまたま通っただけですー。通ってるとこから動かずに30分くらい見守ってただけですー」
「それを見守りと言うのか疑問です」
カレンは棚の上のティーカップをひとつ手に取り、くるくると回した。
「でもさ。もし、明日姫様が突然“告白”とかしたら、アイリスどうする?」
「……告白、ですか?」
「そう、“わたし実はあなたのことが……”って」
私はカップを手から落としそうになった。
「な、何の冗談ですか」
「冗談じゃないかもよ? だってさ〜最近の姫様、めちゃくちゃ優しいし、なんかアイリスの手とか見てるし、目がね、やわらかすぎんの」
「……私は、そういう風には……」
「思いたくない?」
カレンの声が少しだけ静かになった。
「……違うんです。ただ……そんな風に考えたら、今の距離が壊れてしまいそうで」
「うん、それはわかる。でもね、壊れるんじゃなくて、変わるだけかもよ?」
私は答えなかった。 けれど、心のどこかで、その言葉が刺さっていた。
ふたり分の紅茶。 その習慣の裏にあるもの。
きっと、もう少しで──それが何か、わかってしまう。
「ねえアイリス」
「はい」
「姫様の“わがまま”って、なんだと思う?」
私は考え込んだ。紅茶の種類? 午後のお茶会延長? 特注のティーカップ?
「……甘いお菓子の追加、でしょうか」
「ちがーうっ! そういう意味じゃなくてさ!」
「では何ですか?」
「“そばにいてほしい”とか、“名前で呼んで”とか、そういうやつ!」
「……そんな……そんな、まさか」
「うん、アイリス、ほんと反応かわいすぎ。私、今ちょっとご褒美もらった気分」
私は顔が熱くなるのを感じ、そっと手で頬を隠した。
「姫様がそんな風に……いや、でも、もし……」
「ほら! 否定しきれないなら、もうそれはそういうことだよ!」
私は急いでティーポットを拭きはじめた。
「……作業に集中したいので、少し黙っていていただけますか」
「ふふ〜ん、よかろう。今日のところは引いてやろう……! だが私は、黙ってポットの行方を見守る影の応援団なのだ!」
「カレン。せめて火は止めてからそういうことを言ってください」
「……あっ、危なっ」
にぎやかな午後。 姫様がいないはずの厨房は、静かになる暇もない。
けれど、その賑わいの奥で、私はふたり分の紅茶の重みを、もう一度考えていた。
明日、どんな想いをこめた香りを淹れようか。 その問いだけが、今日の私の支えになっていた。




