第42話 午後の陽と、揺れる気配(芽吹月九日・午後)
午後の東庭には、静かな光が差し込んでいた。 私はいつものようにティーセットを整え、姫様を待っていた。
紅茶のブレンドは、今朝の“やさしい香り”を基に、ほんの少し柑橘の皮を加えた。 爽やかさと落ち着きの両方を宿す──そんな味を目指した。
「……名前、つけられるといいですね」
独り言のように、私はポットをそっと置く。
やがて、遠くから足音。 姫様のものだとすぐに分かった。
「こんにちは、アイリス」
「姫様。お越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ。……今日もいい香りがするね」
「午前の紅茶に、柑橘のアクセントを加えてみました」
姫様は椅子に座り、そっと息を吸い込んだ。
「……あ、これ好き。少しだけ大人っぽい感じ。落ち着く」
「お口に合って、何よりです」
私は姫様の反応に、胸の内側がじんわりと温まるのを感じていた。
「ねえ、アイリス」
「はい」
「……今日の紅茶の名前、私がつけてもいい?」
「もちろんです。姫様の感性は、いつも素晴らしいですから」
姫様は少し考え、そして口を開いた。
「“午後のやさしい波紋”。……どうかな?」
「……とても、穏やかな響きですね。気に入りました」
ふたりはしばらく、カップを傾けながら、木々の葉音に耳を澄ませていた。
けれど、どこかで何かが変わっている。 同じようなやりとり、同じような午後──
なのに、心の奥では、知らない水面に小石を投げ込んだような感覚。
姫様はふと、私の手元を見て言った。
「……指先、冷たそう。今日、少し風があるから?」
「ええ。けれど、これくらいなら問題ありません」
姫様はそれでも何か言いたげだったが、何も言わずに紅茶を口に運んだ。
午後の陽が傾き始めるなかで、ふたりの影が近づいているのに、 どこかでまだ、触れない距離が確かにあった。




