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第41話 さりげない違和感と、ふたり分の静けさ(芽吹月九日・午前)

 紅茶の時間が終わり、姫様が立ち上がったのは日がすっかり昇った頃だった。  今日も“いつも通り”だった。


 けれどその“いつも”に、どこか違和感があった。


 「ありがとう、今日の紅茶も……とっても、よかった」


 姫様は微笑んでそう言ってくれたけれど、その表情にはほんの少しだけ、目を伏せた余韻が残っていた。


 「姫様。……今朝、早くから来てくださった理由は──」


 私は自然な調子で問いかけたつもりだった。


 けれど、姫様は一拍だけ沈黙し、それから首を傾げて笑った。


 「ふふっ、気づいちゃった? なんでもないの。ただ、アイリスに会いたくて早起きしただけ」


 「……そうでしたか」


 たぶん、それは本当。  でも、その“会いたかった”の意味が、私にはまだわからない。


 姫様の言葉が、そのたびに胸の奥を静かに揺らしていく。


 午後はまた、東庭に来てくださるかもしれない。  そう思いながら、私はカップを片付け、茶葉の瓶をひとつひとつ丁寧に拭いた。


 「……明日は、もう少し華やかな香りでも良いかもしれませんね」


 思考の中で、自然と“姫様が好きそうな味”を組み立てている自分に気づく。


 それはもう、ただの習慣ではないのかもしれない。


 けれど私はまだ、その想いに名前を与えることができずにいた。


 昼前、厨房に戻ると、カレンがいつものように脚を組んでカウンターに腰かけていた。


 「おかえりー。……って、あれ? 今日ちょっと静かじゃない?」


 「いつも通りです」


 「へぇ、そう? ……ふぅん?」


 カレンのふぅんは、たいてい“納得してないけど突っ込まない”の意味だ。


 「……何かあった?」


 「特には。姫様と、いつも通りの紅茶を」


 「で、ちょっと違和感があったと」


 私は思わず、ポットを持った手を止めた。


 「な、何も言ってませんが……」


 「顔に書いてある。『あれ? いつもと同じなのに、なんかちがう?』って」


 「……そこまで明確には」


 「だろうね。でも、そういうときって、気持ちの方が先に動いてるんだよ。頭が追いついてないだけ」


 私は小さく息を吐きながら、シンクに視線を落とした。


 姫様の“好き”という言葉も、早起きしてまで来てくれた理由も。  全部が、紅茶の香りのように曖昧で、でも確かに心に残っている。


 「……私が、なぜ紅茶を淹れているのか。理由が、変わってきているのかもしれません」


 カレンはにやりと笑った。


 「いいね、それ。進歩してる証拠。……さて、じゃあ午後のふたり分のために、もう一回練習する?」


 私はその言葉に笑って、頷いた。


 “ふたり分の紅茶”という静かな時間が、ゆっくりと、でも確かに、私の中の何かを変えはじめている。


 その頃、誰もいない西館の一室では、小さな包みがそっと引き出しの奥で眠っていた。


 名前を呼ばれるその日を、静かに、けれど確かに待ちながら──。




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