第39話 秘密の時間と、名前を呼べない贈り物(芽吹月八日・夜/姫様視点)
帳が下り、王城の灯りがひとつ、またひとつとともっていく。 私は書斎ではなく、城の西館の一室にいた。 人払いをしてまで、ひとりの時間を作ったのは久しぶりだった。
「……これ、やっぱり似合うと思うのよね」
テーブルの上には、小さな包み。 淡い藤色のリボンが巻かれたそれを、私はそっと撫でた。
中身は、特注の紅茶用スプーン。 柄には細やかな彫刻が施されていて、小さなリンドウの花がひとつだけ刻まれている。
「直接渡すのは、まだ早い……よね」
私の中には、ずっと“理由のない想い”があった。 初めてあの子の紅茶を飲んだ日。 その柔らかな香りと、まっすぐな眼差しに触れたときから。
でも、あの子はまだ気づいていない。 それでいいとも、思っていた。 ただそばにいられるなら、それだけでいいと。
──けれど、今日の午後。
「……私たち、紅茶がなかったら、ここまで話せてたかな」
あの問いかけは、たぶん、自分に向けたものだったのかもしれない。 “紅茶”というきっかけがなければ、私は自分の気持ちに名前をつけることさえできなかった。
「“好き”って、言ったら……彼女は困るのかな」
その問いは、答えを持たないまま、夜に溶けていく。
けれど──それでも明日、また会いたい。 それだけは、きっと本物だ。
私はそっと包みを引き寄せ、引き出しの奥にしまった。 今はまだ渡さない。 でも、いつかきっと、言葉を添えて手渡せる日が来ると信じている。
「明日も、ふたり分の紅茶を」
その時間が続いてくれるように、私はそっと目を閉じた。
夜の静けさが、少しだけやさしく思えた。




