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第25話 東庭を離れても、紅茶の余韻(芽吹月六日・午前)

紅茶を飲み終えたあとも、ふたりの間にはしばらく言葉がなかった。  けれど、それが心地悪い沈黙ではないことを、私は知っていた。


 「……今日はこのあと、授業の視察があるの」


 「授業、ですか?」


 「うん。学院の先生たちが招かれて、王城内の特別教室で見学するらしいの。私は“立ち会い姫”ってやつ」


 「なるほど……気を張る場面ですね」


 「だから、こうして少しだけ落ち着けたの、嬉しかった」


 姫様は立ち上がり、ティーカップの底をそっと見つめた。


 「これ、全部飲みきったの、実は初めてかも」


 「そうでしたか」


 「だって、いつも話してる間に冷めちゃって。でも今日は……最後まで、ちょうどよかった」


 「それは光栄です」


 姫様はふと、自分の掌を胸元に当てた。


 「なんでだろうね。今日はずっとあたたかい気がするの」


 その言葉を、私は答えではなく、ひとつの“余韻”として受け取った。


 「では……姫様、行ってらっしゃいませ」


 「うん。アイリスも、お仕事がんばってね」


 そう言って姫様が背を向けたとき、私は思わず呼び止めそうになった。  けれど、その代わりにひとつ、声をかける。


 「本日も、お越しいただきありがとうございました」


 姫様は足を止め、くるりと振り返る。


 「こちらこそ。“ふたり分”の朝、ありがとう」


 そう言って微笑んだ彼女の表情は、太陽よりもやわらかく、東庭の花よりもやさしかった。


 その笑顔が、紅茶の香りとともに、私の胸に残っていた。


 その後、私はゆっくりと片付けに取りかかる。


 カップを一つひとつ布で包み、クロスを丁寧に折り畳みながらも、姫様の後ろ姿が何度も頭をよぎる。


 (……視察、無事に終わるといいのですが)


 だがそれだけではない。  今日の姫様は、普段よりも少しだけ饒舌で、少しだけよく笑った気がした。


 それは、私の紅茶のせいだろうか。  それとも──違う理由があるのだろうか。


 「……また、明日も」


 小さく呟いたその言葉は、朝の空に溶けていった。


 私は道具を持ち、東庭を後にする。


 まだ誰もいない廊下を歩く足音が、なぜか今日は、やわらかく響いた。




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